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第二章 ローレル荘のブラック・レディたち 2

 ローレル荘はジキル・パークの北側の高台にあった。


 エレンが想像していたよりもずっと広そうな、瀟洒な鉄柵に囲まれた敷地のなかに、いっそ鬱蒼たる――と呼びたくなるような庭木が茂っている。

 荘の名の由来は、南側に設けられた表門の左右に植わった一対の月桂樹だろう。



 ――さすがに《商人王》リヴィングストン家の別荘(ヴィラ)ね。これが一応はタメシス市域に属するとは信じられないわ……



 表門は閉ざされていた。

 内側の右手に真新しいピカピカ光るブリキの甲冑型の自動機械人形(オートマタ)が一体立っている。

 最新流行の門衛人形、フォートナム魔術工房作成の《ブリキの木こり》だ。

 目庇の下に切れ込む細い隙間の最奥で、動力源と思われる焔玉髄(フラグマータ)が鈍く赤く光っている。


 門前に貸し馬車が停まってエレンが降り立つと、ちょうど人間の男ほどの背丈の自動機械人形が、ギギギギギ、と微かな音を立てて首を回してきた。

「ライキャク。ナノレ」

「セルカークのエレン・ディグビーよ」

「アイコトバハ」

「バロン・レッドボーガン」

 昨日アシュレ・リヴィングストンから教えてもらった合言葉――これはかなり不定期に変更して、身内と親しい友人にだけ教えてあるらしい――を、馬車で待つ御者に聞こえないよう小声で伝えると、《ブリキの木こり》はまたギギギギ、と動き、緩慢な仕草で門の閂を引き抜いた。

「ハイレ」

「ありがとう」

 一応礼を言う。


「お嬢さん、お荷物はいかがいたします?」と、門の外から声がかかる。

「玄関まで運んで頂戴」

「承りました――って、うわああ、おい襤褸人形、なんで閉めちまうんだ!?」

 御者が頓狂な声をあげる。


 慌てて振り返れば、今しがたエレンが通ったばかりの門を、《ブリキの木こり》が無情にもギギギギギっと閉めているところだった。


 エレンは微苦笑した。

「一回の合言葉で入れるのは、どうやら一人のようね! 悪いけれどしばらく待っていてくれる? このお邸の従僕に取りに来てもらうから」

「承りました」と、御者はふてくされ顔で応じた。



 青々と葉を茂らせる山毛欅の木立――庭木だが殆ど木立みたいなのだ――のあいだの白い砂利敷きの道を進むと、じきにすぐ前に南国風のオレンジ色の瓦屋根の三階建ての石造りの邸が現れた。


 右手の車寄せに、ピカピカした黒いボディのタウンコーチ型の馬車と華奢な二輪馬車が停まっている。左手は芝生で、温室と思しきガラス窓が張り出している。

 重厚なマホガニーの大扉の左手に垂れる呼び鈴の鎖を引っ張るなり、すぐに扉が開いて、立衿のシンプルな仕立ての黒い喪服姿の若い女性が現れた。


 エレンと同じようなすらりとした長身細身の女性だ。

 簡素なシニヨンに結ったダークブラウンの髪。

 彫りの深い浅黒い貌。

 眉が濃く鼻梁のがっしりとした面長の顔は美しいとは言えなかったが、長く濃く反の少ない睫やくっきりとした唇に独特の魅力がある。



 服装と髪形が一見質素に思われるほどシンプルであるため、エレンは相手を主人に付き合って喪服を着ているハウスキーパーか、あるいは話に聞いているリヴィングストン姉妹の画と外国語の教師だというミセス・ロングフェローかと思った。


 しかし、すぐに、相手のドレスが最上級の絹で仕立てられていることや、前身頃に並んだ細かな釦が上質の黒玉(ジェット)であること、耳朶に大粒の黒真珠が飾られていることなどに気付いた。

 そして膚と髪の光沢。

 一見の印象よりもずっと若い娘だ。


 そこまで考えたところでエレンは愕いた。

「――ミス・エセル?」



「ええ。お久しぶりねミス・エレン・ディグビー。あなたは今もきれいね!」と、女性――リヴィングストン家の次女エセル・リヴィングストンは、濃い深い紅薔薇を思わせる唇に歪んだ笑みを浮かべて応えた。

黒貴婦人(ブラック・レディ)たちの邸へようこそ。ご安心なさって。リヴィングストン家が実は困窮していて取次のメイドも置けないってわけではないから」

「そんなこと思うわけないでしょう」と、エレンは苦笑した。「フォートナム工房の門衛人形一体を買うだけでキッチンメイドなら三人雇えるわ」

「さすがに詳しいわね。外に出ている人は違うわ」

 エセルはそう言ってややヒステリックに笑った。

 大人びた面立ちのために年かさに見えるため、そんな笑い方はエセルには似合わなかった。

 しかし、考えてみれば彼女はまだ二十三なのだ。

 エレンは目の前の若い娘が急に気の毒になった。


 五年前、エレンが最後に熱心にタメシス上層中流階級(アッパーミドル)の社交界に顔を出していたシーズン、エセルはちょうど十八で、社交デビューしたばかりだった。

 地主階級からは一段落ちるとはいえ、タメシスでも指折りに富裕なリヴィングストン市長の次女の存在は、元気がよくて才気煥発で乗馬の好きな御令嬢として、やや齢の離れた――と、僅差にこだわる若い娘のあいだでは思われていた――エレンでもよく知っているほどだった。

 その彼女がもう二年以上も、喪服姿で姉と祖母とともに郊外に引きこもっているのだ。


「――ミス・エセル」

 エレンは思わず呼んだ。

「何?」と、若い娘が尖った声で応える。

「ええとね、実は門の外に御者を待たせてあるの。誰かやって荷物を取りに行かせていただける?」


「ああ」と、エセルが苦笑する。「あの頭におがくずが詰まったみたいな《ブリキの木こり》の仕業ね! あんな門衛を置くくらいなら、救貧院からまじめな元・門衛のお爺さんでも引き取って番をさせておけばいいのに。待っていて。すぐに厩番にとりに行かせるから。この邸の男手は厩番のサムだけなのよ」

 と、言い置いて、エレンが遠慮するのも構わず、すぐさま外へ出ていってしまう。

 いかにも物慣れた様子だった。


 エレンは思った。

 どうやらこの別荘の雑務を取り仕切っているのは若きエセル・リヴィングストンらしい。

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