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第三章 二つの残留品 1

「噂は聞いていますよミス・エレン・ディグビー」と、アルマ大奥様は冷ややかに応えた。「なんでも市内(シティ)事務所(オフィス)を構えてお一人で商売(ビジネス)をしているのだとか。お若いのに大したものです」

 その口調からは微塵の敬意も感じられなかった。

 とくに商売、という言葉にありありと侮辱を籠めている。《商人王》リヴィングストン家の大奥様の哀しき自己否定だ。

 エレンは職業的な笑顔を拵えて頷いた。


「ありがとうございます奥様。わたくしが事務所を構えているのは、市内ではなくドロワー通り331番地ですわ。いずれ市内に部屋を借りられるほどの収益をあげたいと思っております」

「本当にご立派なお志ね。でも勿論、あなたとしては、そんな貴婦人(レディ)らしからぬお商売は本意ではないのでしょう? 今少し困窮なさっているとはいえ、まともな生まれの御令嬢が外に出て男性に混じって働くなんて怖ろしいことだわ! あなたがもし我が家の孫娘たちのだれかの家庭教師(ガヴァネス)付添婦人(コンパニオン)に雇って欲しいというのなら――」


「--お祖母さま!」と、エセルが堪えかねたように口を挟む。「ミス・エレンにそんな失礼なことを申し上げないでください! 彼女はいまタメシスで一番有名な新進気鋭の諮問魔術師なのよ? 解決なさった記事が載っているタメシス・ガゼット新聞はお祖母さまもご覧になったでしょう?」


「若い娘が結婚報道以外で新聞に載るなんて誇らしい事態とはいえませんね」と、老アルマは鼻で嗤い、片眼鏡をキラッと光らせて付け加えた。「見たところ、もうそう若いお嬢さんとも言い難そうですけれど! で、ミス・エレン、それじゃあなた本当に捜査とやらにいらっしゃったの? この機に乗じた職探しではなく?」

「ええ奥様。幸い職には困っておりませんので」と、エレンは腹の底からフツフツとこみあげる怒りを堪えながら応えた。「今年の六月二十二日以降にこのお邸で起こった事件のことはミスター・リヴィングストンから伺っております。よろしければ、当事者の口からもう一度お聞きしても?」

 エレンが沈着に訊ねると、アルマは一瞬悔しそうな顔をしてから、またしゃくれた顎をそびやかして言った。

「その前に、あなたの魔術師としての技量のほどを見せていただきたいわ。噂では焔を操るそうね。なら、此処にいたまま、玄関広間(サルーン)のシャンデリアの蝋燭すべてに焔を灯すことができる?」


「ええ勿論」と、エレンは即答した。

 老アルマが口惜しそうな顔をし、おもむろに眉を吊り上げてエセルに命じる。

「エセル、メイドたちを呼びなさい」

「はいお祖母さま」



 エセルが薔薇色の大理石板のマントルピースの上におかれた青い房付きの銀の卓上鐘を鳴らすなり、暖炉の横の目立たないドアが開いて、黒いドレスにフリル付きの白いエプロンを重ねた午後の盛装姿のメイドが一人入ってきた。


「アンヌマリー、玄関広間(サルーン)に続くドアを開けてそのままにして、お前は外のシャンデリアの下に立っていなさい」と、老アルマが命じる。

「は、はい大奥様」と、若そうな栗毛のメイドは怯えた様子で答え、なぜ? とか何のために? などといった疑問は一言も差し挟まず、エレンとエセルの背後のドアを開け、玄関広間のシャンデリアの下へと急いでいった。


 メイドが傍を通り過ぎるとき、エレンは匂いを確かめた。

 埃と微かな汗の臭いに甘いバニラの匂いがほのかに混じっている。



 ――アンヌマリーといったわね。背丈はわたくしより一インチほど低い……つまり五フィート五インチ《訳168cm》くらい――男であってもおかしい背ではないわ……



「さて、これでいい。では新進気鋭の魔術師どの、どうかお手並みを見せてみなさいな」

 老アルマが鼠をいたぶる猫みたいな笑みを浮かべて告げる。

 エセルが濃い眉をよせて心底すまなそうな顔をしている。

 ヴェールに隠されたシビルの表情は分からない。

 エレンは内心の得意さを隠して頷いた。

「ええ。ではご覧くださいな」と、右の掌を広げて命じる。「サラ、出てきて頂戴。頼みたい雑用があるの」


 途端、指が長く肉薄の掌の上に、午後の陽を透かしたシャンパンのような淡金色の光の柱が立ち昇ったかと思うと、赤く小さく輝かしい竜と似た生き物が顕現した。


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