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第六章 フォートナム魔術工房 2

 翌日である。


 エレンは再び本物の馬の引く貸し馬車の乗客となって、タメシス市内(シティ)の東側のオールドゲート通りへと向かっていた。


 本日の服装は、襟にも袖口にも幅広の二重のフリルを施した薄クリーム地に黒い水玉のブラウスと、大きな緑の模造宝石を嵌めた黒エナメル塗りの幅広のベルト。

 膝のあたりをきゅっと絞って裾だけフリル状に広げた光沢のある黒い繻子(サテン)のスカートと、踵にこれも模造ダイヤモンドを飾った黒エナメルのピンヒールだ。

 派手な服装にふさわしく、特徴的なストロベリーブロンドは思い切り縮らせてうずたかく結い上げ、眉は黒く細く、唇はくっきりと赤く塗り立ててある。


 シンプルで上質の服装が好みの普段のエレンだったら決して選ばない、古風な舞台女優みたいに派手な服装は、「シビルのために何としても一刻も早く事件の解決を!」と息巻くミセス・ロングフェローが勇んで貸してくれたものだ。


 高い背丈と濃い麝香(ムスク)の香水のために、もしかしたらアントニオ・リカルディが《目晦ましの魔術》によって女装しているのかも……と、エレンが密かに疑っていたミセス・ロングフェローだったが、昨日、恐るべきことに屋根の上にずっと存在していたらしい人面鳥(ハーピィ)が飛び立ったときにも《目晦まし》が綻びる様子がなかったために、エレンのなかで、彼女への疑いは八割がた解けている。

 個々人の得手不得手にもよるものの、《目晦ましの魔術》は割合集中力を有するうえに、魔力(グアマー)の消費量も相当のものである。使役魔を呼び出した状態で常時その術を行使できる魔術師は滅多にいないはずだ。



 ――ミセス・ロングフェローはコーン州のネルソン家の出身という話だったわね。その点についてはロビヤール寄宿学校のアボット姉妹に問い合わせるとして――ミセス・ウォリスの経歴と評判についても、念のため、うちの家政婦兼秘書のミセス・マディソンに問い合わせたほうがいいわね。あとは……



 馬車のなかで膝にワインレッドの革表紙のノートを広げ、鉛筆の尻を顎に当てて今後の捜査の計画を立てる。

 頭の隅にずっと引っかかっているのは、勿論、シビルの部屋で見た「アントニオ・リカルディ」の肖像のことだ。

 あの顔はものすごくエドガーと似ていた。

 もし彼に弟がいたらきっとあんな顔だろう。


 そこまで考えたところでハッとする。



 ――あら、そういえばスタンレー卿には弟君はいらっしゃるわね。でも、確か七歳年下だったはず。



 当年二十三歳のコーダー伯爵家の次男は、八年前は十五歳だ。

 となると、さすがにあの肖像画の美青年が次男のほうだったとは考えにくい。



 ――スタンレー卿は今はまだオータムフェア地区のタウンハウスにおいでなのだから、一番早いのはじかにうかがうことなのだけれど――



 でも、一体どう訊いたらいい?

 お久しぶりですわねスタンレー卿。あなた、八年前にロマニア人魔術師のフリをしてミス・シビルと内緒で婚約なさいました?


 そう訊ねる自分を想像しただけで、急に髪を掻きむしって何か叫びたくなる。

 何を馬鹿なことをと笑い飛ばして貰えればまだしも、うん、実はそうなんだ――と、あの甘い美貌によく似合う憂鬱(メランコリック)な表情を湛えて打ち明けられてしまったら、一体どういう反応を返せばいいのだ?



 ――ああもう、やめやめ! あの方のことはとりあえず後で考えましょう。今のところ何が何やらさっぱり分からないのだから。



 エレンがどうにか自分にそう言い聞かせていたとき、馬車がガタリと停まったかと思うと、車外から御者が呼びかけてきた。


「奥様、着きましたぜ! オールドゲート前でさあ!」

「ありがとう。戻りがいつになるか分からないから待たなくていいわよ」


 

 馬車を降りるなり、街中特有のむっとするような馬糞と石炭の煙の入り混じった臭気が鼻を突く。

 オールドゲートの近辺には職人の工房が多い。

 働く者の活気に満ちた午前中の街路では、飾り立てられたホロホロ鳥みたいなエレンの姿はやたらと人目についた。継のあたった木綿のシャツの袖を捲ってフェルト帽をかぶった職人連中が、賛美というより好奇の視線を無遠慮に向けてくる。

 エレンはことさらツンと顎をそびやかして、細い踵が石畳の隙間に嵌まりこまないよう気をつけて足を運び、ひとまず手近の路地の口に入ると、額にかかる赤みがかった金髪の巻き毛を一本だけ引き抜いた。ツン、と皮膚に痛みが走る。


 黒いレースの手袋を外し、掌の上に髪をおいて魔力をこめる。


「お前の仲間を捜しなさい。わたくしの体の外で」


 囁くなり、くるりと縮れた髪の筋が手の上でピンと伸びたかと思うと、か細い一筋の矢印みたいに斜め右手の上方を射した

 エレンがその向きへと息を吹きかけるなり、極細の矢みたいに斜めに飛翔していく。


 目を凝らしながら追いかけたエレンは、視線の先に飛び込んできた看板に思わず瞠目した。


 髪の矢印の先にあったのは、街路へ張り出す黒い格子窓を備えた赤煉瓦造りの一戸建ての二階家だった。

 入り口から突き出す黒い四角い看板に、金色の飾り文字で、

「フォートナム魔術工房」

 と記されている。


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