第8話 不穏なざわめき
ラクトア騎士団の団長ブライトから、仮入団を許可されたユキトとアリス。軍刀であるサーベルと多少の支度金を受け取り城をでた二人は、王都ラクトールの東側にある商店街へときていた。これからの旅に必要なものを購入するためである。
ここにはまだ、魔物の影が忍び寄っていないのだろう、街の南側にあった商店街とはちがい活気にあふれている。とはいえ、いつものように穏やかというわけではなかった。
窃盗や路上でのけんかなど、いつもであればほとんど起きないだろうことがそこかしこで起きている。
「……なんか、治安悪いね」
アリスが、周囲を見ながらぽつりと言う。
「そうだな。これも、エルザ様のお力がなくなったせいなんだろうな」
と、ユキトは声量を落としつつ言った。
エルザは、このラクトア王国の女王である。彼女だけが使える広域魔法で、世界全土の秩序を保っていた。しかし、クーレルによって氷漬けにされてしまった。その影響で、世界を覆っていた広域魔法の効力がなくなり、保たれていた秩序のバランスが崩れてしまったのだ。
しかし、その事実は公表されていない。公表してしまえば、余計な混乱を招く原因になってしまう。それは避けなければならないと、ブライトが判断したからだ。
「それもこれも、クーレルなんていう変な男が悪いのよ!」
と、怒りをあらわにするアリス。
もし、この場にクーレルがいたら、持っているサーベルでめった刺しにしているだろう。それだけエルザは、アリスにとって大切な存在なのである。
「はいはい。わかったから、今は抑えろー」
と、ユキトが適当にあしらう。
アリスがエルザの大ファンなのは、城をでる前に聞いたから重々承知している。だが、自分たちに与えられた任務は、いわば極秘任務というものだ。街の往来で、感情をさらけだして口にするべきものではないだろうとユキトは思う。
「むー……」
と、アリスは不満そうに口を尖らせる。だが、彼女もわかっているのだろう、それ以上は何も言わなかった。
商店街の中ほどまできた二人は、雑貨店で手頃なナイフやそこそこの量の食料を買い込んだ。
店をでると、二人ともナイフを武器とは別に装備する。野営の準備をしたり、ちょっとしたことで使えるから持っておいて損はないと、ユキトの兄であるクロトに事前に教えてもらっていたのだ。
「幻影の鍵。うたかたの箱。白昼夢の扉よ、開け。『幻影の武器庫』」
ユキトがそう呪文を唱えると、空中に裂け目が音もなく現れた。その中に、購入した食料をしまい込む。裂け目は、ユキトが収納を終えたと同時に消えた。
幻影の武器庫は、その名の通り亜空間に武器を収納しておく魔法である。主に、斧や槍などの大型の武器を愛用している者が使用しているが、まれにユキトのように大量に買い物をした時に使う者もいる。呪文一つで大量の物を収納したり引きだしたりできるので、大変重宝されているのだ。
「さてっと。これからどうする?」
身軽になったユキトがたずねると、アリスは少し思案して、
「とりあえず……ノルアーナ経由で、カロア王国に行ってみようか」
と、提案した。
「そうだな。んで、各国回って、奴を見つけ次第ぶん殴る!」
「いいね、それ。泣いて謝るまで許してやんないんだから!」
二人は口々にそう言って、口角を引きあげる。気合は充分、このまま戦っても負ける気はしない。二人の表情がそう語っていた。
ざっくりとした予定も決まり、隣町のノルアーナに行こうとした矢先、ユキトは周囲のざわめきが先ほどとは少し違うことに気がついた。
「なあ、アリス。なんかおかしくねえ?」
「え? 何が?」
きょとんとするアリス。
「なんつうか……街の雰囲気がさ。なんか、さっきと違う気がすんだよ」
周囲に視線を巡らせながら、ユキトが告げる。うまく言葉にはできないが、雑然とした空気が一つの感情に集約されようとしている気がした。
