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下宿に戻ると、私たちの戻りが予想外に早くて、ザイルさんに心配された。
でも事情を話せば、なるほどと笑われた。
「まあ、異世界出身の聖女殿は、規格外だからな」
そんなことまで言われた。
歴代聖女様がどうだったかなんて、教えてくれないのに知りませんがな。
「聖女とレシピ登録は関係がありません」
「そうでもないだろう。パン種とやらは、聖女スキルをかなり活用したのだろう」
言われて、確かにと思い出す。
発酵関係は時間短縮のために、聖女スキルを思い切り活用した。
パン種の作り方はソランさんとティアニアさんに説明して、日数がかかることに、とても驚かれていた。
発酵という、菌を育てることにも、目を丸くされていた。
あの日はスキルで時間短縮したことを伝えたので、ティアニアさんがザイルさんに話したようだ。
「それにしても、疲れた顔をしているな」
「違いが多すぎてカルチャーショックです」
いや、違いが多いことはわかっていたんだ。
ただその違いを認識できていないことの多さに、改めて気づかされた。
目新しいお菓子は話題になるだろうと思っていたけれど。
それだけで注文殺到する危険があるとか、利用価値が高いとか。
商業ギルド長からあんなに心配されるほどとは、予想していなかった。
まあね。パンに対するヘッグさんとガイさんがああだったからね。
あれで予想しておくべきだったかも知れない。
成形の利用価値は、他の焼き菓子だって同じだろう。
型があれば任意の形に出来るし、模様を施すことも出来る。
実際あちらには、貝型のマドレーヌや、薔薇型のフィナンシェなどがあった。
クマやネコやウサギなど、デフォルメした可愛いモチーフも多かった。
ケーキのデコレーションもたぶん、利用価値が高いと言われるだろう。
カップケーキにデコレーションするのだって、そうだ。
チョコレートがあれば、チョコペンで細かな模様も描ける。
生クリームの模様も、それなりに形は作れる。
フルーツソースで彩りついでの模様も出来るだろう。
レシピを公開したからといって、すぐに出来るものでもない。
私はすべてを公開レシピで登録してもいい。
でも情報が公開されれば、既に技術を身につけていて、すぐに作ることが出来る私に、注文が殺到する可能性が出る。
忙殺されたくなければ、少しずつお披露目の方がいいかも知れない。
そのあたりはギルド長に相談するべきだろう。
最初は、次々とお菓子をお目見えして、いずれお菓子革命にと思っていた。
でも今回、お祭り用のふたつのお菓子で、お菓子革命と言われてしまった。
世界が違い、常識が違うからと言えばそうかも知れないけれど。
お菓子という物の認識の違いは、思った以上に大きかった。
ソランさんのパン屋関係の登録も出来たのは、ありがたいけれど。
パン屋のラインナップを揃えるために作る物も、次々と登録することになるかも知れない。
そのあたりも、ギルド長と要相談だ。
動き出したからこそ、することの多さに、遠い目になりそうだ。
でもきちんと収入を得るためには、動き出さなければいけない。
聖水も、収入になるとは思うけれども、あれはまだどうなるか読めない。
それに報酬が莫大なのが気にかかる。
浄化が世界的に必要であれば、それで莫大な報酬を得るのは、やはり気が引ける。
その「気が引ける」状態が、もしかするとギルド長の心配されていた「自分の価値を軽んじない」に繋がるのかも知れないけれど。
でも人々の安全確保に必要な物が高額なのは、どうなのだろうか。
そんなこんなを考えてしまうと、気が重くなる。
まあ今は、その重い話よりも、別の苦情がザイルさんに対してあるわけで。
「ザイルさん、聖女関係以外にも、私に教えてくれていないこと、色々とありますよね」
グレンさんは気が回らないので、私はザイルさんに文句を言うことにしていた。
だって情報制限をしているのはザイルさんぽいからね。
「竜人族の番の魔力が、人族の女性側も影響があるって聞きました」
「ああ、魔力の相性だからな」
さらりとザイルさんに返される。なんだか腹立つ。
「あと食べさせ合いが、竜人族の愛情表現だとか」
あ、ザイルさんが固まった。
「そういえば、人族は違ったのだったか」
まさかの知将の認識不足。
いや、もしかしたら、こっちの世界は人族も食べさせ合いをする可能性はある。
でも異世界は違うという可能性も考えて欲しかった。
そりゃあ私たちの世界でも「あーん」はある。
愛情表現といえばそうとも言えるけど、違うんだよ。
一般的ではないのですよ。
「しかも、指も舐められるとか、予想外過ぎますよ」
心が削られたあれが当たり前かと、じとんとした目をザイルさんに向ければ。
「おいグレン」
最後のは、ザイルさんも予想外だったらしい。
「それは調子に乗って、グレンがやらかしただけだ」
呆れた声のザイルさんに、グレンさんが返す。
「初めての魔力交換が魂の契りでは、刺激が強いだろう。前もって魔力を馴染ませておきたい」
何が悪いのかわからない、という態度のグレンさん。
グレンさんなりに理由のある行動だったらしい。
やりたいからやったとか言われたら、どうしようかと思っていた。
魔力の相性で、番の魔力が心地良いというのは基本だけれど。
魔力というのは、強く影響し合うと酔うのだという。
番の儀式は、血に巡る魔力を結び合わせる、とグレンさんは表現していた。
なんとなくのイメージは、傷口を合わせること。
そのイメージで合っているか訊けば、肯定が返ってきた。
傷口を合わせて、相手の真名を互いに呼び合う。
そのとき、傷口の血に魔力を滲ませ、互いに魔力を共鳴させるのだという。
魔力の相性が良くても、魔力酔いはするそうだ。
相性が良ければ気持ち良さになるのだと説明された。
指を舐められて、変な気持ち良さがあったのは、それか!と、納得した。
ザイルさんは、それらを淡々と説明してくれる。
まあね。変に照れて説明されるのも困るから、いいのだけれど。
つまりグレンさんは、その儀式で私の魔力酔いがひどくならないように、指を舐めることで慣らそうと考えたらしい。
「ミナは、口づけなどにはまだ抵抗があるのだろう」
グレンさんに言われて、目を泳がせた。
まあ、そうですね。抵抗、というかね。
やったことがないし、まだお試しお付き合いで、いきなりは、ね。
それなら指を舐められる方がいいのか? いや、しかし。
私が困惑していると、ザイルさんも額を押さえていた。
なるほど。ザイルさん的にも、グレンさんは斜め方向に行っていたようだ。
「まあ、魔力を馴染ませる方法は、二人で話し合ってくれ」
最終的に、ザイルさんから私に丸投げされた。
マジか。どうすればいいんだ。
「肝心なのは、血を混ぜ合わせ魔力共鳴しながら、真名を口にすることだ」
そうまとめられてしまう。
「人族は真名を重視しないが、竜人族には隠された真名がある。番だけに真名を明かす。それが大事な儀式だ」
そう言われて、はたと気づいた。
私、ずっと偽名のままなんですけど。
ええと、いつどのタイミングで本名を名乗ればいいのか。
いっそ、本名を真名だと言っておくべきか。
うん、そうだよね。その儀式のときでいいんじゃないかな。
グレンさんだけが私の本名を知っているという状況でも、いいんじゃないかな。
皆に名乗るかどうするかは、そのときのグレンさんの反応で考えるということにしておいた。




