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入り口から盛り上がっていたシエルさんと王妃様、側近の方々でしたが。
資料を手に取るときも、彼らは大はしゃぎだった。
「ほう、これが異世界召喚の魔法陣か」
まず聖女をどう召喚したのか、ホリトさんの研究の最終部分を見せてもらった。
紙に書かれた召喚の魔法陣を、シエルさんが無造作に触っている。
うっかり発動したりしないのだろうか。
気になって訊くと、王妃様が答えてくれた。
「魔法陣は魔力を込めて描かないと、効果はないの。魔法石や、物によっては魔宝石をインクの素材に混ぜて、魔力を込めて描くのよ」
なるほど。紙に普通のインクで書かれたものは、ただの資料。
魔法陣という扱いにはならないらしい。
本に描かれた魔法陣も、特殊な書き方でなければ、ただの資料だそうだ。
シエルさんが資料の解析をして、メモをとっている。
そのメモを覗き込んでみると、日本語で色々と書かれていた。
・異なる世界から、目的に適応した『人』と似た生命体を召喚する。
・異世界召喚の魔力で基礎能力を底上げするとともに、こちらに馴染むよう体を造り替える。
・周囲と意思疎通できる能力を有する。
・こちらの世界のことを知る能力を有する。
・自身の能力を把握できるようにする。
異世界召喚の基本は、おおよそそんなふうらしい。
こちらの『人』と似た生命体。
なるほど、動物や魔獣が召喚されても困るよね。
そしてこの世界に馴染むように、体を造り替えられているのか。
私たちが魔力を持ち、魔法やスキルを使えるのは、このせいかな。
周囲と意思疎通できる能力、知る能力が、異世界言語と鑑定だろうか。
「亜空間収納は、ありませんね」
「そうだな。魔法陣に組み込まれたものではない。偶発的についたものだろうか」
シエルさんは、私に言葉を返しながらも、資料を読み込んでいる。
ざっくりとした基本はすぐに読み解けたものの、何やら複雑な構造になっているらしい。
「この部分が、こう枝分かれして……なぜこんなところに、ここに繋がる情報を持ってきているんだ」
不満そうにブツブツ呟いている。
集中すると独り言が出る癖なのだろうか、シエルさんてば。
「目的の部分と、この魔宝石の位置が変な繋がりだが、ここでこう繋がるのか。この魔力を持つ人物に焦点を当てている、と」
魔宝石。
聖女の魔力を宿した魔宝石、だろうか。
その魔力を持つ人を召喚するという目的、かな。
「だがここで、なんだ……範囲指定? ああ、複数を呼ぶ条件か。ん、ここで、この中のひとりにこの部分を適応……なぜ、ひとりだけ。お、あ、そうか」
うん。シエルさんひとりでわかった顔になっているけど、傍で聞いているともどかしい。
でも集中しているのに、邪魔しちゃいけない気がするし。
「うーん、解析しにくいように難解に……というわけではなさそうだな。なんとも不格好な……」
シエルさんが呟く言葉に、ムルカさんが不快そうな顔になる。
「ここへ無理にこれを入れた、のか? 洗脳が解除できなかったというが、ここを切ってこう繋げれば……ああ、これも絡むのか。いや、しかし……うん。これをこうすればいいだけじゃないか。なぜわざわざ、こんな複雑な構造にしたんだ。理解に苦しむな」
ムルカさんの顔がだんだん険しくなっている。
大切な育ての親の成果を、貶されている気分になっているのかな。
シエルさんはまったく気づかずに、独り言を続けている。
私がちょんとシエルさんを突き、ムルカさんに気づかせた。
自分の発言に気づいたシエルさんは、少し慌てたように弁明した。
「いや、貶すつもりではなかった。ただ、この情報はここにまとめて書き込めば、もっとすっきりした魔法陣になるだろうにと思う表記が、あちこちにあってだな」
「あなたは、賢者なのでしょうか」
弁明で、かえって不快さが限界に達したみたいだ。
質問しながらも、ムルカさんの声には棘がある。
シエルさんは、ばつの悪そうな顔で「そうだが」と呟く。
「皮肉なものですね。ホリト師があれほど望んだ賢者の能力を、召喚された方のひとりが有している」
ホリトさんは、ハイエルフだけど賢者ではなかったようだ。
「賢者であったウロス様が作った魔法陣を、恵まれた才なく、ただ年月だけを注いでなんとかしようとされたんです。その魔法陣は、そんな努力の結晶です」
訴えるようなムルカさんの言葉に、シエルさんは気まずそうに黙り込む。
そうか。賢者の魔術解析の能力があれば、魔法陣の内容はもっと理解できて、目的にあわせて修正することは容易だった。
でもホリトさんに、そんなスキルはなかった。
勇者召喚や聖女の喪失という、人に漏らせない情報。
誰かに協力を求めることも出来ない状態。
残されたウロスさんの資料と、人と交流する中で手に入れた魔術の知識と。
