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私たちが話している間に、マリアさんがお茶を入れてくれた。
さっき焼いた保存食ビスケットをお茶請けにして、おしゃべりをする。
今日はあまりマルコさんが話さないなと思っていたら、目が合った。
そして思い切ったように、口を開いた。
「その…シェーラが、ミナ様に会いたがっておりまして。こちらをお訪ねしても、よろしいでしょうか」
「シェーラちゃんが?」
シェーラちゃんとは数日前、花祭りの納品で会ったきりだ。
彼女がお店を開いて、私とマリアさんの商品を扱ってくれるという話もあったけれど、そのことだろうか。
私が目を瞬いていると、マルコさんはまた口ごもる。
しばらくして、また決意を固めたように顔を上げて。
「聖女様は竜人族の番であると、公式な情報として昨夜耳にしました」
ああ、正確な情報を広めてもらおうとしたやつだね。
そういえばマルコさんたちには、異世界から来た話はしたけれど、聖女だとは言わなかった。
「先ほどの話でも、ミナ様が聖女様だと仰いました」
「そうですね」
「シェーラと友達が、聖女について話した結果、その友達をミナ様に引き合わせたいという結論に、なりまして」
そのお友達が、広まっている聖女の噂から、聖女は悪女だと言っていたそうだ。
彼女には先天的な病気があって、これまで治らないとされていた。
でも聖女なら病気を治せるかも知れないと、家族が盛り上がっている。
彼女自身は、あんな聖女に頼むのは嫌だ、どんな無理無茶を吹っ掛けられるかわからないと、言い放った。
シェーラちゃんは、今朝マルコさんが話したことで、グレンさんの番の異世界人、つまり私が聖女だと気がついた。
私が噂の悪女だとは思えない、噂が間違っていると、友達と口論になった。
結果、それなら直接会って話せばいいと、シェーラちゃんがその友達に言い。
友達もそれなら会わせろと言った、と。
うん。なんか、ごめんなさいね、巻き込んで。
マルコさんが身を縮めているけれど。
前の軍務大臣派閥の人たちが広めた噂で、友達間のケンカが勃発したなら、巻き込まれ被害だよね。ごめんね。
「そのシェーラの友達は、伯爵家の令嬢でして」
マルコさんが伯爵領の特産品を扱っている関係で、幼い頃に会う機会があり、親しくなったそうだ。
「色々と恋物語などを書かれる方なのですが」
その言葉に反応したのは、商業ギルド長だった。
「もしやシーモル伯爵令嬢でしょうかな」
ギルド長の言葉に、ザイルさんが前のめりになる。
「それはいい! ミナに会ってもらえれば、理解してもらえる。グレンとの恋物語として彼女に書いてもらえたら、何よりだ!」
そこからギルド長が、私に向き合った。
シーモル伯爵令嬢が書くお話は、貴族の方々がこぞって書き写したがるほど魅力的なのだという。
何その紫式部なお友達。
実話で興味を持った話を書き、最初に書いたのは先祖の恋物語。
それが評判を呼び、貴族の間で有名になった。
次に興味を持ったのは、社交界で密かに流れた噂のカップル。
敵対している家同士の二人に、噂の事実を確認して、本人たちと交渉して物語を書いたら、それに感動した両家が認めてくれたことがあったそうだ。
何そのロミオとジュリエットなお話。
暢気な感想を持つ私に、真面目な口調でギルド長が話してくれた。
聖水が本格的に納品され、お城から公的な情報開示があった。
今まで流されてきた噂は消えておらず、噂と事実が入り乱れて、とんでもない誤解に発展しかねない状況だ。
全面的に聖女と名乗らなくても、この世界で暮らすなら、変なイメージは払拭しておいた方がいい。
あれほど酷い噂を覆すには、インパクトのあるイメージ戦略が必要だ。
本当なら、今回の保存食レシピでドランさんたちに協力したことを広めれば、私にとってかなりの美談になる。
「しかしながら、スラムには良いイメージを持たれない方も多く、あの方々の活動に賛同されたことは、残念ながら広めにくいのです」
新しい保存食とスラムを結びつける噂は、広められない。
