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この建物の厨房で調理の実演も出来るというので、厨房へ移動。
材料はテセオスさんが持ってきていた。
厨房でまず木の実をローストして、粉にしようとして。
「あれ?」
いつもの魔道具ボウルがないなと思って、ザイルさんに目を向ける。
「あの、いつもの道具なんですけど」
最初は首を傾げられていたけれど。
少しして思い当たったザイルさんが、私を手招きして内緒話になった。
「あれは竜人自治区の外には出さないようにしている魔道具だ」
なるほどと、私は頷いた。心当たりがある。
「攻撃魔法の練習になってしまうからですね」
実はあの魔道具、魔法の練習にうってつけなのだ。
最初にコツも何もわからずに、ひとまず風魔法を使ってみたらば。
ただ素材が中でカタカタするだけだった。
切るという風魔法の使い方は、何度か魔力やイメージを工夫して、使えるようになるものらしい。
私は魔力が豊富なので、ソランさんの説明を受け、色々と実験させてもらった。
そこから乱切り、サイコロ切り、微塵切り、粉にするなどの威力調整も、使いながら覚えた。
蒸しパン作りのときには、まだ調整が難しく、サツマイモ的な野菜のサイコロ切りをしようとして、ようやく切れたら微塵切りになった。
練り込んでしまえばいいかと、加熱して使ったけれども。
あの魔道具を使いこなせるまで練習したら、風魔法がすごく上達していた。
今は風魔法のお掃除も、自由自在にこなせている。
パンケーキを食べたときのホイップクリームは、水魔法の練習になった。
圧力鍋的な使い方は、火魔法の加熱も使った。
もう少し暑くなってきたら、風魔法と氷魔法でアイスクリームが作れそうだ。
いくつかの属性の、基本的な魔法の練習になるなとは、思っていた。
特に風魔法は、攻撃魔法の練習になってしまうんじゃないかなと。
なるほど。竜人族以外にあれを普及させるのは、まずいってことで、ここに置いていないのですね。わかりました。
調理スキルって意外と、戦闘能力が高まる気がする。身体強化もあるし。
なぜ私は身体強化があるのかと思ってヘルプを見たら、調理スキルに付随したものと出ていた。
確かに料理をするには、それなりに力が必要なので、とても納得した。
ひとまず、すり鉢とすりこぎ的な物はあったので、それで木の実を粉にした。
ヘッグさんが。
実演時間を短縮するために、お手伝いを頼もうと見回したら、目が合ったので。
木の実粉は任せて、他の材料を前準備。
その間にヘッグさんは、手早く木の実粉を作ってくれた。
なのですぐに手順を説明しながら、生地を作る作業を進める。
それから、いったん生地を寝かせることを説明すると、驚かれた。
「生地を寝かせるって、なんだよ」
なるほど。ソランさんたちは素直に聞いてくれたけど、ここは実演が必要だ。
「では生地の一部を今すぐ焼きましょう」
私は宣言する。
「そして残りを寝かせてから、焼きましょう」
実際に比較すれば、わかってもらえるはずだ。
まずは寝かせる分を、冷蔵魔道具に入れてしまってから。
寝かせていない生地を伸ばして、成形する。
大きさを整えて切り、オーブンに並べて。
生地を作っていたときも、成形するときも、オーブンで焼くときも。
オゾさんが私のすぐ近くに顔を寄せて、作業をじっと見てきた。
やりにくいなあと思いながらも、それだけ熱心なのだろうと解釈する。
実際に、目つきがとても真剣だ。
ひとつが焼き上がり、もうひとつは成形まで少し時間が必要だ。
生地を寝かせている間に、ギルド長が彼らに話をしてくれた。
「従来の保存食作りに加えて、木の実を焼いて粉にする作業が入ります」
「ああ。そっちは別部隊が必要だが、それだけ雇える奴が増えるな」
雇える奴が増えるという言い方に、雇用を生もうとしている様子が見えた。
「何か事情があるのでしょうか」
そこで教えてくれたのは。
保存食作りはドランさんが主導で、スラム街の人を雇って作っているそうだ。
「片腕がなかったり、足が悪かったりしても、出来る作業はある」
