第二章 ローレル荘のブラック・レディたち 3
エセルはすぐに戻ってきた。
大型トランクを携えた初老の男も一緒だ。
彼がこの荘で唯一の男手たる「厩番のサム」らしい。
――背丈は中背。年頃は60歳前後? 匂いは……干し草と馬糞の臭いだけ。とりあえず怪しくはなさそうね。
エレンは魔術師特有の鋭い嗅覚でもって厩番の体から何か変わった匂いがしないかどうかを確かめた。
魔術師は姿を「変える」ことができる。
文字通り変身するのではなく、全身に自らの魔力を被膜のように纏うことによって、見る者の側に自分を別人のように――大抵は、その服装や雰囲気、状況から、相手が「こうであろう」と判断した姿に見せかける目晦ましを仕掛けられるのだ。
ただし、その場合背格好が似ていなければならないから、異なる性別に見せかけるのは難しい。また、魔力を表出させるときには、必ず、それぞれの魔術師に固有の光や音や匂いが伴うため、常時姿を他人に見せかけるふりができるのは、常にまとっていても違和感のない匂いで魔力を表出できる術者に限られる。
だから、もし、この荘に住んでいる唯一の男らしい厩番が、厩番には似つかわしくない匂いをまとっていたら、目晦ましの魔術を用いている可能性が高いのだが――どうやらその線はなそうだとエレンは判断した。
「ミス・エセル、お荷物はどちらへお運びいたしましょう?」
厩番がエセルに丁重に訊ねる。
「二階の《薔薇の間》にお願い。―-さ、ミス・エレン、お待たせしました。お入りになって。祖母と姉が待ちかねていますわ」
「ミセス・ロングフェローは御在宅ではないの?」
「彼女は週末はコーン州にあるお兄様のお家に帰っているの。いつも月曜日の夕方に帰ってくるわ」
エセルに促されて玄関広間の左手のドアをくぐると、そこはいかにご婦人好みの瀟洒な応接室だった。
足元には淡いブルーの絨毯が敷かれ、家具はみな白く、一対の青いソファのあいだに置かれたローテーブルの真ん中に白い花籠が据えられ、淡いクリーム色の秋薔薇が溢れんばかりに活けられている。
その花かごの向こう、ソファと揃いの青い肘掛椅子に、たっぷりと袖の膨らんだ襞飾りの多い黒いドレスをまとった白髪の老女が坐っていた。
大ぶりな鷲鼻と三日月形にしゃくれた顎。
薄い耳朶に黒玉を連ねた長い耳飾りを垂らしている。
「お祖母さま、お客様よ」と、エセルがエレンを見やりながら言う。「セルカークのミス・エレン・ディグビー。――ミス・エレン、祖母のミセス・アルマ・リヴィングストンよ。それから姉のシビル。勿論知っているでしょうけれど」
「初めましてミセス・リヴィングストン。ご紹介に預かりましたエレン・ディグビーです。ミス・リヴィングストンはお久しぶりです」
慣れた挨拶を機械的に述べながら、エレンは職業調査官の視線で目の前の婦人たちを眺めた。
ミセス・アルマ・リヴィングストンは八十をだいぶ越えていそうだが、見たところまだまだ活力がある。
口元をへの字に曲げ、何もかもが気に喰わないといった表情で、片眼鏡を直しながらジロジロとエレンを観察している。
エレンから見て左手のソファに座ったシビル・リヴィングストンは、勿論真っ黒な喪服姿で、繻子のフリル付きの平たい室内坊の縁から黒い短いヴェールを垂らして顔の殆どを隠していた。
顔も膚も見えないが、ボディのぴったりとした仕立ての喪服に包まれた体躯は、エレンの覚えている十八の頃の彼女と変わらない華奢さを保っている。
たっぷりと広がる黒いスカートの上に慎ましやかに重ねられた細い手が雪花石膏の細工物のように白い。
小さな爪は美しい桜色だ。
彼女はどうやら心のすべてを少女時代の恋人の記憶と母の墓の下に葬ってしまったわけではないようだ――と、エレンは見当をつけた。
日々部屋にこもりきりでも、少なくとも丹念に爪を磨く気力はあるのだ。




