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市は盛況だった。
花祭りで明日から二日間、普通の市が立たないためか、人がとにかく多い。
すべてのエリアが混んでいるわけでもないけど、ゆっくりくまなく見るのは、無理がありそうだ。
「ミナちゃんは食材がメインよね。どうしましょう、別行動っていいのかしら」
マリアさんは、手芸や工芸、あとは石鹸や化粧品の素材を見て回りたいという。
この人混みだと、別行動にしないと、お互いが見たいものを存分に見られない。
男性に少し構えてしまうと言ったマリアさんが気にかかったけれど、グレンさんもヘッグさんのことも、彼女は平気そうだ。
魔力感知が出来るようになり、竜人族は大丈夫という判断になったようだ。
「ミナの案内はグレンに任せて、マリアはオレが案内しよう」
ヘッグさんが言ってくれて、私たちは二手に別れることになった。
最初、人混みにいざ突入と思ったら、抱き上げられそうになった。
なので自分の足で歩くと主張し、グレンさんと手をつなぐことになった。
うん…うん?
「せめて、どこか触れていて状況が把握できるようにしなければ、対処が間に合わないこともある」
護衛的な責任感あふれる言葉に聞こえるけれど。
待って欲しい。この恋人つなぎはどうなのか。
大きな手で、指まで絡めたつなぎ方は、こちらの世界の手つなぎの常識なのか。
対処というのなら、もっと手を離しやすい方がいいのでは?
「ミナの手は、小さいな」
いつもは鋭い目を細めてそんなことを言われたら、どうしたものか。
商品を見るふりをして、顔を背けるしか出来ない。
けどまあ、うん。今は買い物だ。商品に集中だ。
それに、大きな手で片手を包まれて、安心感があるのも事実だ。
鑑定を使いながら、食材をあれこれ見て回る。
今朝使ってしまった材料の補充と、これから使いたい材料。
亜空間収納があるから、生ものでも多めに買っておける。
買った物は、グレンさんが持つ大きなバッグに入れるふりをして、亜空間収納。
あのスキルは、人前であまり利用しない方がいいと言われていたので。
小麦粉も、実によって少しずつ違い、強力粉や薄力粉にあたる物もあった。
スパイスもあれこれ、葉っぱが色々とある。
もちろん乳製品な実も、違いを見ながら買い込む。
蜜の実にも種類があった。本当に異世界ならではの食材たちだ。
こういうときは、お城からの報酬が心強い。
生活基盤を模索するための、実験資金でもある。
いろんな素材を買って、色々と作ってみようと思う。
人が少ないエリアはメモも買い物も順調だった。
けれど人が多いエリアに入ると、露天の隅っこでのメモが取りにくくなった。
人の流れに沿って歩きながらというのは、歩きスマホと同じで危険だし。
結果、グレンさんに抱き上げられてメモを取ることになった。
普通に歩くにしても、私では人に埋まってしまったので。
人が多くなると、最前列に出ないと人の背中やお腹しか見えなかった。
抱き上げられた視点から見ると、少し離れた店なども見やすかったので、諦めた。
安定の頼もしい腕の中、ゆったりメモも取れる。
気になる商品があれば店に寄ってもらい、詳細を見て買ったりメモしたり。
あとは少し、薬や道具などの素材関係を見たいと要望した。
日本では普通に食品として扱われていた物が、存在しない。
なので素材を買って作り出すことが必要だ。
たとえばベーキングパウダー。
ふくらし粉として洋菓子には欠かせないが、この世界では作り出さないといけないだろう。
素材の重曹にあたる物があっても、食材ではないはずだ。
薬などの素材系として、どこかにないだろうか。
重曹にあたる素材があれば、錬金術などで、どうにか作ってもらえないだろうか。
結果、重曹は見つかった。
他にも薬の材料として、料理やお菓子に使える素材もいくつか見つかった。
しかも、なぜこれがこんな形になっているのかと、頭を抱えたいものも多かった。
異世界摩訶不思議が再び。
あらかた見て回ったあと、マリアさんと合流するための屋台エリアで休憩をした。
