67 (続・ザイル)
「竜王と聖女はあの日、久しぶりに二人で散策をしていた」
聖女が疲れている様子を見ての、気晴らしだった。
そこで聖女に駆け寄る若者が現れた。
見つけた、あなただと、嬉しそうに聖女に駆け寄ってきた青年。
番に近寄る不審な男を見て、竜王がその進路を阻んだ。
「先代竜王が鑑定スキルを持つ白竜族だったことは、ザイルも知っているだろう」
グレンの言葉通り、ザイルも知る情報だ。
先代竜王の側近たちが書き残した資料にあった。
先代竜王はソランのような料理好きの、心優しい白竜族だったようだ。
「青年を鑑定すると、勇者という称号の、異世界から召喚されて来た者だった」
先代竜王の記憶をなぞるためか、グレンは少し遠くを見るような目になっている。
竜王を見た彼は、態度が激変したという。
聖女を奪おうとし、竜王に剣を向けた。
「竜王を魔王と呼んでいた」
「魔王?」
「意味はわからないが、先代竜王の鑑定では、洗脳状態にあったようだ」
「洗脳か」
厄介なと低く呟くと、グレンも頷いた。
毒であれば解毒、怪我や身体の異変は治癒で対処が出来る。
瘴気の影響に治癒はきかないが、浄化で対策が取れる。
しかし洗脳には対処方法がない。
洗脳の魔術式を読み解くことが出来れば、解除が出来るかも知れないが。
聖女の魔法では、対処が出来ない状態異常だ。
「勇者に襲われた竜王が、腹や胸を貫かれ、窮地に陥った」
戦闘向きではない白竜族とはいえ、竜人だから弱いわけではない。
まして竜人の硬化が破られるなどは、そう起こらない事態だ。
「勇者が洗脳状態にあるのを見て、竜王は聖女に注意を促した」
洗脳され、まともな状態ではないから逃げろと。
しかし聖女は番を置いて逃げられず、必死に治癒をしようとした。
「特殊なスキルによるその怪我は、聖女の治癒も効かなかった」
当時の状況を想像してみる。
伴侶である聖女は焦ったことだろう。
我が身を構わず、回帰スキルを使ってしまうほどに。
「ミナの話から考えると、竜王が殺されそうになり、聖女が洗脳解除のために回帰スキルを使い、勇者は元の世界に戻った」
そして聖女は魔力切れで死亡し、魂が異世界に飛ばされた。
「彼女の説明があったから、わかったことだ。オレの記憶だけでは、聖女に何が起きたのか、わからないままだった」
そのグレンの言葉には、心から同意する。
それでも当時のミナは異世界に召喚されたことに、ひどく動揺していた。
そんな彼女に対し、この世界に生まれるべき魂だったなどと語るべきではないと、思っていた。
まさか彼女の鑑定で、歴代聖女のスキル使用方法がわかるなど、予想外だった。
ましてそこから聖女の魂について知るなど、思いも寄らないことだ。
異世界召喚された彼女の鑑定が、我々の鑑定と異なるとは、わかっていたのだが。
こちらから明かすべき話ではなかったと、今でも思っている。
ひとりでその問題を抱えることになったことは、可哀想だったとは思うが。
彼女はグレンに打ち明け、グレンとともに乗り越えた。
私が彼女に干渉していた場合には、そうはならなかっただろうから。
「そもそも先代竜王の時代、ハイエルフの賢者が聖女に執着するようになり、聖女が竜王への害意を感じたため、竜人の里から離れた」
その経緯も知っているなと目線で確認され、ザイルも頷く。
竜人の里に滞在していた、ハイエルフの賢者。
彼が聖女に執着したため、竜王と聖女が竜人の里を離れた。
あの頃、当のハイエルフが死亡したと聞いて、竜人の里に戻る話が出ていたことも、竜王に同行した者の手記にあった。
だから竜王と聖女の死に、彼は無関係だと考えていた。
当時、聖女は魔女の一族と協力し、世界の浄化を効率的にする研究を始めていた。
そのためこちらで拠点を構えて、長く滞在した。
世界の瘴気を集めて浄化するという手法は、確かに興味深いものだった。
本来瘴気は、ある程度定まった場所に出る。
世界の魔力や魂が流れる道筋に沿って、発生するためだ。
特に竜人の里付近が、いちばん瘴気が発生しやすい。
人族には知られていないが、聖女の子孫の竜人族も聖魔力を持つことがある。
その竜人たちが、聖女不在の期間は、瘴気を浄化していた。
だが時折、思いもしない場所に瘴気溜りが発生し、魔獣による少なからぬ被害を出すことがあった。
今、各地で瘴気溜りの被害が起きているのは、人為的なものばかりではない。
本流の浄化が間に合わず、各地に散った瘴気によるものだ。
千年の聖女の不在は、聖女の子供たちだけでどうにかなる範囲を超えていた。
本流の浄化が十全であっても、不意の瘴気発生は起きていた。
聖女はその不意の被害を、どうにかしたいと考えた。
瘴気を集めることの出来る魔女の呪術で、その解決が出来ないかと。
セラム様は例の魔方陣を、瘴気を集めた上で増幅させる魔方陣だと解釈されたが。
瘴気は自然発生するもので、作り出したり増やしたりは出来ないものだ。
瘴気とは、巡る魂から発生する、過去にあった情念の塊。
魔女の呪術は、それを集めるものだった。
例の魔方陣も瘴気そのものの増幅ではないはずだ。
