88
王妃様は魔道具を届けることと、フィアーノ公爵家の料理人へのレクチャー依頼を、急ぎたかったらしい。
私が快く了承したので、朗らかな顔になった。
今日は王都の公爵邸に公爵様がおられるそうで、帰りに寄って話し合うそうだ。
「そのうち城の料理人にもレクチャーをして欲しいわ」
今日のシュークリームやフルーツタルトなど、気軽に作ってもらえたら嬉しいと、王妃様は言う。
「夜会のときに、聖女様レシピのお菓子として広めても、いいわよね」
そんな話をされたので、公爵家の次は、お城の料理人にレクチャーすることになりそうだ。
そうして王妃様は、満足そうに帰って行かれた。
お見送りのあと、私はグレンさんの魔力のクマを抱きしめた。
さすがに王妃様の前でクマを抱きしめているのは、どうかと思っていたので、隣の席に座らせている状態だった。
ようやくクマを抱きしめて、ほうっと息を吐いた。疲れた。
王妃様とのおしゃべりは、たぶんそれほど疲れるものではなかった。
でも、悪い噂を流されている話は、やっぱり気分が良くない。
お城の夜会とか、気が重い。
あとどうも今の私は、グレンさんの魔力と離れていると、不安定になる。
クマを抱きしめて、ソファーに深く身を沈めた。
ティアニアさんが新しいお茶を淹れてくれた。
「お疲れ様。あとは商業ギルドの人が来られるまで、少し休憩ね」
そうだ。テセオスさんが来るんだった。
テセオスさんが来たら、頂いた食材見本から、お出汁の素材とか餡子の素材、寒天などを、しっかり注文しなければ。
サブレのレシピ登録がメインだけど、他のはどうしよう。
シュークリームとパウンドケーキ、カップケーキに羊羹や餡子玉、どら焼き。
これらのレシピ登録もと言い出したら、迷惑だろうか。
王族との対応を終えて、ティアニアさんは帰ることになった。
テセオスさんとは、ザイルさんだけが同席だ。
今日の夕食準備は、参加不要と言われている。
ソランさんもパン屋開店で不参加なので、マリアさんと二人で夕食を作ってくれるそうだ。
私が夕食作りを抜けさせてもらう日が、多い気がしたけれど。
「今日は今朝もらった粉末だしというのを使ったレシピにするから、ミナちゃんはあれで参加ってことで、いいわよ」
とティアニアさんに言われた。
朝、粉末だしの話をマリアさんとしたとき、粉末だしでお鍋もいいねと話した。
隣で調理を始めたティアニアさんは、それを聞いて、今夜は粉末だしで大鍋スープを作ろうと思ったそうだ。
マリアさんと二人で、大鍋スープの夜ご飯にするから、大丈夫と言ってくれた。
ティアニアさんが帰ってから、ソファーに身を沈めて、テセオスさんに話すことを考えていると、クマを抱えてウトウトしていたようだ。
テセオスさんが来たと声をかけられて、はっと起きた。
今日はテセオスさんと、その部下の人、二人で来られた。
お互いに挨拶を交わして、テーブルにつく。
「そういえば、私いつもテセオスさんやギルド長に対応して頂いてますよね。こんなところまで部門長が来られて、大変じゃないですか?」
テセオスさんは、たしか食品部門長だ。
この王都の商業ギルドの、偉い人のひとりのはずだ。
「そうですね。一般的なレシピ登録であれば、担当者で充分なのですが」
なんでも、特殊レシピの登録は、部門長の判断が必要になるそうだ。
「今回のサブレは、特殊レシピに当たりそうな気がいたします。それに、他のレシピもあるのでしょう」
言われてちょっと目を逸らした。
「だから私が来るのですよ」
テセオスさんは苦笑気味に言う。
なるほど。ご迷惑をおかけしております。
ただ、登録されたレシピの管理を部門長がずっと担うことは出来ない。
なので今回、専属の担当者として、メレスさんという若い男性が同行された。
登録済みレシピの管理については、今後メレスさんが担当して下さる。
