第五章 屋根の上の番人 1
シビルの次にエセルから、その次は不機嫌顔のアルマから聞き取りをする。
六月三十日以降の事件についての三人の話に矛盾は何もなかった。
「ありがとうございます、ミセス・リヴィングストン。次はミセス・ロングフェローからお話を伺いたいのですけれど」
エレンが慇懃に申し出ると、アルマ大奥様は忌々しそうに片眉だけをあげた。
「残念ながら、わたくしどもはこれから夕の軽食の時間ですの。あなたはどうぞ《薔薇の間》でお休みになって」
冷ややかに言い置いて、黒い絹服の裾をシュッシュッと引きずりながら、八十余歳にしては実にしっかりした足取りで部屋を出て行ってしまう。
パタンと外からドアが閉まる。
微かに松精油の匂いのくゆる《絵画室》に一人取り残されたエレンは呆然としながら思った。
――ええと、もしかして、わたくし夕食抜き……? それから《薔薇の間》はどこ?
第二の疑問については、部屋を出ればすぐに分かった。深緑の絨毯を敷き詰めた廊下のはす向かいのドアが開いていて、室内にエレン愛用の、古びているが上等の茶の革の大型トランクが置かれているのが見えたのだ。
エセルが厩番のサムに、あのトランクは「二階の《薔薇の間》に運べ」と命じていたのだから、あの部屋が《薔薇の間》で間違いないのだろう。
入ってみると、その部屋には、明るいクリームイエローの地にピンクの薔薇を散らした壁紙が張られていた。
左手に暖炉と衣装棚があり、右手に、シビルの部屋にあったのと同じ型の天蓋付きのベッドがある。
窓の傍に白い小さなテーブルと同色のスツール。
カーテンは深緑色で、絨毯は壁紙の薔薇と似た明るいアッシュローズだ。
ベッドの右手にドアがある。開ければその先は洗面所だった。白い琺瑯の水差しに清潔そうな真水がたっぷりと充たされている。
「とても素敵なお部屋ね! 足りないのは夕食だけだわ」
エレンは小声でぼやくと、トランクを開けて衣服を衣装戸棚に移しにかかった。
ひとわたり衣装の整理を終え、お茶を一杯頼もうかと、呼び鈴と思しきベッドの傍の引き綱を前にして逡巡していたとき、不意に外からドアがノックされた。
「お客様、お食事をお持ちいたしましたよ!」
明るくきびきびした女性の声が告げる。
「あら、ありがとう!」
エレンが大喜びでドアを開けると、廊下にいたのは、質素だが清潔そうな灰色と茶色の縦縞のドレスに青いエプロンをかけた五十がらみの小柄な婦人だった。薄灰色の髪を丸い小さい鍋蓋の取手みたいな髷に結って、大きな木製の盆を手にしている。
盆の上には真鍮の小型ポットがひとつと白い陶器の茶碗。
それに一皿のサンドイッチと昼間のお茶の残りらしいブランマンジェの鉢が並んでいた。
「はい失礼いたします。こちらにお置きいたしますね――」
いかにも熟練の家内使用人らしい職業的な愛想よさを湛えた声で言いながら入ってきて、窓の傍のテーブルに食器を並べてゆく。
一見人懐っこそうに見えるが、客人との私的な雑談に興じるつもりはなさそうだ。
――できれば少し話したいわね。家内使用人の耳目は情報の宝庫だもの。
エレンは彼女の正体をしばらく考えてみた。
そしてすぐに思いついた。
「ありがとうミセス・ウォリス」
途端、女性が食器を並べる手を止めて、ぎょっとしたような顔でエレンを見あげてきた。
「……どうしてわたくしの名をご存じで?」
「ミス・エセルから聞いていますもの。こちらのお邸の通いの料理番なのでしょう? しばらくお世話になります」
「え、あ、ええ。はい。こちらこそ」
ミス・ウォリスは――急に銅像から話しかけられた人間みたいに狼狽えながら答え、話題を逸らす種を見つけるかのようにきょろきょろと視線を彷徨わせた。
「あ、ああ、そろそろ薄暗いですね! どうぞお嬢様、お茶をお上がりになっていて。今すぐ蝋燭に火を入れますから!」
と、そそくさと部屋を出ていこうとする。
「大丈夫よ」と、エレンは笑い、黒いビーズのポシェットから、とっときの焔玉髄の欠片をつまみ出した。
「燃えよ。焔の精粋よ」
命じるなり、エレンの白い掌の上からボッと焔の柱が立ち昇る。
ミセス・ウォリスがヒッと喉を鳴らして後ずさる。
エレンは構わず、掌を介して焔に自らの魔力を注ぎこみ、暖炉の上の三枝の燭台に並んだ三本の蝋燭めがけて流れるようにと念じた。
途端、焔が一陣の風のように流れ、太い蝋燭の頂すべてに三つの燈が灯った。
「お、お、お、お嬢様は――」
ミセス・ウォリスが零れんばかりに目を見開いたまま訊ねてくる。
エレンはつんと顎をそびやかして答えた。
「わたくしはエレン・ディグビー。タメスシ警視庁任命の諮問魔術師です。ミセス・ウォリス、できれば給仕をお願いしても? あなたと少しお話がしたいの」




