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 グレンさんに体調を心配されるのに気を急かされて、話は急ぎで取りまとめた。


 レシピ使用料が、個別契約をしなければ利益の一割だと言われて、利益だから材料費などは差し引いてるにしても大きいなと、利用者を心配しながら頷いたり。

 納品金額も一般の価格がわからず、マルコさんから高額を提示されて慄いたり。

 テセオスさんが妥当な金額だと言い、ギルド長にまで頷かれて驚いたり。


「よくわからないというお顔をなさっておいでだが、その金額にするべきです」

 ギルド長は、高額の理由を説明してくれる。

「低価格にして注文が殺到した場合、困るのはミナ様でしょう。自由に造形できるということは、高位の方々には非常に有益なのです」




 例えば貴族の方が、家門所縁のモチーフのお菓子を、茶会で出す。

 造形を指定した記念品のお菓子を配布する。

 相手のとても好みの見た目の物を、贈り物にする。


 相手の目にとまること。印象を良くすること。

 それらは貴族や富裕層にとって、非常に大切なことだという。

 しかも品物が、お菓子という扱いやすいもの。


 見た目の優れた、自由に成形の出来る、しかも味や風味や食感の良いお菓子。

 それは私が思っているより、はるかに利用価値が高いのだと説明された。




 色々なモチーフに対応出来ると伝えたときに、ギルド長が難しい顔をされたのは、注文がそれだけ殺到する未来が見えたかららしい。


 レシピ公開をしても、職人が育つまではそれなりにかかる。

 私がそう言ったことで、技術を身につけている私が、しばらく独占することになるだろうとギルド長も判断されたようだ。


 なるほど。それなら高額で稀少なお菓子とさせてもらった方が、確かにいい。

 注文が殺到して忙殺なんて、出来れば避けたい事態だ。

 そう考えて、提示された金額で頷いた。




「ミナ様。あなたはご自身の価値を、けして軽んじてはなりません」

 最後にギルド長は、重々しくそう私を諭した。

 軽んじたわけではないけれど、提示された金額の大きさに戸惑うのは、軽んじたことになるようだ。

「あなたの身につけた技術には、それだけの価値があるのです」


 私を心配してくれての言葉に、素直に頷いた。

 ギルド長は最後まで、私を心配そうに見ていた。


 追加納品については、午後に竜人自治区まで受け取りの人が来てくれるそうだ。

 そうした打ち合わせを終えて、ようやく退室できた。




 さてさて、グレンさんに抱き上げられて商業ギルドを辞去するときのこと。

 一階のエントランスで、ホセさんとマリアさん、ヘッグさんに会った。


 マリアさんも今日の花祭りに合わせてブローチを作っていた。

 あの磨りガラス的な素材をレジンのように使い、きれいな花の、安全ピンで留めるブローチを昨夜作ったのだと、朝食のあと私に見せてくれた。

 精巧な花の細工の、私たちがブローチとして馴染みのある形だ。


 私と同じく、マリアさんも気楽にお試し出品してもらうつもりで、朝食後にも追加で作成した上、シェーラちゃんの屋台に持ち込んだ。

 そして私のときのように、シェーラちゃんが慌ててホセさんを呼んだそうだ。




 まずこの世界に、安全ピンがなかった。

 花祭りの屋台にブローチがあると、私は思っていた。

 遠目だったので構造はわからなかった。

 でもあれば、私たちが思うブローチではなかったようだ。


 こちらの一般的なブローチは、カフスのような、服に穴をあけて使う前提らしい。

 クリップはあるので、襟にクリップで留める形式のものもある。

 でも安全ピンはこの世界にはなかったそうだ。


 あとレジンのような素材による、緻密な細工物もなかった。

 マリアさんが作ったのは、不透明な色ガラスっぽい、精巧なミニチュアの花。

 これまた日本では、当たり前にあったけれど。

 こちらの世界では珍しい精巧な細工物。


 結果、慌てて商業ギルドへ登録しに来たという。

 見送りに来てくださったギルド長へ、例の同郷の方だと伝えるとすぐに、マリアさんたちは奥へ通されることになった。

 ホセさんから説明を受けて、またマルコさんが同席するらしい。

 ホセさんはお店へ帰っていった。




 マリアさんには、昨日のようにヘッグさんがついていたので、私たちは見送った。

 見送りながら、なるほどそうかと、私は気がついた。


 花祭りの屋台の品物に魅力を感じなかったのは、日本にはもっと質の良い物が溢れていたからだ。