日々の聖水の納品や、業者への委託、別の料理人に実演で教える話も、メレスさんに言えばいいそうだ。
レシピ登録は、今まで通りテセオスさんも同席予定だ。
メレスさんは生真面目そうな細身の人で、緊張した態度だった。
緊張からか、カクカクした動きなので、こちらがちょっと心配になるほどだ。
そのうち慣れてくれればいいのだけれど。
私に対して、最初からギルド長とテセオスさんが対応したのは、信頼できる商人であるマルコさんが、お菓子の価値観を覆す新商品だと言ったかららしい。
そして実際に、異世界の高度なお菓子レシピが持ち込まれた。
私が持ち込むレシピは、恐らく特殊レシピがかなりありそうだ。
そう判断され、以降もギルド長とテセオスさんがそろって対応してくれている。
今回テセオスさんは、レシピ登録用の鑑定魔道具も、部門長権限で持ってきた。
複数のレシピ登録に備え、書類も多めに持ってこられた。
なので遠慮なく、サブレ以外にもシュークリーム、パウンドケーキ、カップケーキ、羊羹、餡子玉、どら焼きと、全部のお菓子を並べた。
テセオスさんは、ちょっと遠い目になった。
うん。多かったですね。ごめんなさいね。
メレスさんは、フリーズしていた。
いつものように試食をして頂き、書類にレシピを記載する。
生クリームはもちろん、特殊レシピ。
シュー生地とサブレ、パウンドケーキ、カップケーキ、どら焼きの生地も、それぞれ異なる生地として登録だ。
和菓子系は、餡子をまずは特殊レシピ登録した。
寒天は、下処理なしで活用されていたため、使い勝手が悪かったらしい。
なので寒天として活用するための下処理と使い方を、特殊レシピ登録。羊羹は普通のレシピ登録。
砂糖コーティングはこの世界にもあり、餡子玉は普通のレシピ登録だ。
メレスさんは甘い物が好きなのか、試食をしては感動し、作り方の説明を聞いては感心される。
これらのお菓子が、一般的に流通するための力になりたいと、力説もされた。
緊張は解けたようだけど、かわりに変なスイッチが入っている。
テセオスさんが注意をして、止めてくれた。
「焼き菓子というものは、奥が深いですな」
メレスさんが静かになったあと、テセオスさんがしみじみと言った。
私のレシピは、バターの香りが際立つ生地、卵の風味が際立つ生地、膨らませ方が特殊なもの。
そうした種類の違いがあり、しかも完成された味。
テセオスさんはしみじみと感心している。
あちらでは当たり前のものだけれど、焼き菓子が発達していなかったこちらでは、目新しいものだ。
砂糖コーティングがあり、焼き菓子そのものはあるのだから、もう少し発達していてもいいとは思うけれど。
小麦粉系の使い方が、日持ちを考えてか、固めて焼く系がとにかく多いようだ。
日持ちという意味なら、固焼きビスケットなんかはいいと思うのだけど。
砂糖と卵とバターとミルク。そうした組み合わせのお菓子が発達していない。
お茶会は軽食がメインで、焼き菓子はあまり活用されていないそうだ。
私としては違和感が大きい。
そこでふと、気がついた。
私は蜜の実から水魔法で水分を抜いて、砂糖にして使っていた。
お菓子の分量を量るためには、必要な工程だ。
でもこの世界では基本、蜜の実を蜜そのままで使うことが多い。
他にも、バターの種類が見分けにくかったりする。
私は鑑定があるから、分量や組み合わせを考えやすいけど。
もしかして鑑定がないと、きちんとしたお菓子作りは厳しいのではなかろうか。
うん。たぶんそういうことだ。
料理なんかは、適度に調整して行けば、どうにかなる。
でも焼き菓子は、分量をきちんと量って作る必要がある。
その量るという部分で、この世界の素材では狂いが出るんだ。
そういうことかとようやく理解した。
あれ、他の人にレクチャーするの、すごく難しくない?
