第九章 シャル・ウィ・ダンス? 2
二日後の九月二十九日、聖ミカエル祭の祝日に市庁舎でタメシス市長選が行われ、だれもが予想していた通り、毛織物組合長アシュレ・リヴィングストン氏が継続して市長職を務めることに決まった。
翌日の月曜日、首府近郊の上層中産階級の社交シーズンの最後を飾る大行事、市長就任祝賀舞踏会が開催された。
前日にドロワー通りの事務所兼下宿に戻っていたエレンは身支度を整え、夕方前に辻馬車で市庁舎に向かってリヴィングストン姉妹と合流することになった。
本日のエレンの服装は深みのある柘榴石色のシンプルな琥珀織のドレスと雫型のルビーの耳飾りだ。赤みがかったブロンドを敢えてタイトなシニヨンに結い、ドレスと色調の似たバーガンディ色の口紅を塗っている。
「ミス・エレン! あなたなんて綺麗なの!」
辻馬車から降り立ったエレンを見とめるなり、市庁舎正面の列柱のあいだから、白地にくすんだ花を散らして襟元に黒いレースをあしらった品の良いドレス姿のシビルが、頬を薔薇色に紅潮させて駆け寄ってきた。
彼女の後ろに、白いシャツにだぶだぶの黒い上着と灰色地に緑の格子縞のウェストコートという粗末な正装に身を包んだトニー・ウィルソンが緊張しきった面持ちで付き従っている。
「ミス・リヴィングストン、あなたもとても綺麗よ」と、エレンは遠い昔からの親友みたいに飛びついてきたシビルの華奢な躰を軽くハグしてから、彼女の来た方角へと視線を向けた。
列柱のあいだには、思った通り、エセルとミセス・ロングフェローもいた。
ミセス・ロングフェローの正装は思ったとおりのけばけばしさだ。
エセルは目が覚めるように鮮やかな真紅のドレス姿で、艶やかなダークブラウンの髪を緩やかな三つ編みにして背に流し、ところどころに星を象った銀と真珠の小さな髪飾りを散らしていた。
その表情は暗い。
「ミス・エセル。今夜のあなたは狩りの女神のようね。本当に美しいわ」
エレンが心からの讃嘆を告げると、エセルはわずかに眉をあげて嗤った。
「素敵なお世辞をありがとう。勇ましき狩りの女神は、大抵の男性は好まないものよ」
「そうとは限らないわよ」
エレンがむきになって言い返しても、エセルは暗い笑いを浮かべるばかりだった。
エレンの欲目ではなく、その夜のエセルは本当に美しかった。
三重のシャンデリア一杯に蜜蝋燭をともした舞踏の大広間へと入れば、老若男女の視線が一斉に集まってくる。
シビルとトニー・ウィルソンは、そんな大輪の薔薇のようなエセルと、こちらも実はものすごく人目を引いているエレンのあいだに挟まって、これから処刑台に赴かんとする駆け落ちカップルみたいに、互いに手の指を絡み合わせて唇を引き結んでいた。
「よろしいですかミス・リヴィングストン、それにミスター・ウィルソン」と、付添婦人のミセス・ロングフェローが後ろから囁く。
「市長閣下の仰せの通り、ロートボーゲン男爵閣下は、この舞踏会においでになって、ミス・リヴィングストンに求婚する予定です。シビル、あなたはご自分でお断りするのですよ?」
ミセス・ロングフェローが脅しつけるように言う。
「ええ。分かっているわ」と、シビルが蒼褪めた顔で頷き、こちらも強張り切った表情のウィルソンを見あげてぎこちなく笑ってみせた。
「トニー、大丈夫よ。わたくしはヨハン・ゲオルクを知っているわ。ほんの少年のころに何度か言葉を交わしただけだったけれど、優しいいい子だった。きっと優しい良い男性に成長しているはずよ」
「――そんな素晴らしい方からあなたを奪うと思うと、いまだに心が痛みます」
「奪うなんて言わないでよ」と、シビルが薔薇色の唇を尖らせる。「わたくしがあなたを選んだのよ」
ちょうどそのとき、大広間の入り口でトランペットが吹き鳴らされ、正装の儀典長が高らかな美声で告げる。
「市民諸君、ご注目あれ! 市長閣下就任の御祝のため、ロートボーゲン男爵閣下およびスタンレー卿が御来場くださりました――!」
――え、スタンレー卿?
エレンはぎょっとした。
目を向けると、トランペットに促されて自然に二手に分かれた市民諸君のあいだを、二人の人物が進んでくるのが見えた。
手前を来る豊かなホワイトブロンドの巻き毛を背に垂らした大柄な若い貴族が、ロートボーゲン男爵ヨハン・ゲオルクなのだろう。
縁に幅広のレースをあしらったクラバットを巻き、光沢のあるダークグリーンの裾広がりの上着に金刺繍入りのウェストコートを合わせて、白絹のストッキングに白い半ズボンを重ねている。
いかにも大陸の貴族らしい花やかな装いの若者の後ろを来る人物は、立襟の細身の赤い上着と白いズボン、黒い長靴という陸軍の高位将校の軍服姿だった。
そのため、エレンは一瞬、その人物をロートボーゲン男爵の護衛だと思いかけた。
だが、すぐに気づいた。
覚えているより短くなった黒い巻き毛に縁取られた甘く整った顔と、印象的な明るい琥珀色の眸。
エドガーだ。
なぜ軍服を身に着けているのだろう?




