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第七章 ジキル・パークで会いましょう 2

 二日後の午前中である。


 エレンは、本日はタメシス名物馬型の自動機械人形(オートマタ)に引かせた辻馬車に乗って、ドロワー通り三三一番地の事務所から、ハッティントン地区のジギル・パーク南門へと向かっていた。


 ローレル荘からは徒歩で行けるほど近くの公園(パーク)へ行くのに、前日にわざわざ「急用ができた」と偽ってドロワー通りに戻ったのは変装のためだ。


 今日のエレンの服装は、白い長ズボンと金ボタン付きの短い青い上着と黒いブーツ。

 長兄の海軍士官コーネリアスが十代半ばの士官候補生だったころに着ていた軍服である。

 長身痩躯で中性的な美貌のエレンがそんな服装をすれば、魔術による《目晦まし》を用いなくても、美しい顔立ちの少年士官候補生にしか見えない。


 

 辻馬車はじきに広大なジキル・パークの南門に着いた。

「ありがとう。帰りは待たなくていいよ」

 自動機械人形を操る御者に告げて馬車を降りると、外にはうっすらと霧が立ち込めていた。

 エレンは後悔した。



 ――この天気じゃ、いくら社交シーズンの最後とはいえ、乗馬に来ている紳士淑女は殆どいなそうね。変装は必要なかったかもしれない。



 タメシス近郊の上層中産階級(アッパーミドル)にとっての社交シーズンは通常六月から九月だ。

 その最後を飾る大行事が、九月二十九日の聖ミカエル祭に行われるタメシス市長選挙と、翌日に開かれる市長就任祝賀舞踏会なのだ。

 十八歳の六月の聖ヨハネ祭の舞踏会で未来の結婚相手と出会い、九月の市長就任祝賀会で婚約のお披露目をする――というのが、エレンの属する階級の若い娘たちにとって最も理想的な人生と看做されている。



 ――わたくしだってその人生設計に従おうとしたことはあったわ。でも、結局従いきれなかった。


 ――わたくしは年々齢を重ねて、そのうち誰にも顧みられない僻みっぽい老嬢になるのかもしれない……



 霧のせいか無性に心が沈んでいた。

 上部に透かし細工の入った華奢な鉄柵に囲まれたジキル・パークの南門には勿論門番小屋がある。

 門番は士官候補生姿のエレンを見ると、ちょっとばかり眉をしかめたものの、特に誰何はせずに通した。


 思った通り、公園内の広々とした芝地を囲む馬道には、殆ど馬の影がなかった。

 エレンは迷いのない足取りで遊歩道を歩いて、公園の真ん中のスネークライク池の南岸へと向かった。


 名の通りクネクネと蛇みたいに曲がった人工池の周りにはほっそりした樺やポプラが植え込まれ、木陰に四阿がしつらえられている。エレンは一番初めに見えた四阿に入ると、湿ったベンチに腰掛け、全身に魔力をまとわせて《目晦まし》をかけた。



 《目晦ましの魔術》の方法は二種類ある。


 ひとつは、相手が服装や特徴から受ける印象そのままに見せかける受動的なやり方で、これは魔力(グラマー)をさほど必要としない。

 もうひとつは、自分が脳裏に思い描いたイメージ通りの姿を見せる能動的なやり方で、こちらは相当に魔力を消費する。

 幻視(ビジョン)を操るようなタイプの術が苦手なエレンは、《目晦まし》を用いるときは大抵前者の受動的なやり方をとっているが、今日だけは特別に、とある特定の人物の姿に自分を見せかけようとしている。



 ――髪の色は薄い茶色。目の色はやや濃い茶色。顔は長くて鼻も長い。顎が少ししゃくれて曲がっている……



 きわめて鋭敏な《魔術師の記憶》でもって、二日前に目にしたトニー・ウィルソンの気弱そうだが誠実そうな顔を思い描く。

 そうするうちに、自分自身の体から立ち上る月桂樹(ローリエ)めいた芳香が少しずつ濃さを増してゆくのが分かった。

 魔力の被膜が厚くなっているのだ。




 じき完全に《目晦まし》が完成したころ、右手の木立の向こうから、馬を連れた人影が近づいてくるのが見えた。



 柔らかく煙る霧のなかを四阿へと近づいてきたのは、額に白い斑のある艶やかな栗毛馬を連れた長身の貴公子(プリンス)だった。

 シンプルだが一目で最上級だと分かる乗馬服姿で、黒い巻き毛を洒落た形に調えて白いリボンで結んでいる。

 唇が厚めで睫の濃い甘く整った顔立ち。

 印象的な明るい琥珀色の眸。


 スタンレー卿エドガー・キャルスメイン・ジュニアだ。

 相変わらず、少女が憬れる夢の王子様そのものみたいな姿をしている。



 エドガーが四阿のエレンに目を向けると、幾度か瞬きをしてから訊ねた。


「ミス・ディグビー?」


 エレンは呆気にとられた。

「どうしてお分かりに?」


「どうしてって、君が私を呼び出したんだろう? その士官候補生の変装は前にも見ているし」と、エドガーは当たり前のように答え、まだ魔術の《目晦まし》をまとったままのエレンの姿を上から下まで見回して形の良い眉をしかめた。

「それはどういう変装なんだ? 僕の密かな逢引きの相手としては、あんまりにあんまりじゃないか?」

「すみません。いろいろと念のため」

 答えながらエレンは戸惑っていた。

 エドガーには間違いなく《目晦まし》は通じているようだ。

 それなのに、なぜかエレン自身だと当たり前のように思われている。


「頼むから術を解いてくれよ。久々に君の姿を見られると思って早起きしてきたのに、その善良な馬みたいな若者と鼻突き合わせて会話するなんてあんまりすぎるだろう?」

 エドガーが本気で不服そうに言う。

 口ぶりからして、トニー・ウィルソンが誰なのかは全く分かっていないようだ。

 その事実にエレンは安堵を感じた。

「申し訳ありませんスタンレー卿。ご足労をおかけしました」

 詫びながら《目晦まし》を解く。

 すると、エドガーが心底嬉しそうに笑った。


「ああ、ようやく君に会えた! 久しぶりだねミス・ディグビー。今度はどんな事件の捜査をしているんだ?」

 

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