「雰囲気、ねえ……?」
と、アリスも周囲に気を配る。
先ほどまでの喧噪は、言ってしまえば雑音のようなものだった。けれど、今はそれが悲鳴とどよめきに明確に変わっている。
「ユキト、これって……!」
と、アリスも周囲の変化に気づいたようだ。ユキトを見る彼女の表情は、緊張感からか険しいものになっている。
ユキトは、彼女を見返してうなずいた。言葉にしなくても、この騒ぎの原因は容易に想像できた。
アリスもうなずき返し、二人は人波に逆らうように歩を進める。
逃げ惑う人々に抗いながらしばらく進むと、公園のような広場に行きついた。粒子の細かい砂を敷きつめた地面は、おびただしいほどの血を吸って赤黒く変色している。広場のあちらこちらに、血まみれで横たわっている人々がいた。だが、動く気配はない。どうやら、すでに亡骸と化しているようだ。そして、その非日常の中央にそれがいた。魔物である。その体には、浅い傷の他にところどころ深い傷が見受けられる。おそらく、ここにくる前にラクトア騎士団の面々と一戦交えていたのだろう。
「手負いか。結構、厄介かもな」
と、ユキトがサーベルを抜きながらつぶやいた。
気が立っているのももちろんあるが、手負いな分、捨て身の攻撃をしてくることも多い。こちらも全力でかからないと、傷一つつけるどころかすぐに殺されてしまうだろう。
「ねえ、ユキト。あれ!」
隣にいるアリスが、何かに気づいたのか声をあげた。
彼女が指をさす方向を見ると、山吹色の髪をツーサイドアップにした猫の獣人ががたがたと震えながらしゃがんでいる。魔物との距離は、おおよそ二メートル。魔物が動いたら、すぐにでも攻撃が届く距離だ。
「ヤバい!」
そう言うや否や、ユキトは魔物のもとへと駆けだした。
「ちょっと、ユキト!?」
アリスが声をかけるも、ユキトは止まらない。まったく……と文句を言ってサーベルを抜くと、アリスも彼を追いかける。
魔物が獣人の彼女に襲いかかろうとした瞬間、
「やめろーー!」
と、間に合ったユキトが魔物に斬りかかった。
声に反応した魔物が、彼を追い払うように腕を横に凪いだ。その途端、強烈な暴風が起こった。
「うっ……わ!」
ユキトが持つサーベルの切先が魔物に触れる前に、彼は強烈な風に吹き飛ばされた。
受け身を取ろうにも風の勢いが強く、思った通りにいかない。数メートルほど飛ばされたところで、ユキトは地面に叩きつけられた。背中をしたたかに打ち、うめき声をあげる。
「ユキト! 大丈夫?」
アリスが駆けよると、ユキトは上半身をあげて、
「な、んとか……大丈夫。それより、あの人を!」
「わかった」
そう言って、アリスは獣人の彼女のもとへ走った。
「穿て! 『雷の矢』!」
走りながら、アリスは呪文を唱え魔物に魔法を放つ。
雷の矢は魔物の左腕に直撃。悲鳴をあげる魔物は、感電して動けない。そのすきに、アリスは猫耳の少女に駆けよった。
「助けにきたよ。立てる?」
優しく声をかけると、少女は怯えながらもうなずいた。
「よし。じゃあ、行こう」
と、少女をうながしたアリスは、彼女とともにユキトのいる方へと走った。
しばらく走ると、広場の入口に到着する。ここであれば、広場の中よりは比較的安全だろう。
「ここにいて。ここなら、たぶん大丈夫だと思うから」
アリスがそう言うと、少女は不安そうな表情でうなずいた。
大丈夫だからと言うように、アリスは少女の頭を優しくなでると、ユキトのもとへと向かう。
「ユキト、行ける?」
ようやく起き上がったユキトに声をかけるアリス。その視線の先には、ユキトではなく魔物がいる。
「ああ。もう、さっきみたいなへまはしねえ!」
そう宣言すると、ユキトは武器を構え直す。
「なら、一人で突っ走るのはやめなよね。今は、私もいるんだから」
と、アリス。ユキトの隣に並び立ち、彼と同様にサーベルを構えた。