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ソランさんのパン屋へ行くと、既にかなりの人で賑わっていた。
竜人自治区内の、ほとんどの人が来てくれているんじゃないかと思うほどだ。
竜人自治区にどれだけの人がいるのか把握していないけれど、それなりに広い。
下宿的な建物だけでも十軒ほどあるみたいだし、お店や工房っぽい通りも、建物が連なっている。
他にも戸建て住宅らしいものがあるし、お風呂は違う顔がよく混ざるので、把握している以上の人が住んでいそうだ。
それらの人々が、それぞれ噂を聞いて、こちらに来てくれている様子だ。
扱う商品が一種類だけということで、それほどの混乱はない。
でもちょうど、追加でパンを焼きたい状況だったようだ。
「助かる。販売を頼めるか」
ソランさんに頼まれ、私とヘッグさんが、販売担当でお店に立った。
昨日の打ち合わせで、金額やおつりの場所、どのように売るかという手順は聞いている。
なのですぐに引き継いで、販売を始めた。
お風呂で知り合った奥様方も、顔を合わせたことのない竜人族の人もいた。
でも竜人族の人たちは、みんなフレンドリーだ。
「グレンの番の、故郷のパンだって聞いて楽しみだった」
「ヘッグがやたらと、美味いって言うから、待ち遠しかった」
奥様方には、私がパン屋さんの開店を話していたけれど。
男の人たちには、ヘッグさんが宣伝をしていたみたいだ。
店の外まで人がいるけど、みんな順番に並んで、ニコニコと買ってくれる。
「オレはダンだ。普段は城で、武術指導をしている」
「ボクは冒険者で、たまにヘッグと一緒にダンジョンに行くよお」
黒髪の中年の人、赤毛の青年など、自己紹介をしてくれる人もいた。
買いに来てくれた人は、みんなそれぞれ、持ち帰るための籠を持っている。
そうだよね。この世界って、そういうものが必要だよね。
気軽に紙袋やビニール袋がないからこそ、意識しなくてもエコだ。
グレンさんも、私の買い物のとき、大きな袋を持っていた。
そこには籠や瓶も入っていて、買い物によっては持参した瓶などに入れてもらう。
なので私も、亜空間には籠や瓶、ダミーの袋なんかも今は入れている。
私が籠にパンを入れ、ヘッグさんがお金を受け取る。
パン挟みはマリアさんが作ってくれた。
私は使い慣れているけれど、ヘッグさんには難しそうだった。
なので役割分担をしての販売だ。
ちなみにソランさんたちの中では、ウルさんがパン挟みの扱いが上手だった。
イーグさんは不器用に落としそうになっては、落ち込んでいた。
昨日の打ち合わせでは、人が来ないなら試食を配ることも提案した。
でも既に噂になっていたようで、自治区内のいろんな人が来てくれている。
あと、既に買ってくれた人が、明日の予約に来てくれた。
奥で作業をしているソランさんたちに「すげえ美味かった! 明日もよろしくな!」と声をかけている。
顔を出すソランさんたちも、とても嬉しそうに応える。
いい雰囲気だなあと思う。
最初の来店は、仲間意識の応援の気持ちもあっただろうけれど、予約の声は無理をしている感じはしない。
単純にパンを気に入って、明日も買おうと思っている様子が感じられる。
だからソランさんも、イーグさんウルさんも、嬉しそうだ。
追加のパンをオーブンで焼いている、いい匂いがして来る。
本当に竜人自治区の皆が来ているんじゃないかというくらい、人が来てくれた。
オルドさんも、既に買って、明日の注文に来てくれた。
「聖女様の世界のパンと聞いていたが、美味かった。寿命が延びた気分だ」
嬉しそうな顔に、私まで嬉しくなる。
追加のパンを運んで来たウルさんが、すぐに戻って、さらに追加で焼くための生地を作っているらしい騒ぎが聞こえる。
どうやらお試しで数個買った人が、明日の予約ついでに夕食用を買って帰っているようだ。
ソランさんたちは、嬉しい悲鳴な状態だ。
お昼の時間帯になると、外の列が減り、店内も落ち着いた。
お客さんとおしゃべりをする余裕も出来て、予約と追加購入に来てくれた人が、ヘッグさんとおしゃべりをしている。
「お前の言葉を疑ってたわけじゃないが、盛ってるとは思ってたからな」
「大げさじゃなかっただろう」
「ああ。柔らかいし香りも味もいいし、毎日何個でも食べられそうだな」
「オレが言ったとおりじゃねえか」
コミュニケーション力の高いヘッグさんが、あちこちでパンの美味しさを宣伝しての、今日の人出らしい。
私のお風呂での宣伝は、女性だけなので、圧倒的にヘッグさんの方が宣伝してくれていた。
