36
帰りの馬車は、午後の二刻頃、迎えに来てくれる約束だ。
なので市を回ったあとは、屋台で早めの昼食を済ませ、歩ける範囲のお店を見て回る予定をしている。
マリアさんとヘッグさんには、お付き合いのことが報告するまでもなくバレた。
先に屋台の軽食を食べていたのだけれど、大きな具が入ったトルティーヤみたいなものが大きすぎて、私には食べきれなかった。
グレンさんに相談すると、残りを食べてくれるというので差し出したらば。
私の手ごと掴んで、私が手に持ったままのそれを食べた。しかも嬉しそうに。
そこにお二人が来られまして、ニヨニヨされたわけですよ。
「グレンさんは相変わらずだけど、ミナちゃんの態度が違ってたから、あらお付き合いが始まったのねって思って」
「異世界の常識は知らんが、そうやって食べさせるの、番以外にやるなよ」
即バレでした。
マリアさんたちも軽食を食べたあとは、大きなお店を見に行こうと言われた。
市から少し離れた場所にあるらしい。
人混みを縫って歩くからと、またグレンさんに抱き上げられた。
ヘッグさんとマリアさんの生ぬるい視線がつらい。
着いたのは、立派で大きな店構えのお店。
商品は雑多なので、高級店というわけではない。
大規模な量販店的な雰囲気なので、気軽に入りやすいお店だった。
そのまま店の中へ入るグレンさんに、待ったをかけようとしたが遅かった。
抱き上げられたままの入店だ。
注目を浴びるわけではないが、感じる視線は生ぬるい。
「これは、グレン様!」
そしてグレンさんに声がかけられ、さらに注目を浴びた。
せめて顔を伏せ、グレンさんの首に顔を埋めた。つらい。
少しだけ浮かせた顔の隙間から状況を窺うと、ささっと歩み寄ってきたのは、上品そうなご年配の男性。
彼はすぐ傍に来て、グレンさんに抱き上げられた私を見て、頷いた。
「おめでとうございます!」
何のお祝いかは突っ込まないよ。
意地でも反応しないよ。まだ番じゃないよ。
そう心の中で唱える。
グレンさんを大歓迎している人は、この店の主人マルコさんと名乗った。
過去にグレンさんに助けられたそうだ。
商売について話が聞きたいとグレンさんが言うと、奥に通された。
ただお店を見るだけだと思っていたので、私とマリアさんは戸惑う。
ヘッグさんは苦笑して、とりあえず行こうと促した。
奥のお部屋は商談席なのか、立派なソファーに招かれた。
グレンさんの膝の上に座らされたので、腕をペチペチして隣に座らせてもらう。
少ししょんぼりされたが、これに負けてはいけない。
負けたら、これからずっと膝の上生活になるような気がする。
負けるわけにはいかない戦いだ。
お話をしてくれるのは、マルコさんともうひとりの男性。
マルコさんの娘婿で、支配人のホセさんと紹介された。
こんな大きなお店の商人というと、あくどい人もいそうだけれど、二人ともに悪い印象はない。
何の話をするのかと、私とマリアさんはこの席に首を傾げていたけれど。
「まだ番にはなっていないが、お試し期間を設けてもらった、ミナだ」
そんな私の紹介から、グレンさんは会話を始めた。
…ちょっとその、その紹介はどうなのか、グレンさん。
そう思ったけれど、お二人は頷かれた。
「そうですな。いきなり番と言われましても、我々人族としては、その前のお付き合い期間が必要ですからな」
「ああ。ミナにもそう言われた」
「それでも番にあたる方が見つかられて、良かったですね、グレン様」
どうやらこちらでは、一般的な認識にあたるらしい。
「こちらのマリアとともに、それぞれ職人として商品を作り、販売をしたいそうだ。商売の話を聞かせてもらいたい」
なるほど。知り合いに大きなお店の主がいたので、商売の話を聞けと言うことか。
グレンさんの気遣いは、とてもありがたいことだ。
とはいえ、どう切り出せばいいものかと、考えていると。
「私は以前、行商をしていた頃に、グレン様に助けられましてな」
先にマルコさんが、グレンさんとどういう知り合いなのか説明してくれた。
店は持ったものの、仕入れは自分でやりたかったマルコさん。
仕入れと行商の旅の中、魔獣に襲われていたところを、通りがかったグレンさんが助け、次の街まで護衛に加わってくれた。
それ以来の付き合いだという。
竜人族だと知り、それなら竜人自治区にいるのではないかという話をして。
グレンさんが魔獣退治やダンジョンで手に入れた素材を買い取ったり。
竜人自治区で必要なものをグレンさんが仕入れたいと希望すれば、融通をしたり。
もちろんきちんと商売として成り立つようにはしているが、恩人として大切に取引をしているそうだ。
商売人として信用を大切に、実直に取引をする方のようだ。
この状況で、信用の出来る商人とのご縁は、とてもありがたい。
彼がそういう人だから、私とマリアさんに紹介してくれたのだろう。
そして、さすが商売人。
私たちが話をしやすい空気を、うまく作ってくれている。
