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第四章 麝香婦人の帰還 2

「ミス・エレン、先生ですわ」

 シビルが口早に言い置くなり、廊下側のドアへと駆け寄って開く。

 途端、むっと鼻を突くような麝香(ムスク)じみた匂いが流れこんできた。


 香水だ。

 ものすごく濃い。

 エレンは思わずウっと唸りそうになった。


「ただいま戻りましたよミス・リヴィングストン。階下(した)であなたは《絵画室》にいると聞いたのに、姿が見えないので心配しました」

 母親が子供を甘やかすみたいな口調で言いながら入ってきたのは、背の高い――五フィート六インチ弱〈約170cm〉ある長身痩躯のエレンよりさらにやや背の高い中年の女性だった。

 襟の高い古風な深緑の天鵞絨(ヴェルヴェット)のドレス姿で、白っぽい金髪をこめかみのあたりが引きつって見えるほどタイトなシニヨンに結い、耳朶から黒玉と金の粒を連ねた長いイヤリングを垂らしている。

 鷲鼻気味で眼窩の深い険しい顔立ちに、そのどこか芝居がかった古風で豪華な服装が誂えたようによく似合っている。



 ――この背丈だったら十分男で通用するわね……



 そしてこの濃すぎる麝香(ムスク)の香水!

 リカルディの魔力(グラマー)の特色である薄荷めいた匂いをかき消すには十分すぎる濃度だ。



 ――まさか、彼女は実は彼?



 いきなり飛び込んできた有力容疑者候補の姿から目が離せないでいると、当の本人がようやくエレンの存在に気付いたかのように、髪の色とは合わない濃い黒い眉をピクリとあげて視線を向けてきた。


「その若い娘が、例の諮問魔術師ですの?」

「え、ええミセス」と、シビルがどこか焦った様子で頷き、またあのオドオドとした笑みを浮かべてエレンとミセス・麝香を交互に見やりながら言った。

「ミス・エレン・ディグビーは確かに諮問魔術師ですけれど、セルカークのディグビー家の末のお嬢さんですわ。ミス・エレン、こちらはミセス・ロングフェロー。わたくしとエセルに画とアルマン語を教えてくださっています」


「初めましてミセス・ロングフェロー。ご紹介にあずかりましたディグビーですわ。住み込みのお仕事をなさらないといけないなんて大変ですわねえ!」と、エレンはわざと顎をわずかにあげ、職業婦人を見下す高慢な御令嬢の役どころを心がけながら挨拶した。

 わざと怒らせて反応を見ようと思ったのに、相手は全くつられず、にっこりと完璧な笑顔を浮かべて挨拶を返してきた。

「職業を持つ身はお互い大変ですわね! あなたも早く夫を見つけて家庭を持てるといいですわね。初めましてミス・ディグビー。ミセス・イライザ・ロングフェローと申します」

「ロングフェローというのは聞きなれない姓ね。コーン州の御出自と伺いましたが、旧姓は何と仰るの?」

「ネルソンですわ」と、イライザはわずかに強張った声で答え、一転して、またあの甘やかすような声音でシビルに話しかけた。

「なんだか本当の警察の取り調べみたいですわね! ミス・リヴィングストン、何か不愉快なことはありませんでしたか? 困ったことがあったら何でもわたくしに相談なさってね?」

「え、ええ」と、シビルがオドオドと答え、強者の機嫌を伺う小動物のような視線をエレンへと向けてきた。「あの、ミス・エレン、わたくしからの話は、これでもうおしまいにしても?」

「勿論ですわシビル」と、エレンはわざと親しそうにファーストネームを呼び、表情を引き締めてミセス・ロングフェローへと向き直った。

「すみませんけれど家庭教師(ガヴァネス)どの、ミス・エセルを呼んできていただけます?」

 途端、ミセス・ロングフェローの作り笑いに一瞬だけ苛立ちのひび割れが走った。

「――あなたに命令される筋合いはありませんね。ミス・リヴィングストン!」

「は、はい!」

「ミセス・リヴィングストンもご案じですわ。そろそろ階下にお戻りになられたらどう?」

「分かりました。そうしますわ」

 シビルが叱られた子供みたいにしゅんとして頷く。


 妙な力関係だとエレンは内心で呆れた。

 見れば見るほど、ごく単純な答えが実は正解なのではないかという疑惑が深まってくる。



 --このミセス・麝香(ムスク)の正体が、実はアントニオ・リカルディなのでは?



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