ビスケットの手順説明で、材料の砂糖は、蜜の実を粉にしたものだと説明した。
あのときオゾさんが、微妙な顔をしていたけれど。
ちゃんと砂糖として分量を量ってくれているか、少し不安になってきた。
なので、私のレシピは砂糖で分量を量っていることを、テセオスさんとメレスさんに、改めて説明する。
お菓子は分量どおりでなければ、思った風味や食感にならない。
それを伝えると、保存食業者の皆様に、改めて伝えると言って頂けた。
さて、レシピ登録が終わると、今度は仕入れの話だ。
羊羹のレシピ説明で、餡子の材料になる二種類の豆の話は既にしていた。
あと粉末だしの説明をして、粉末だしの材料の干物を購入する話をすると。
「その粉末だしとやらも、レシピ登録ですね」
すっと書類を差し出された。
粉末だしの概念は、こちらにはない。
粉にして味に深みを出す調味料としての活用は、新レシピになるようだ。
この粉末だしについては、もしドランさんたちが良ければ、調味料として流通させてはどうかと提案してみた。
素材の干物を粉にしただけなので、作り方は簡単だ。
商売を手広くと考えているなら、調味料もアリだろう。
あとハーブソルトなんかを作ってみるのも、いいかも知れない。
塩の実そのままじゃなく、調味料として手軽に持ち歩いてもらう商品は、意外とアリではないだろうか。
なので粉末だしは、いったん秘匿レシピにして、ドランさんに打診してもらうことになった。
今回頂いた食材見本は、一般的にあまり活用されていない食材だった。
なので私から活用方法としてレシピ登録されたことは、商業ギルドにとっても有益だったらしい。
また食材見本を見繕って提供すると、テセオスさんから言って頂けた。
寒天あたりは広く活用されていそうなところだけれど、下処理がないと使い勝手が悪く、普及していなかったようだ。
ここは寒天を広めるためにも、ミルク寒天や、寒天寄せのお料理なんかを作って、レシピ登録するべきか。
その呟きは、どうやら漏れてしまっていたようで。
「試作を作って頂いて、明日にでも登録させて頂きたい」
テセオスさんから、にっこり笑顔の圧が来た。
明日、注文した食材を持ってきて頂くときに、今日のように出張レシピ登録をして下さるそうだ。
レシピの話は終了し、あとは二日分の聖水を預けた。
先日の聖水は魔力濃度をはかって納品書になり、私が持つ預かり証と交換だ。
そこで示されたのが、ギルド長が話された聖女資金の口座のこと。
『聖女ミナ』という名義で口座が開設され、聖水のお金がそこに入っていた。
お城に納品した分と、昨日納品した分とをあわせて、今までの聖水のお金だ。
聖水の納品は、すべてこの口座に入れますねと、口座の証書を渡された。
うん。聖女資金の活用方法を、本格的に考えようか。
いっそドランさんへの資金提供とかも考えたけれど。
自分たちで保存食の業者をしている彼らに対して、逆に失礼になりそうだ。
定番としては、孤児院か、あるいは教育か。
どちらにしても、国の制度とか、実現可能かどうかという相談がいる。
お城でセラム様を交えて、相談した方がいい案件だ。
なので今は、置いておこう。
テセオスさんからは、商業ギルドが紹介した料理人に、レシピを教える話も出た。
「もし、紹介した料理人に作成を委託する場合、いちばん実現出来そうなのは、どのレシピでしょうか」
聞かれて少し考える。
たぶん、単純な焼き菓子が最初の入り口になるだろう。
普通のクッキーやパウンドケーキ、サブレ、カップケーキあたりかな。
きちんと分量を量って、手順を踏んで、焼くのを大きく失敗しなければ、それなりのものは出来そうだ。
そういう焼き菓子がレシピ通りに作れたら、次のものを教える。
そんな形式が妥当だろうと伝えると、テセオスさんも頷いた。
ただし、レクチャー出来そうな日がどうなるか、今の私にはわからない。
グレンさんが帰ったら、ダンジョンへ行くことになっているからだ。
ダンジョン行きの日程がわかってからだと伝えたら、驚かれた。
私がダンジョンへ行くことが、理解できないという顔だ。
「ダンジョンへ行く前に、フィアーノ公爵家の料理人に、アイシングクッキーの作り方を教えておきたいとは考えているのですが」
そう伝えると、今日の話をいったん持ち帰られることになった。