こうなったら異世界のことを明かして、こちらの意図を明確にしたいので。
誓約魔法を使って、私たちのことを無闇に話さないように誓ってもらった。
あの王様のときのような騙し討ちではなく、きちんと誓約魔法だと説明もした。
マルコさんもホセさんも、快く応じてくれた。
「私たちは異世界から来ました」
まずその話をすると、マルコさんは目を見開いて固まった。
ホセさんは細い目でわかりにくいけれど、やはり固まっているみたいだ。
「元の世界では、菓子職人を目指していました。あちらのお菓子を作って売りたいんです」
私の宣言に、固まっていた状態から、きょとんと目を瞬くマルコさん。
「あと保存食も。もっとおいしく出来るはずです」
「あの保存食がうまくなんのか!」
マルコさんではなく、ヘッグさんが食いついてきた。
「いや、確かに今朝のパンも、メチャクチャうまかったからな。そうかそうか、うまい保存食、ぜひ作ってくれ!」
ヘッグさんの食いつきに、ようやく商人として、マルコさんたちが反応した。
今朝のパンという言葉の説明を求められたヘッグさんが、焼き立ての柔らかいパンについて熱く語る。
「とにかくうまそうな匂いで、ふわふわ柔らかくて、うまかった! 何個でも食べられそうだった!」
この世界のパンは、平たく固いパンが一般的みたいだ。
恐らくは小麦粉などの穀物を、焼き固めて食べられるようにしたものを、パンと呼んでいるようだ。
どっしりとした、噛みしめる系のパンが主流だ。
ティアニアさんが作ってくれたガレットや、屋台のトルティーヤもあったけれど。
あのようなフワフワ食感のパンは今までなかったと、ティアニアさんもソランさんも言っていた。
そもそも発酵という言葉に首を傾げられたから、驚いた。
でも考えれば、乳製品系の木の実が熟して、ヨーグルトやチーズがある世界だ。
世界そのものが違い、物のありようも大きく異なる世界。
発酵食品が発達していないことは、大いに考えられる。
紅茶があったので、茶葉を発酵させていると思っていたけれども。
あれだって、地球の製造方法と同じものとは限らない。
お酒が木の実からとれると言われても、この世界ではそうなのかも知れない。
まあ、お酒については未確認の情報だ。
ふくらし粉もなさそうだし、泡立てについても二人に首を傾げられた。
卵やクリームを泡立てるという発想そのものがなかったようだ。
蒸しパンなども、なかったのだろう。
焼き菓子はこの世界でもあるのだから、私流の焼き菓子からまずは広めたい。
日持ちすることは大事だろうけど、それならそれで、やりようはある。
あとビスケットやクラッカーなど、水分少なめで日持ちのしそうな物を、保存食として流通させられないだろうか。
保存食に使われていた木の実も見つけたので、栄養面はそれを使うとして。
これから試行錯誤をしていきたいところだ。
私がそんな話をしたあと、話をマリアさんに引き継いだ。
彼女からも、私たちの世界に当たり前にあったものを再現したいと話が出た。
石鹸や化粧水、私たちの世界で一般的だった下着類。
「質のいい石鹸はともかく、その化粧水とは、香油と違う物ですか?」
「香油は肌の潤いを逃さない膜作り。化粧水は水分そのものを補うのです」
「お肌が整うんです」
私も商品化して欲しい物なので、話に加わる。
「下着も、体に負担のかかるもので整えず、楽に整えるものがありました」
「ゴムとか、こちらにあるんでしょうか」
「素材がないならないで、布を立体的に縫い合わせて補正はできるわ」
「ああ、服の切り返しとかも、立体的でオシャレになりますしね」
「そうよ。工夫次第で色々と出来るわ。布の織り方で伸縮させる手もあるのよ」
私たちの話に、マルコさんとホセさんが顔を寄せ合う。
「これは誓約魔法が確かに必要ですな」
「女性たちに知られたら、えらいことになりますな」
コソコソと話し合うお二人を前に、私とマリアさんは黙ってお茶を飲む。
話すだけ話したけれど、この商品をどう扱うべきかは、専門家の意見を聞こう。
なにやら今の話でも、普通に売ってトラブルになる可能性がありそうだ。
だったらどう流通させるのか、知恵を借りた方がいいだろう。
「そうですな。お二人が作り手というのなら、販売を委託した方がいいですな」
「下手に直接関わると、無理な注文を受けることにもなりかねません」
お二人からの忠告に、二人でコクコクと頷く。
そういうトラブルはできるだけ避けたい。
「私どもで引き受けることも可能ではありますが、それぞれの得意商品を扱う店に委託する手もありましょう」
「我々は雑貨店なものですから、化粧水とやらはともかく、食品と衣類は別の得意な店があります」
無理に自分のところで売ろうとしないことも、誠実さを感じて好感度が高い。
さすが、グレンさんが紹介してくれただけはある。
そう思っていたら。
「グレン様がいらしたですって!」
女の子が部屋に飛び込んできた。




