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第九章 シャル・ウィ・ダンス? 3

 じきにまた儀典長がトランペットを吹き鳴らした。


「誉あるタメシス市民諸氏およびご婦人方、市長閣下(ロード・メイヤー)の入場です!」


 人々の目が一斉に、儀典長のいる入り口と向かい合う位置にある黒い両開きの大扉へと集まる。

 数秒おいて扉が外から開かれ、黒い毛皮の縁取りのある古風な赤いローヴ姿のアシュレ・リヴィングストンが入ってきた。

 広間中から拍手が湧きおこる。


 すでに八年連続して市長を務めているアシュレは余裕のある笑顔で一同を見回し、娘たちと二人の貴公子、ついでに一人の魔術職人が連れ立っているところに目をやると、一瞬だけ表情を曇らせたものの、すぐにまた笑顔に戻って、いかにも嬉しそうに両腕を広げてみせた。


「皆さま今日はよくお集まりくださいました。ご選出に感謝いたします。こんな老いぼれの挨拶はみなもう聞き飽きておいででしょう。早速ダンスといきましょう」

 晴れ晴れとした明るい声に観衆がどっと湧く。

 アシュレはますます笑みを深めると、広い赤い袖を翻して背後を振り仰ぎ、中二階の演奏席で待機している楽団に命じた。


「音楽を!」 


 途端にヴィオラの楽団が軽快な三拍子の音楽を奏でだす。

 最新流行のアルマン風の速い三拍子の円舞曲(ワルツ)だ。


 若いヨハン・ゲオルクが目を輝かせる。

「私の祖国の曲ですね! エセル、どうか踊ってください!」

 はしゃいだ十五の少年みたいに恋人の手を取るなり、観衆の注視を気にも留めずに大広間の真ん中で踊り始める。

 その姿にアシュレ・リヴィングストンの水色の目が零れんばかりに見開かれた。


 シビルが明るい声を立てて笑い、

「トニー、わたくしたちも踊りましょ!」

 と、はにかむ求婚者の手をとって端っこで踊り始める。


 誉ある市民諸およびご婦人方の視線は、どちらもそれぞれ思いもかけない相手と踊り始めたリヴィングストン姉妹に釘付けだ。

 軍服姿のエドガーと、たぶんもう一人の付添役(シャペロン)に見えているのだろうシンプルなドレスのエレンのことは誰も見ていない。


 

 ――舞踏会で全く注目されないというのは、なんだかおかしな気分ね……



 際立って端正な美貌を備えたエレンは、ほんの少女のころから、社交の場では誰よりも注目されるのに馴れていた。こんなふうに壁の花になるのは生まれて初めての経験だ。


 不愉快ではないが不思議な気分だった。


 こういうときはどういう表情をしていればいいのかと戸惑っていると、エドガーが気安い口調で訊ねてきた。

「なあミス・ディグビー、われわれも踊らないか?」

 エレンは一瞬躊躇ってから笑った。

「悪くありませんわね」

 心のままに振る舞えるなら、パーティーのわき役になるのもたまにはいいものだ。



「ところで卿―-」

 踊りながら訊ねてみる。

「その軍服はどういう変装ですの?」


「変装じゃないんだな、これが」と、エドガーが妙に得意そうに言う。「われわれの小さな世界の習慣では、代々のスタンレー卿が、コーダー&ハッティンガム陸軍歩兵連隊の連隊長を務める慣わしなのさ。もしよければキャルスメイン大佐と呼んでくれたまえ」

「それは初耳でしたわ大佐(カーネル)」と、エレンは鼻を鳴らした。「称号に付随する数ある名誉職のおひとつでしょう?」

「まあね。今まではそうだったが」と、エドガーが不意に声を潜め、エレンの耳元に顔を近づけて囁いた。「ここだけの話だよ。十一月に新議会が開催されたら、そこで我が世の春とばかりに踊っているロートボーゲンが、王太子妃殿下の祖国たるファーデン選帝国からの代理公使という立場で、大陸への陸軍の派兵を要請する予定なんだ。もし派兵が決定された場合、わがコーダー&ハッティンガム連隊も出兵を命じられる。大陸での戦いでは第一陣を務める伝統があるんだよ」

「それは――」

 エレンはどうにかそれだけ言葉を絞り出した。

 あまりにも思いがけない話だったのだ。


「あなたが本当に指揮をする必要がありますの?」

「勿論、実戦の指揮は熟練の中佐がとるだろうがね。コーダーの名を冠した連隊が出兵するのに、コーダー州に広大な土地を所有するわが一族の男が誰も矢面に立たないわけにはいかないよ。それはあんまり無責任だ」

「弟君は?」

「あいつはスタンレー卿じゃない。単なるミスター・キャルスメインだ。だからまあ、そのためにこの秋から冬にかけて、僕は懐かしきコーダー州に帰って兵営暮らしを始めることになったのさ。今年の狐狩りはお預けだ。スタンレー荘中の狐とアナグマが大陸の皇帝僭称者に感謝しているだろうよ!」

 エドガーの口調はごくごく日常的なものだった。

 彼にとって、名誉の称号に付随する勤めを果たすことは当然の義務なのだろう。

 この人は本物の貴族だ――と、エレンは初めて思った。


「どうしたミス・ディグビー、黙り込んでしまって。もしかして心配してくれるのかい?」

 エドガーが揶揄うように訊ねてくる。

「ええ、勿論心配ですわ」と、エレンは顎をあげて応えた。「あなたに指揮される連隊がね!」

「それでこそ君だよ、わが諮問魔術師どの!」

 エドガーは声を立てて笑うと、不意に身をかがめて、エレンの額に軽いキスを落とした。


「僕は無事に帰るよ。心配しないで」


 エレンは咄嗟に何も答えられなかった。


 賑やかで明るい円舞曲が響き続けている。

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― 新着の感想 ―
縺れた赤い糸が綺麗に解けて、姉妹それぞれが幸せになれそうで良かったです。 それにしても、大陸の情勢は厳しくなっていくばかりのようですね。我らが色男、スタンレー卿も大陸に行ってしまうのでしょうか。 地政…
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