 でもこの世界では、あれらが当たり前の物だ。


 洋服だって、肌触りが悪くて、着心地が日本の洋服より悪い。

 でもこの世界では、これが当たり前だ。


 違うことはわかっていたつもりだったけれど、今ようやく実感した気がする。

 世界そのものが違うということは、同じ認識で話が出来るのは、あちらの世界出身の者たちだけ。

 こちらの世界の人たちには、まず私たちの当たり前を、言葉で説明しなければ通じない。


 日常生活について、違いが何かを知るところからスタートだと認識はしていた。

 でも服にしても、異世界言語で変換された「麻の服」は、たぶん麻という植物由来ではなく、近い素材だ。

 「綿の服」でも、異世界言語で変換されているけれど、恐らく違う物。


 こちらの服の流行云々以前に、ホックやジッパーはたぶんないだろうし、ボタンもよくわからない。

 あのとき選んでいた服は、紐でどうにかするものばかりだった。

 服ひとつとっても、当たり前だったパーツが存在しない。




 こちらの世界には魔法があり、私たちの世界にはなかったものがある。

 一方で、私たちの世界で当たり前にあった物の多くは、この世界に存在しない。

 素材は似た物があっても、ほぼ違う物になっている。


 異世界言語は適度に翻訳され、時々似た認識の別の物に変換される。

 自然に変換されるために、詳細を聞くか見るかしなければ、違いに気づかないことも多い。


 共通認識が違うところで、ひとつひとつ、確かめる必要がある。

 たぶん、この世界に根付くためには、そうやって知っていく作業を何度もしなければならない。




 商業ギルドからの帰り道、私はグレンさんに抱き上げて運んでもらった。

 ちょっと、色々盛りだくさんで放心状態だった。


 今までの私なら、疲れていても自分で歩いていただろう。

 でもなんだかグレンさんの腕の中に、このままいたいという気分だった。

 心境の変化というわけではない。

 まあいいかと、今は割り切った感じだ。


 恥ずかしさは相変わらずあるので、首の筋肉に顔を埋めておいたけれども。




 今日のメインイベントは、グレンさんとデートのはずで。

 シェーラちゃんには、お試しで渡すだけのつもりだったのに。

 菓子職人として最初のお仕事の日になってしまい、グレンさんには申し訳ない。


 小声でグレンさんの耳元に、ごめんねと謝ったら。

「お菓子を作るミナの傍にいれるなら、それでオレは嬉しい」

 大きな手で私の頭を撫でながら、そんなスパダリ発言。


 こうなったらライフが削られてでも、出来たお菓子をグレンさんにあーんしよう。

 そうでなければ私の気が済まない。

 うん。まあ、うん。

 ちょっとガリガリと、またも心が削られそうだけどね。




 帰り道は、朝より賑やかになっていた。大道芸らしき物も見えた。

 魔法で幻想的な見世物をしていたり、音楽を鳴らして歌っていたり。

 うん。お祭りだ。お祭りの雰囲気だ。


 魔法の幻影がちょっと気になったので、しばらく見ていた。

 魔力の流れを見ようとしたけれど、私にはよくわからなかった。

 ザイルさんに今度訊いてみようかな。


 着飾った道行く人々。飾られた花々。露天、大道芸。

 そういったものを見て、雰囲気を感じながら、グレンさんの首に抱きつく。

 なんだかちょっと、困った。すごく甘えたい気分が発動している。

 なんだろう。どうすればいいのだろうか。


 グレンさんは、私を抱く腕に少しだけ力を込めて、応えてくれた。

 魔力が本当に心地良くて、この腕の中が安心できる場所になっている。

 本当に、なんだか困る。




 異世界で、生きていく。

 決意をしたけれど、いろんな違いがあり過ぎて、戸惑いも大きい。

 こうやって商業ギルドに登録をして、一歩前進したけれども。


 前進したから不安に襲われているのか、よくわからない。

 わからないけれど、また不安定になっている。困った。

 自分のホームシックのタイミングがよくわからない。


 たぶんこれ、グレンさんがいてくれなかったら、ダメだった気がする。

 違いの大きさへの戸惑いに、立ち止まっていた気がする。


 頼もしいパートナーと、マリアさんが言ってくれていたけれど。

 本当にそのとおりだ。

 グレンさんとだったら、戸惑いながらも進んでいけそうな気がしている。


 私は命綱につかまるみたいに、この日の帰り道はずっと、グレンさんの首に抱きついていた。


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