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第五章 屋根の上の番人 2

 ミセス・ウォリスの身長は五フィート一インチ〈約155㎝〉そこそこ。

 近づいてくると清潔な衣類から漂う微かなカモミールの薫りと、どうやら髪に染みついているらしい脂っぽい匂いの入り混じったごく薄い匂いがした。

 


 ――《目晦ましの魔術》という点では、彼女は完全にシロね。



 エレンはそう結論付けた。

 では早速聞き取りだ。


「この別荘(ヴィラ)には長く務めているの?」

「ここ六年ほど」と、料理番(コック)が慣れた手つきで椀に茶を注ぎながら答える。「ミルクはいかがなさいます?」

「たっぷりお願い。今日わたくしが――ミスター・リヴィングストンから依頼を受けた諮問魔術師が来ることは、事前には聞いていなかったのね?」

「お客様があるとは聞いておりましたが」と、ミセス・ウォリスが茶にミルクを注ぎながら答える。「旦那様はご家庭内の私的な事情を使用人にお話しなさる方ではありません」

「それじゃ、六月三十日にこのお邸内で生じた事件の詳細についても、あなたがたは何も知らされていないの?」

 エレンが茶碗を受け取りながら単刀直入に訊ねると、ミセス・ウォリスは一瞬躊躇ってから首を横に振った。

「片付けたのがわたくしたちですからね。いくらかは聞いております。シビルお嬢様の名誉に関わることですから他所では他言無用と旦那様から命じられておりますが――旦那様が調査をお願いしたということは、あなた様はすべてご存じなのですね?」

「ええ。だから安心して話して頂戴。シビルはわたくしの友人よ――少なくともわたくしは友人だと思っている。彼女の不名誉になるようなことは決してしません。ただ、ちょっと訊きたいことがあるの」

「何でございましょう?」

 シビルの友人――という誇張表現が功を奏したのか、ミセス・ウォリスの態度がいくらか軟化した。

 エレンはサンドイッチをひとつ取り上げながら口を切った。

「そもそもの事件の発端となった例の求婚の話、あれはあなたがたの耳には入っているの?」

 料理番が一瞬躊躇ってから頷く。「はい。――お嬢様が貴族と結婚するというのはタメシス市長のイメージとしてはそれほど好ましくないから、聖ミカエル祭の市長選が済むまではそちらも他言無用と申し付けられておりますが」

「でも、少なくともあなたは知っているのね? サムとルイーズとアンヌマリーは?」

 使用人全員の名前をよどみなく挙げてみせると、料理番の態度は目に見えて軟化した。

「サムは知らないと思います。ルイーズとアンヌマリーは知っているでしょう」

「じゃ、ロートボーゲン男爵がミス・リヴィングストンに求婚しているという話を今の時点で知っているのは、リヴィングストンご一家とミセス・ロングフェローの他には、あなたがた三人の家内使用人だけと考えていいのね?」

 訊ねるなり料理番が黙り込んでしまう。


 手持無沙汰になったエレンは手元のサンドイッチを齧った。

 マスタードで和えた冷製チキンとハードタイプのチーズが挟んである。

「美味しいわね、このサンドイッチ」

「ありがとうごさいますお嬢様」と、料理番が反射的に答え、答えてしまった自分に苦笑するように笑ってから、諦め顔で首を横に振った。

「他の者は誰も知らない――とまでは、言い切れないと思います。わたくしは勤め先で知った雇い主の内情を外で吹聴するような無分別は致しませんし、ルイーズもしっかりしたメイドですが、アンヌマリーはあの通りまだ若い娘ですからね。どこで何を話しているやら分かったものじゃありません。現に、あの脅迫状が届いた三日ばかり後でしたか、《ブリキの木こり》の修繕に来たフォートナム工房の若い人に、台所でお茶を差し上げながらペラペラいろいろ話しておりましてねえ、わたくしがしかりつけたのですよ」

「あら」と、エレンはわざと平静を装いながら訊ねた。「修繕って、例の事件があったときには、《ブリキの木こり》が故障していたということ?」

「いいえ、故障じゃありません。以前はあの《木こり》は、一人が合言葉を唱えれば一緒に何人か入れたのですよ。でも、あんな事件がありましたからね、旦那様が警戒なさって、入る人間は全員合言葉を唱えるよう仕組みを変えさせたのです」

「なるほどーー」と、エレンは形式的な相槌を打った。

 事件に何がどう関わるかはまだ分からないが、なかなか重要そうな情報だ。


「ありがとうミセス・ウォリス。いろいろと参考になったわ」

「光栄ですミス・ディグビー。お食事が済みましたら、どうぞ、お皿は盆にのせて廊下へ出しておいてくださいな。それじゃ、わたくしはこれで」

「ごめんなさいね。帰るところだったのでしょうに」

 エレンが詫びると、ミセス・ウォリスは軽く眉をあげて頷いた。「全くですよ! あたしもこれから(ウチ)でお茶です。すっかり遅くなっちまった」

 今までの慇懃な口ぶりからは打って変わった軽快なタメシス下町訛りで言う。

 今はもう私的な時間ということなのだろう。

「勤務時間外の労働に感謝するわ」

 エレンがポシェットから半シリング硬貨を取り出して渡すと、ニヤッと笑って受け取って部屋を出ていった。

 エレンは反省した。

 家内使用人は秘められた情報の宝庫だ。

 そして彼女らにも個人的な私生活があるのだ。


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