お城はいい人たちばかりじゃない。
ギルド長の言うことはよくわかるので、なるほどと頷いた。
「ですが彼らに賛同して頂けたお気持ち、誰もが幸福になるようにと考えて頂けるその聖女としての意向を、皆様に発信することは、大事だと思います」
なんというか、ギルド長はずいぶんと、私の悪い噂を気にかけて下さっている。
正直を言えば私自身は、噂に直接向き合う機会はなかった。
なんなら竜人自治区にいれば平和だし、酷い噂があっても、直接被害はない。
あちらの世界でお店の酷い噂が広まるのは、直接被害が出そうなので困ったけれど、今回は噂がどう影響するのか、よくわかっていない。
「噂を広められるせいでこの国に居づらいなら、竜人の里に行くことも出来る」
もうグレンさんの番なのだから、あちらに行ってもいいとザイルさんは言う。
「だが君は、フィアーノ公爵家の令嬢と友達になり、この国の生活を楽しんでいるだろう」
噂で本格的な被害が出るなら、ここを去ることも出来るけれど。
その場合は、この国で知り合った皆さんとお別れすることになる。
そりゃあ、いずれはこの世界を色々と見て回りたいし、竜人の里にも行きたい。
でも今はこの国で、この場所でまず生きる基盤を整えようと動き出している。
商業ギルド長だってこの国のギルド長だ。
他の地域に行けば、また違った人と関係性を築くことになる。
マルコさんとの縁も、ここにマルコさんのお店があるからだ。
シェーラちゃんもいる。レティやセラム様たちとの縁もある。
竜人族の人だって、この自治区の人は、ここで暮らしている。
竜人の里に行ってしまったら、簡単に会えなくなる。
「ここで暮らすなら、あの噂はいずれ何かと不都合になるだろう」
正しい情報を流したけれど、悪い噂は消える気配がない。
あれとこれとを結びつけて新しい噂が流れそうというのが、今の状況だという。
「奴らはわざと聖女の悪い話を広めて、君の行き場所をなくそうとしている」
彼らは私を噂で追い詰めて、自分たちでなければ助けられないというふうにして、私の力を取り込もうとしているそうだ。
以前、お城で取り調べられた人たちはそう証言して、ガイさんの真偽判定スキルで確認している。
残念ながらその計画は、今も続いているようだ。
「聖女を利用しようとしている。そういう連中を捨て置くことは出来ない」
ザイルさんは真剣に諭してくれる。
「聖女を悪し様に言って、いいように使おうなどという連中を、竜人族としては許せない」
竜人族として許せないという言葉に、少し引っかかったけれど。
人族にはない聖女のことを、竜人族としてザイルさんは知っている。
それに関係するのだろう。
「我々竜人族と聖女については、グレンが帰ったら話そう」
続いてザイルさんはそう言ってくれたから、教えてくれない文句は飲み込んだ。
今はよくわからないけれど、とにかくその伯爵令嬢に会うことで、聖女の悪い噂を効果的にどうにかできそうだと言っている。
シェーラちゃんとは、花祭りの屋台の納品以来、会えていない。
お友達がどういう人かがわからないけれど、一緒に会いたいというのなら、会ってみようと思う。
今の私をひとりで会わせるわけにはいかないらしく、ザイルさんも同席で会う。
明日こちらに訪ねてきてくれるそうだ。
シェーラちゃんとそのお友達なので、マリアさんも一緒に会おうと話した。
それで本日の用件は終了。
ギルド長やマルコさんのお見送りをしてから、私たちは竜人自治区の中を歩く。
下宿ではなく、今からソランさんのパン屋予定の建物へ行く。
ザイルさんとマリアさんは、このあと別の用事があるので、ヘッグさんと一緒だ。
「ついでに焼き立てパン、また食わしてもらおうかな」
この言い方は、今日だけじゃなく顔を出して、パンをせしめていたようだ。
一緒に行っていいのか、ちょっと不安になった。
前作は劇作家、今回は物語を書く伯爵令嬢。似た展開ですみません。
「何その紫式部なお友達」という台詞を思いついたら、書きたくなりました。
シェーラちゃんのお友達らしいオチはご用意しております。