あとはひたすら時間をかけた努力で、魔法陣に手を加えようとしたホリトさん。
千年前の、魔法陣を。
育ての親が、世界を壊した人にならないように願って。
魔力が高いために長命とされる、ハイエルフ。
ザイルさんは、ハイエルフは八百年ほど生きた人がいたという話をしていた。
ホリトさんが亡くなったのは、ずいぶん前の話みたいだ。
子供の頃に拾われたというムルカさんは、それなりの年齢になっている。
ホリトさんの生涯は、ハイエルフの寿命とされる八百年ほどだったのだろうか。
まだ子供だった頃に、保護者になったウロスさんを失って。
長い人生のすべてをかけて、この魔法陣を作ったホリトさん。
シエルさんにとっては歪で不格好な魔法陣だけど、ホリトさんの人生をかけた成果なんだ、これは。
申し訳ないと、シエルさんも謝罪している。
シエルさんはうっかり気遣いを忘れてしまうところがあるけれど、根は素直だ。
しゅんとした顔で謝っているので、反省しているのだろう。
誰にも相談できずに抱え込んで、ひとりでひたすら年月をかけて聖女を召喚しようとしたホリトさん。
シエルさんにとっては簡単に解析できる内容でも、ホリトさんにとっては、そうではなかった。
「あなたは、賢者としてその魔法陣を調べて、何をなさるのでしょうか」
ムルカさんの声は険しいままだ。
「ケチをつけにいらしたわけではないでしょう。それを調べる目的は何でしょうか」
シエルさんは少し目を閉じて、改めて謝罪したあと、口を開いた。
「この魔法陣で召喚されたなら、勇者には洗脳効果がついてしまっている。このままではミナもグレンも危険だ。魔法陣の内容をきちんと知り、勇者の洗脳を含めて、不都合なことに対策する必要がある」
そうしてシエルさんは、ホリトさんが作った魔法陣を解説してくれた。
召喚をする際の「目的に合った人物」は、はめ込まれた魔宝石の魔力の持ち主になる。
その人物を中心に、範囲指定で複数の人物を召喚するようになっているそうだ。
「召喚された中のひとりには、特殊な追加効果がつけられる。まずは戦闘特化の能力。強大な敵を倒せるように、どれだけ硬くても貫通する攻撃力、敵を確実に倒せるダメージを相手に蓄積させるための能力」
説明に、今度はザイルさんが険しい顔だ。
千年前の竜王が亡くなった、竜人族の硬化を貫く攻撃と、勇者から受けた傷が治らないという特殊な能力のことだろう。
「そして洗脳もいくつかの条件が入っている。核になる魔宝石の魔力に対し、それを保護させること。対になる魔力の持ち主を悪として排除すること。あとは召喚した者に従順になるよう、本来の判断力を妨げるみたいなものもある。自分がこれをかけられたらと思うと、ぞっとするな」
勇者さんは、好青年に見えた。
でもどこか素直すぎるなとも感じていた。
あれもまた、洗脳の効果ということなのかな。
なぜあの国に残ることを、素直に了承したのかと不思議な気持ちがあったけれど、あれが洗脳の効果だったなんて。
王様に逆らって私を助けるような言動は、聖女の魔力が保護対象だったから?
覚醒する前だから、守ろうとしても保護するまでにはならなかったとか。
どちらにしても、洗脳の影響が大きかったのだろう。
私とグレンさんが危険だからということもあるけれど、勇者さんの洗脳は、解かなきゃいけない。
彼の本来の思考が、洗脳によって妨げられているということだ。
自然体に見えたけれど、もし彼を知る人があの場にいたら、不自然に感じたことだろう。
「聖女様の危険に対処するためということですか。なるほど、聖女様はあなたを同郷だと仰った。でも、同郷だから味方とは限らない。あなたと聖女様の関係を知りたい」
ムルカさんはそんなことも訊くけれど。
シエルさんと私の関係、とな。
同郷以外、どうにも言えないなと、私は思っていたけれど。
「ミナはまだ大人になりきっていない年齢だ。私はあちらの世界の大人として、同じ世界から来た保護者のつもりだ。その……私が婚姻予定の女性は、ミナに母のように接している。となれば私はミナの、父のようなものだろう」
シエルさんの言葉に、私はちょっとフリーズした。
私の、父のようなもの。シエルさんが。
え、マジですか。
マリアさんがお母さんなのはともかく、シエルさんがお父さん。
うわあ、かなり微妙だ。
確かに同郷の大人として、社会経験のある人だ。
頼れる部分もあることは知っている。
でもどこか大人になりきっていないところもあるシエルさん。
マリアさんをお母さんとしたら、その伴侶になる気まんまんのシエルさんは父親……え、なんか嫌だ。
私は微妙な顔になりかけたけれど、あえて澄ました顔をした。
ここで私が嫌がる顔をしたら、さらに話がややこしくなりそうだ。
ムルカさんは、澄ました私の顔とシエルさんを見比べて、少し困惑した顔だったけれど、頷いた。
ムルカさんに納得されても微妙な心持ちのミナでした。
次回更新は10月3日です。