なるほど。障害者雇用の福祉施設的な役割をしているらしい。
そういった事情なら、自分たちの仕事が奪われる危機感は大きかっただろう。
「私は保存食をおいしくしたかっただけで、これで儲けたいと思って登録したわけじゃないから、作成はお任せしたいです」
「それでもレシピ登録者へのレシピ料の支払いは、必要です。これは商業ギルドとして譲れません」
無償でレシピ提供となれば、それを強要する人が出る可能性もある。
そんな前例は作れないと、ギルド長は言う。
スラム街の雇用を生むことで、少しでも生活向上出来るようにすることを、彼らは目指している。
残念ながら、魔法を使えるような人は、スラム街にはいないらしい。
マリアさんが「タッパーは別業者になるわね」と呟いた。
そこでギルド長が、タッパーは商業ギルド主導で作らせて欲しいと話した。
「これは流通の変化にも関わると考えました。容器を重ねて置けて、出し入れに手間をかけない。中身を潰さず運べ、密閉ではないが湿気もある程度は防げる」
油紙だと包装に手間がかかっていた。中身が潰れることもあった。
密閉容器はビスケットなどが保存できる形を作るのが難しい。
箱形で、扱いやすく、きちんと閉じられる容器は、画期的な発想だった。
「商業ギルドから貸し出しをすることも、考えています」
なるほど、マリアさんとはその話が必要になるそうだ。
そこでもうひとりの商業ギルドのローエンさんの出番らしい。
ギルド長の補佐的業務をしていて、流通管理をなさっているそうだ。
彼が今後、タッパーについては管理していきたいという。
そのあたりはマリアさんとローエンさんで話し合うことになった。
さて、一時間ほどおしゃべりしたら、冷蔵魔道具に寝かせた生地を成形して焼く。
ちなみに焼き上がった物を冷ますなど、いつもは魔道具以外にも魔法を使っているけれど、今日は魔法を使わない。
彼らが出来るやり方で、やって見せる必要があるとわかったので。
「この穴をあけるやつ、意味があるのか?」
私がフォークで生地に穴をあけるのを見て、オゾさんから質問が来た。
「ガス抜きですね。保存食としては、膨らまない固焼きがいいので」
焼いて生地が膨らまないように、ガス抜き穴をあけて、固いハードビスケットとして作っている。
それを説明すると、うむうむと頷いて、考えている。
焼いている間に、さっきの話の続きをした。
障害者雇用施設としての主導者はドランさんで、事務の補佐がメケルさん、料理面をオゾさんが担っているそうだ。
だからさっきから、オゾさんがやたら見るし、質問するのかと腑に落ちた。
焼けたら少し冷まして、先に焼いたものと、生地を寝かせたものとの食べ比べだ。
両方を食べてすぐ、彼らは食感や風味が違うことに気づいてくれた。
「あんな、生地を置いておくだけで、違いが出るのか」
新鮮な驚きに、ちょっと嬉しくなる。
「きちんと冷やしておく必要があるんです。時間も、生地を落ち着かせる時間が必要です」
「生地を、落ち着かせる」
「粉などの素材を馴染ませる時間、と言った方がわかりますか?」
なるほどと彼らは頷いた。
「しかも、菓子よりうまい。これは、イケる」
何度も頷いてから、ドランさんが語るには。
今までの保存食は美味しくないので、人によっては別のものを利用していた。
その人たちが保存食をこぞって買うことになれば、かなり商売が大きくなる。
「大きく、手を伸ばせる」
何やらドランさんが、大きな手で目元を覆っているけれど。
え、泣いている?
ちょっと、どうすればいいのか。
お役に立てるなら何よりだけど、スラム街の雇用問題って、きっとかなりの大問題だったんだ。
泣いているみたいなドランさんの肩を叩くメケルさんの言葉から、一部の人しか救えず、悔しがっていた彼らのこれまでが、窺えた。
さっきギルド長はああ言ったけれど。
この保存食で、儲けたくはない。
彼らの理想に私も協力したい。
だってこの異世界で、障害者雇用施設だよ。
ちょっと、すごいことしている人たちだよ。
スラム育ちで態度は悪いけど、根はいい人なのだと、ギルド長は語る。
そりゃそうだ。雇用を生めると泣ける人だ。すごい人だ。