恐らくは、瘴気を集める効果を増幅しているのだろう。
当時、聖女と竜王の不可解な死を、魔女の呪術と関連づけて考える人族がいた。
王妃が語った魔女の迫害は、それで引き起こされたものだ。
竜人族から見ても真相はわからなかったが、竜王の側近たちが仲裁に入った。
聖女と魔女たちは良好な関係であり、あの死は呪術によるものではないはずだと。
人族の疑念は消えず、魔女たちは南の森でひっそり暮らすようになった。
やがて魔女たちと良好な関係になるルビーノ国が興り、ようやく魔女の一族は平穏を手に入れた。
「考えれば、あのハイエルフの死亡時期は、勇者召喚と一致する」
「ああ。今まで繋げて考えたことがなかったが、そういうことなのだろう」
聖女に執着していたハイエルフが、突如死亡した。
その死が何に起因するのかは、わからなかった。
勇者召喚が、竜王を殺して聖女を奪うつもりで、彼が成したことであれば。
「異世界召喚により魔力が尽きて、あのハイエルフは死んだ」
グレンも頷いた。
勇者は竜王を殺すための存在として、召喚時に洗脳状態にされたと考えられる。
召喚の魔方陣に、洗脳も組み込んでいれば、可能だ。
だがそれなら、今回の召喚はどういうものだろうか。
聖女を奪う目的で、竜王を殺そうとしたハイエルフは、前回の召喚で死に至った。
その魔方陣の知識が残されていて、何らかの形で使われたのか。
もしも同一の魔方陣であれば、聖女を奪い竜王を殺す洗脳が、勇者に影響を与えている可能性がある。
しかし今回の勇者は、グレンに反応しなかった。
「異なる召喚の魔方陣が生み出されたのか。あるいは同じ魔方陣でも、洗脳状態になる鍵が、別にあるのか」
私の言葉に、グレンが続ける。
「聖女と魔力共鳴する番に敵対、という洗脳であれば、あのとき反応しなかったのは当然と言えるな」
なるほど、その考えもあるかと頷いた。
あのときのグレンは、まだミナの番になっていなかった。
聖女の魔力に反応する洗脳であれば、聖女の番であることが、敵対の条件。
つまり番の儀を終えた今のグレンには、反応する可能性が高い。
「同じ魔方陣が使われているなら、あの勇者には用心する必要があるな」
「ああ。勇者として、聖女の魔力を感知していたようだ。彼女が未覚醒だったため、洗脳された行動に至るほどではなかったと考えられる」
「そういえばあのとき、勇者はミナに好意的だったな」
途端にグレンが険しい顔になる。
あのときのことは、グレンからすれば、腹立たしいだろう。
理由があったとはいえ、自分の番が、他の男に甘えたような声を上げていた。
だが、これで先代竜王に纏わる謎は、解けたと言える。
筋道は立った。
恋に狂ったハイエルフの賢者による、愚かしい行いの結果として。
グレンがミナを腕に抱え、その髪に顔を埋めた。
「聖女の魔力に惹かれることも、洗脳に含まれている可能性は高い。確かに奴は、ミナに好意を寄せている様子だった」
聖女を奪い、竜王に剣を向ける。
つまり洗脳の内容は、聖女への好意と、その番への敵対行動だ。
「彼女を頼む。ともに勇者が召喚されている以上、彼女をひとりにしたくない」
グレンの切実な声に、頷いた。
本当に、タイミングが申し訳なさ過ぎる。
聖女への発言権も、聖水による浄化の実績も、必要なことだが。
番になった翌朝に遠征へ行かせるのは、あんまりなタイミングだ。
「オレがいない間、彼女にはこの自治区から出ないように伝えて欲しい」
「わかった。そうなるように誘導しておく」
そう伝えると、グレンはそうではないと首を振った。
「誘導ではなく、彼女にはすべてを話したい」
今度はこちらが眉間に皺を寄せてしまう。
すべてを話すとは、どこまでだ。
まさか世界の管理者であることまで、明かすということなのか。
「彼女は行動力のある人だ。すべてを知り、その上で判断して欲しい」
それはまあ、否定はしない。
ミナはグレンとは方向性が違うものの、ときに思い切りが良さそうだ。
色々と考えて動く彼女には、なるべく正しい情報を伝えておく必要がある。
変な誤解が生まれた場合、どんな方向へ動くかが読めない。
「あと、オレが帰ってきたら、ダンジョンへ行こうと言っておいて欲しい」
「ダンジョン?」
「聖女の守りを固めるためには、必要なことだ」
それも竜王としての記憶にあるのだろう。
グレンは確信を持って、口にしている。
歴代竜王の記憶を持つというのは、どのようなものかと思っていた。
元の竜人とそう変わりがなく、ただ記憶を引き継ぐだけだと言われていたが。
記憶があるだけで、大きな違いだと感じていた。
だが今目の前にいるグレンは、グレンのままだ。
「なるほど。聖女に万全の状態になってもらう必要があるということだな」
「ああ。ちょうどミナはダンジョンへ行きたがっていた」
そこでグレンの口角が上がる。
ダンジョンの話に目を輝かせていた、ミナの様子を思い出しているのだろう。
「ウズドのダンジョンへ行く。ヘッグにも伝えておいてくれ」
ようやく先代竜王と聖女の謎が判明。
そしてミナが持ち運びされていた事実も判明。




