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第八章 切抜帳と月長石 3

 さて、同じ日の夜である。

 エレンは白麻の寝間着姿で、本来はシビルの寝室である《絵画室》の隣室に臨時に運び入れた寝椅子(ディヴァン)に横たわっていた。天蓋付きのベッドのほうにはエセルが身を横たえている。


「ねえミス・エレンーー」

 と、ベッドのエセルが小声で訊ねてくる。

 どうやら眠れないらしい。

「あなた、本当にまたあの男の――リカルディの使い魔が来ると思っているの?」

「ええ」と、エレンは頷き、ベッドサイドのテーブルに視線をやった。

 そこに置かれているのは《(しるべ)月長石(ムーンストーン)》だった。

 シビルをどうにか説得し、肌身離さず身に着けていたものを夜だけ手放して貰ったのだ。


「わたくしは思うのよ」と、エレンは慎重に言葉を選びながら説明した。「《アントニオ・リカルディ》を名乗っていた魔術師が初めにこの部屋を荒らした目的は、何かを捜すためだったのではないかと」

「その何かというのが、シビルのペンダントだと?」

「ええ」と、エレンはやるせなく頷いた。「《リカルディ》がわたくしの想像する通りの人物だったとしたら、彼はミス・リヴィングストンが誰からも祝福される結婚をすることを望んでいる――自分のことを忘れてロートボーゲン男爵と結婚することをこそ、望んでいる気がするの。だから、自分との思い出の縁になるペンダントを持ち去りたかったのではないかしら」

 言葉が終わると沈黙が落ちた。

 エレンはエセルが、「それじゃあの脅迫状は?」と問い返してくるのを待った。


 しかし、エセルは石のように押し黙ったままだった。

 エレンは飲み込みがたい何かを飲み下すように認めた。



 ――ああ、やっぱりあの脅迫状は……



 そのときだった。


 エレンは右頬に風を感じた。


 暖炉の開口部のほうだ。

 同時に、まるで初夏の雨上がりの庭で薄荷を踏んだときのような濃く爽やかな芳香が漂ってきた。


 同じ風と薫りを感じたのだろう。ベッドのエセルが上体を起す。



「ミス・エレン、これは」

「ええ」と、エレンも起き上がりながら頷いた。「《リカルディ》が使役する空気精霊(エアリアル)でしょうね。――動かないでミス・エセル。たぶんすぐ去っていくから」


「リカルディがそのペンダントを捜しているってこと?」と、エセルが怯えた声で訊ねる。「まさか毎晩こうやって捜していたの? わたくしたち隠れなくていいの?」


「大丈夫よ。空気精霊(エアリアル)が使役者に伝えられるのは命じられたことへの答えだけ。彼はおそらく、『自らの魔力(グラマー)を注がれた魔具を捜せ』と命じているはず。前の時も事前にそうして捜して――留守を狙って、また暖炉から人面鳥(ハーピィ)を侵入させて《月長石》を持ち去ろうとして、失敗したのでしょうね」

 エレンが小声で説明するあいだに、見えない風が芳香をまき散らしながら部屋中を丸く吹き抜け、ふわりとカーテンを膨らませてから、また暖炉の開口部へと吸い込まれるように消えていった。

「いよいよよ」と、エレンは囁いた。「明日からみなで邸を空けましょう。人面鳥(ハーピィ)は必ずまた現れるはず」




 二日後、ローレル荘の「黒貴婦人(ブラック・レディ)たち」は、全員がサムの御す自家用馬車に乗り込んでタメシス市域のリヴィングストン本邸へと向かった。三日後に迫った聖ミカエル祭の市長選のあとの祝賀舞踏会の衣裳を整えるためだ――と、使用人たちには伝えられた。

 若いメイドのアンヌマリーは、臨時の有給休暇を貰うついでに、フォートナム魔術工房へ、アルマ大奥様からの急ぎの手紙を届けるようにと命じられた。

 アンヌマリーは工房のカウンタにいた顔なじみの若い職人に、「誰にも秘密だけどね?」と前置きして、ローレル荘の婦人たちが舞踏会の支度のために本邸へ戻っていることを仔細に語り尽くした。



 同じ夜、無人の――少なくともトニー・ウィルソンは無人だと信じていた別荘の二階に再び人面鳥が侵入した。


 煙突経由でシビルの部屋の暖炉へと入り込んだ使役魔を待ち受けていたのはぽっかりと暗く虚ろな空洞だった。

 暖炉の開口部に、口をあけたワインの古樽が突っ込まれていたのだ。

 憐れな人面鳥は樽の中でキエーーーっと叫んだ。


 その叫びを合図にして、隣室の暖炉で待機していた火蜥蜴(サラマンダー)が、別の煙突を経由して夜空へ羽ばたきでるなり、小さな焔の弾丸みたいにタメシス市域へと飛翔して、リヴィングストン本邸で報せを待ち受けていた伴侶(パートナー)に告げた。


「エレンよ、彼奴をひっとらえたぞ!」


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