第一章 タメシス市長の来訪 2
アシュレ・リヴィングストンの話では、シビルのかつての恋人はアントニオ・リカルディと名乗るロマニア生まれの画家兼魔術師で、八年前の六月二十三日、魔術師たちが好んで夏至祭と呼ぶ聖ヨハネの祝日の夜、市庁舎で主催された《あらゆるタメシスっ子たちのための》仮面舞踏会で出会ったのだという。
「あら、あの大パーティーのことならわたくしも覚えていますわ!」と、エレンは思わず懐かしさにかられて言った。「わたくしはダフネ―の仮装をして、長兄のコーネリアスと一緒に参加したんですの。本当に、タメシスに住むあらゆる方々が参加していたわ」
「そうなんだよ」と、アシュレは苦々しげに応じた。「それがあの世間知らずのシビルにはわざわいしてね。あの娘はそこでどこの馬の骨とも分からない魔術師風情に誑かされ、こともあろうに結婚したいと言い出したんだ!」
と、ここまで激しく憤ったところで、アシュレはようやく目の前で眉を吊り上げている麗しき御令嬢もまた魔術師であることを思い出したようだった。
途端、アワアワと両手を振り回して弁解する。
「ああ、ああミス・エレン、私はもちろん魔術師という職業そのものを軽んじているわけではないんだよ? あなたみたいにきちんとした係累のある地主階級の御令嬢が社会奉仕のために身を捧げていることを侮蔑するつもりは全くないし、魔術師にだって今のタメシス魔術師組合長のサー・フレデリックみたいに爵位のある尊敬すべき身分の方々がいらっしゃることは重々承知している。しかし、あの浅はかなシビルがのぼせ上ったのは、爵位もなければ財産もない、本当に単なる流れ者の外国人だったからね、父親としては到底結婚を許してやるわけにはいかなかったんだ。それは当然だろう?」
心に咎める点でもあるのか、妙に気弱に同意を求めてくる。
エレンは心のなかのモヤモヤッとした苛立ちを堪えて頷いた。
「ええ市長閣下。あなたのお立場からすれば仕方ありませんわ」
「そう言ってくれて嬉しいよ」と、アシュレはあからさまに安堵の表情を浮かべた。
アシュレの言葉通り、開業魔術師という職業は、連合王国の上層中産階級のあいだでは、無条件で大いに尊敬されているというほどではない。
顧客の身分が高くてある程度高収入なら内科医程度の尊敬を得られるが、何の後ろ盾もない流れ者の外国人となると一気に評価が下がる。
地主階級よりは一段下とみなされる商売人とはいえ、伝統と格式あるタメシス毛織物商組合の重鎮にして八期連続で市長を務めている名士アシュレ・リヴィングストン氏の長女とでは、社会的地位が全く釣り合わないことは確かだ。
「シビルはそのロマニア人と一目でいいから会って欲しい、会って話せばきっといい人だと分かると言うんだが、私は拒絶した」と、アシュレは肩を落として言い、冷めかけたお茶を一口飲んでからため息をついた。
「そして、シビルをそのリカルディとやらと引き離すために、私の老母のアルマが大陸の温泉地ヘッセンヴァッサーへ保養に行くのに無理やりに同行させたんだ。外国語を学びたがっていた次女のエセルも一緒にね。――エセルのことは、ミス・エレン、あなたは御存じかな? とても賢い子なんだよ」と、アシュレは何となく嬉しそうに目を細めて訊ねてきた。
どうやらその次女がお気に入りらしい。
「ええ」と、エレンは頷いた。「わたくしが社交の場に顔を出していたのはもう五年近く以前のことですけれど、ミス・エセルのことは勿論よく覚えていますわ」
連合王国の中産階級の習慣では、長女は敬称に家名で、次女以下は敬称+個人名で呼ぶのが普通だ。
ディグビー家の次女であるエレンは、仕事の場ではこの頃大抵「ミス・ディグビー」と呼ばれているものの、アシュレのような大体同じ階級に属する知人からは、今もって「ミス・エレン」と呼ばれることが多い。
「あの子ももう二十四になってしまうからね!」と、アシュレがまた短いため息をつく。「エセルが良縁を見つけるためにも、シビルにはいつまでも別荘に閉じこもっていないでまともな嫁ぎ先を捜してほしかったんだ」
なにやら長女が次女のついでみたいな言い方である。
エレンは少々むっとした。
--お気に入りばっかり贔屓するお父様っていうのはちょっといただけないわね。娘にとっては父や兄の庇護がすべてなんだから、そこは平等にしてくれなきゃ。