第六章 フォートナム魔術工房 3
矢印替わりの髪の毛はピンと鋭く秒針みたいに尖って、フォートナム魔術工房の屋根の上を指していた。
どうやら、昨夜の人面鳥は、間違いなくこの工房に帰ってきたらしい。
――ある意味想定内ではあるわね。
この工房の「若い人」が、口の軽いメイドのアンヌマリーからリヴィングストン家の内情を何か聞いているらしいことは、ミセス・ウォリスからの聞き取りで耳にしている。
魔術工房の雇人なら魔術の心得があってもおかしくはない。
――もしかしたら、アントニオ・リカルディは《目晦まし》を使ってこの工房の雇人の中に紛れ込んでいるのかもしれない。
となると、入ったらすでに捜査開始だ。
思うなり背筋をピリリとした痛みに似た緊張感が走った。
エレンは気持ちを落ち着かせるために深呼吸し、指を伸ばして矢印替わりの髪の毛を摘んで魔力を再吸収してから、上半分に扇型の青と赤のステンドグラスを嵌めた優美な黒い扉を押して工房のなかに入った。
工房のなかはごく微かな金属臭とオリーブオイルの匂いがした。
左右に最新モデルらしい《ブリキの木こり》が何体も並び、壁際の棚には、獅子の頭を象ったノッカーや、金属製の小型の犬などが並んでいる。向かいのカウンタの奥で、白いシャツに赤煉瓦色のベストを重ねた大柄な禿頭の男が何やら熱心に小さい金属部品を見あげている。
この工房の主人であるマスター・レオン・フォートナムだ。
タメシス魔術師組合に属する魔術師で、エレンも組合の会合で遠目に姿を見たことだけはある。
――聞いた話では、マスター・フォートナムはもう先々代の組合長の頃からオールドゲートに工房を構えていたはず。親方の正体が実はリカルディだったって線は、まずもってありえないはず。
エレンが入り口で足を止めているあいだ、気づいているのかいないのか、フォートナム親方は顔ひとつあげずに手を動かし続けていた。
カッカッとわざと大きくヒールの音を立てて近づくと、ようやくに顔を上げ、ぎょろっとした黒い目で胡散臭そうに見上げてくる。
鼻の下に細い黒い口髭を生やした厳つい貌の男だ。
近づくと店内と同じ微かな金属臭とオリーブオイルの匂いと、ほんの少しだけウィスキーの樽のような匂いがする。
薄荷の爽やかな芳香は全く感じられない。
「何用ですかなご婦人。当方は魔術工房ですが?」
「ええ、それは見れば分かりますわ」と、エレンはわざと権高に応えた。「わたくし、ミス・テルマ・ディグビーと申します。市長閣下のお嬢さんがたに画を教えておりますの」
「あのお嬢さんがたの画の先生はミセス・イライザ・ロングフェローだった気がするが」
「……彼女は少々体調を崩しておりまして。わたくしがしばらく代理に」
「代理教師か。ご苦労さんだねお嬢さん! で、今日は何の用だい?」
エレンの――というより、代理教師テルマ・ディグビーの社会階層を使用人の最高峰と見積もったのか、フォートナム親方の態度が急にざっくばらんになった。エレンは再び精一杯顎をそびやかした。
「実は、別荘のメイドの一人がアルマ大奥様からおしかりを受けましたの。こちらの工房の職人の誰かに、お嬢さまがたのご交際について、あることないこと噂話を聞かせたといって。ローレル荘の《ブリキの木こり》のメンテナンスに通っている職人を出して。彼が何をどこまで聞いているのか確かめなければならないの」
髪の毛の指し示しがなかったとしても、フォートナム魔術工房にはもともと聞き込みに来る予定だった。予め考えておいた口実を告げると、親方はしばらく考えてから、不機嫌そうに唸ると、首をくるっと後ろに向けて、背後に吊るされた油じみた白っぽいカーテンのほうへと怒鳴った。
「おいトニー・ウィルソン! お前に美人の客だぞ!」