「お前が言ってた、ハンバーガーというのも食いたいが、この騒ぎじゃしばらくはこのパンだけだろうな」
「そうだな。パンを焼くだけで、大変そうだからな」
その話は既に出ていて、販売の手順など、順調に出来るようになれば、商品数も増やす予定と聞いている。
でも今日みたいな状態だと、パンを焼いて売るだけで手一杯だろう。
皆の買う数が落ち着いて、手順もスムーズに行くようになれば、という話だ。
そうしてようやく、追加のパンを焼き終えて品出しが終わる。
あとは今あるパンが売り切れれば、本日の販売は終了だ。
最後の売り上げ計算と、明日の予約受付と準備をして、今日は終了となる。
三人は、ぐったりと作業台に突っ伏した。
どれだけ頑張ったのか、気力体力を使い果たした感じになっている。
販売だけの私とヘッグさんは、まだ元気だ。
なので客足が落ち着いた今、販売はヘッグさんに任せ、お店の厨房を借りてお昼ご飯を作ることにした。
お店の冷蔵魔道具には、お野菜なども入っていた。
なので炒め物をして、ホットドッグもどきを作って、皆で食べた。
「疲れたけど、嬉しいよなあ。明日の予約も、けっこうあるし」
「うん。丸パンだけでこれなら、皆の熱が冷めた頃に、ホットドッグとかハンバーガーとか売ったら、しばらくは大丈夫だよね」
「むしろ、しばらく他のパンは、無理だな」
皆のパン熱が落ち着いた頃に、新商品を出すという計画は、少し先になりそうだ。
「オレたち、あんまり宣伝とか出来てなかったけど、ヘッグのおかげだな」
「ありがとうな」
ソランさんたちは、素直にヘッグさんにお礼を言っている。
こちらに顔を出して、試作のパンをねだっていたヘッグさんだけど。
まあ宣伝部長として役に立っていたのなら、妥当な報酬だったのだろう。
食事を終えれば、気力と体力は復活したようだ。
もう大丈夫ということで、私のお手伝いは終了した。
明日も手伝いをした方がいいよねと、思っていたけれど。
「今日はまだ勝手がわからなくて、手際が悪かったけど、明日からはちゃんと三人でやりたい。予約分で数の予想はついてるし、大丈夫だ」
だそうだ。
でも身内ばかりの自治区内でも、けっこう大変だったので。
ソランさんが当初イメージしたように、自治区の外でも商売をという話は、きちんと計画を立てないと大変なことになる。
それでも、その大変そうな予想を、三人は楽しそうに話していた。
さて、午後は王妃様とお茶をするので、いったん下宿に戻る。
身支度を調えて、今度はザイルさん、ティアニアさんと一緒に、またも昨日の建物へ向かった。
昨日と今日、ティアニアさんがいるのは、王族や貴族を迎えるときは夫婦そろって対応するのが、大使夫婦としての役割だからだと言われた。
そうしたもてなしが出来るように、ティアニアさんは紅茶などを淹れる訓練をしたそうだ。
「私は食堂の娘だったから、普通に料理や給仕はしていたけど、貴族や王族の方にお出しする紅茶なんて、淹れたことがなかったから」
侍女経験のある人に教わり、上流階級の礼儀作法なども学んだという。
なるほど。大使の奥様と聞くと、確かにそうだろう。
食堂の娘だったティアニアさんからすると、最初は大変だったようだ。
昨日はシェーラちゃんの友達と会うだけと私は思っていたけれど、セシリアちゃんは貴族令嬢なので、大使としての対応だった。
でもやはり、シェーラちゃんとそのお友達ということで、気楽だったらしい。
今日は少し緊張気味のティアニアさんだ。
「そういえばソランのパン屋は、どうだった?」
ザイルさんもその緊張を感じ取ったためか、話を逸らしてきた。
「たくさん人が来てくれてました。順調に予約も入ってますよ」
ティアニアさんは、良かったわねえと、ほっこりと笑った。
ザイルさんも嬉しそうだ。
「まあ、聖女のパンと話が広がっていたからな」
当然だという言い方に、私はちょっと微妙な顔になる。
竜人族にとっての聖女って、本当に何なのだろう。
まあ、グレンさんが帰ったら話してくれるらしいので、そのときに聞けるだろう。
前作だと「パン屋の初日に大盛況! 私も少し手伝ったけれど、皆様フレンドリーでいい雰囲気だった」というような内容を、短く数行で書いて、さくっと次の話に行く内容が、今回は丸一話。
丁寧に細かく書こうと意識した今作、非常に話数が多いです。
前作で「もっとこういう部分も読みたかった」を、今作はカバーしようとしたものの、もしかすると「そうじゃない」と思われているかもと、思っております。
ちょうど良いって難しい!