グレンさんがさくっと座る場所を確保し、飲み物と軽食を買ってきてくれた。
こういうところは、本当にスパダリだと思う。
買う物をほぼ食材に絞っていた私よりも、広範囲を見ているのだろう。
マリアさんたちが来るのを、ゆったりと飲み物を飲んで待つ。
周囲にはそれなりの人がいて、明日からの花祭りに浮かれた声も聞こえる。
「ミナ、明日からの花祭りだが」
グレンさんが私をまっすぐに見てきた。
「一緒に過ごせないだろうか」
これは、もしやこの世界では、特別なお誘いに当たるのだろうか。
花祭りは恋人たちの祭典だと、レティも言っていた。
「ザイルさんに言われたんですか?」
つい訊いてしまってから、可愛げがないと思う。
けれどグレンさんは、きょとんとした顔になった。
つまりザイルさんの入れ知恵ではない。
彼が自主的に、そうしたいと考えて言ってくれたのだ。
「その…花祭りのお誘いって、特別な意味がありますか?」
ああと、グレンさんが頷く。
「竜人族でも番を誘う。人族の女性は、花祭りを特別なものと思っている」
「私たちは、まだ番とか、そういうのじゃないですよね」
「オレはミナと、そうなりたいと思っている」
あっさりとグレンさんは口にした。
「ミナは、どうだろうか。傍にいさせて欲しいと、あのとき言ったことについて」
え、いつだ?
昨夜のあれとは違いそうだ。
え、待って。そういえば、私が夢だったと片付けた、あれ。
大規模瘴気溜りを浄化したあの夜の。
月がふたつあったことにショックを受けた、あの夜のグレンさんの言葉。
あれ? もしかしてあれは、夢じゃなかったってこと?
気づいて頭を抱えたくなった。
あああ、そうか。言われていたのか。
傍にいさせて欲しいは、告白として微妙なカウントかも知れないけれど。
でもあのときのあれが夢ではないのなら。
声の熱は覚えている。
あんな声で、あんなふうに、あんなことを。
このカッコイイ人が言ったとは思えなくて。
夢だろうと片付けたけれども。
あれが本当だったなら、大変申し訳ないことをした。
そうか。もう告白されていたのか。
いや、でもそうなら。
あの告白のあとで、ナチュラルに私を抱えて寝ていたのは、どうなんだ。
それはなんだかアウトじゃないのか。
「えええと、少し確認したいんですけど」
「何だ?」
「その…私を抱き上げるのは、守らなきゃとか、そういう意識が働いてっていうのは、わかりました」
グレンさんが頷く。
「でもあの、例えばさっき手を繋いだとき、あんなに指を絡めるのって、一般的なのでしょうか」
そう訊いてみれば、グレンさんはしばらく考えて。
「番ではない間柄と、という意味なら、確かに一般的ではないな」
ですよねーと、私は頷いた。
「だがオレは、ミナを守りたいとともに、触れたいとも思っている」
正直か!
え、ちょ、ちょっと、グレンさんや?
それ、真顔で言うことじゃないと思うんですけど。
しかも低音の美声というのが凶悪だ。
内容との余りあるギャップが扱いかねる。
「えええと、そうですね。私のいた世界でも、あれは恋人繋ぎと言って、特別な間柄でやるやつです」
「それをミナは、オレに許してくれたのか」
目を細めて、口元を緩めて、嬉しそうに笑う、野性的美形な筋肉イケメンを。
このちょっとズレているカッコイイ人を、どうしたものかと思う。
答えは一択だ。もう好きになってしまっている。
でもなんというか、このまま番になりますは、違う気がする。
そうだ。お付き合い期間が必要だ。
ということで、番にはまだなりませんと回答した。
しょんぼりしたグレンさんに、お付き合いの期間が必要なんだと。
結婚や番になる前段階の、お付き合いをしましょうと言った。
なるほどと、グレンさんは頷いてくれた。
「そういえば、番になる前に大抵、そういう期間を求められると聞いている」
やっぱりそうですよね!
こちらの女性たちも、いきなり番と言われて、はいそうですかはないですよね!
お付き合いからのイエスですよね!
なので花祭りには、グレンさんとデートをすることになった。




