156 あるハイエルフの手記
このたび本作が、TOブックス様より2025年11月1日に書籍発売予定です。
お読みくださっている方、ありがとうございます。
よろしければ、そちらもお付き合い下さると嬉しいです。
目が覚めると、健やかな寝息をたてるグレンさんの顔が目の前にあった。
大抵は胸板の位置で抱き込まれていることが多いので、ちょっと珍しいなと思いながら、しばらく見つめてみる。
いつものカッコイイ感じとはまた違う、力の抜けた寝顔。
特等席で、じっくり見ることが出来るこの特権!
目力の強さで気づかなかったけど、意外と睫毛が長い気がする。
起きる気配はなく、ぐっすり眠っているみたいだ。
グレンさんも昨日は疲れたのだろう。
起こすのは気の毒な気がして、そっとベッドを出た。
寝室の扉を開いたら、部屋の中が明るかった。
もうお日様が昇っている!
今日も予定があったのに寝坊をしてしまった。
慌てた私は、とりあえず状況を知るため居間に向かったのだけれど。
「大丈夫よ。まだ間に合う時間だし、落ち着いてしっかり朝ご飯を食べなさい。あらあら、グレンの方が寝坊でまだ起きて来ないの? ミナちゃん先に食べる?」
お義母様が、私とグレンさんの朝食を用意して待ってくれていた。
約束まで時間の余裕はちゃんとあるからと、私の髪を梳かして整えてくれる。
『この料理もおいしいわあ。煮込みとか、最高やわ』
クロさんは、私より先にちゃっかりご飯を食べていた。
ご飯はグレンさんと一緒に食べたいから、まずは身支度だ。
気恥ずかしく思いながらもお義母様のお世話を受け、顔を洗って歯磨きもして。
お城へ行くわけではないから、いつもの身支度でいい。
普段の服を着て、グレンさんがくれた髪飾りもつけて、準備万端!
そうするうちにグレンさんも起きてきた。
「ほら、グレンも久々に母の味よ。といっても作ったのはジオスの好物だけどね。今のあなたは、ミナちゃんの味の方がいいんでしょう。でも今日は母の味で我慢してね」
グレンさんはまだ少し眠そうな顔で、お義母様が作ってくれた食事を食べた。
いつも寝起きはいい方だったので、なんだか珍しいなと思う。
夜会へ参加して色々あって、グレンさんもやっぱり疲れたのだろう。
今日現地へ行くのは、私とグレンさんとザイルさん、シエルさんの四人だ。
あとクロさんは、昨日よりも堂々と、私の肩に乗っている。
義父母はお城へ行って陛下や宰相さんとお話をしてから、竜人の里へ帰る。
夜会と、私の安全対策のために来てくれたけれど、あちらの魔獣や瘴気問題は規模が小さくなったものの、まだ解決したわけではない。
まだまだ強い魔獣が出るので、お義父様の力が必要らしい。
それでも、次は気楽に会えそうだと、お義母様は笑っている。
お義父様が抱えているカーペットがあるからだ。
カーペット型転移魔法陣を、竜人の里へ持ち帰ることになったのだ。
「すごいわねえ、シエルさん。転移魔法陣はすごく繊細な設置技術がいると聞いていたのに、持ち運びが出来るだなんて! ふたつの魔法陣を結ぶものなのね。ミナちゃんに何かあったときに、すぐに駆けつけられるなんて、ありがたいわあ。使うときはちゃんと連絡をしてから使いますからね。ええ、厳重に管理させて頂きますとも」
お義母様の声が浮き立っている。
「ミナちゃんもこっそり、竜人の里を訪ねることが出来るわ。事前連絡はザイルに言ってくれたら、手紙はすぐ届けてもらえるからね。素敵な場所だから、是非来てちょうだいね!」
それは魅力的だ!
今日もお城の馬車で現地に向かうと聞いている。
竜人自治区の門に向かって歩く中、シエルさんはウキウキした表情で話す。
「呪術は城の資料になかったからな。魔術とは根本が違いそうで、興味深い」
呪術といえば王妃様だけど、お城の図書室など公開されている場所に、その資料はなかったそうだ。
「もちろん精神に作用する呪術は、色々と怖そうだからな。使うつもりはないが、知っておきたいな」
使いたいわけではなく、知りたいという要求は、私にはよくわからない。
「あと召喚の魔法陣が解明出来れば、異世界言語や亜空間収納の仕組みもわかるだろうか。亜空間収納は自分で扱えるが、魔術として再現が出来ていない。空間収納付きのカバンを作成したいのだが、難しいんだ」
異世界物語の定番、収納カバン。
そうだよね。竜人族のみんなが使えたら、便利だと思うけど。
「自分で使えるスキルって、解析出来ないんですか?」
「解析してどういう理論かは理解できたのだが、魔術として再現するのが難しい。イメージで構築できる魔法とは違い、魔術理論で解明できないと、魔道具は作れないんだ」
シエルさんの話は、召喚の魔法陣や呪術などへの知的好奇心が溢れている。
魔法を作る、魔術を作るというものがよくわからない私は、一方的にそういうものかと聞いているしかない。
少しハイテンションなシエルさん。
そしていつもどおり無口なグレンさんと、いつになく無口なザイルさん。
結果、私がシエルさんとばかり話す羽目になっている。
いろんなことを知りたいと話すシエルさんだけど、好奇心だけで悪用する気はなさそうだ。
怖いから使うのはためらわれる呪術を、なぜ知りたいのかと思うけれど。
シエルさんがそれを知っておくことで、何か呪術関係のトラブルがあったときに対策がとれそうだとは、私も思う。
そしてセラム様が、王妃様とシエルさんを混ぜたくないと考えていた理由が、今はなんとなくわかる。
シエルさんはただ知りたいという姿勢だけど、王妃様は使ってみたいになりそうなんだよね。
シエルさんの知識や能力に、王妃様の実行力を混ぜてしまうと、危険な気がする。要注意だ。
私は話の合間に、いつになく無口なザイルさんを窺った。
少し緊張した顔つきで、口数が少ない。
ザイルさんは聖女がいなくなった件を、ずっと気にかけていた。
謎を解きたいと思っていたから、私が回帰スキルの説明をしたときに、すごく動揺していた。
今回ようやくすっきり解けるから、そのことを考えているんだろうか。
そう思って横目で窺っていたら、ふと顔を上げたザイルさんと目が合った。
私が気にしていることに気がついて、少し気まずそうな顔になった。
「すまない。ウロスの研究資料とやらが、気になっていてな」
「異世界召喚と、聖女の能力の解析、呪術の研究。幅広い資料がありそうだな。何かトラブルがあってもしっかり対処できるように、すべて読ませてもらおう」
気がかりだと言いたげなザイルさんの言葉に、ご機嫌なシエルさんの声。
ザイルさんはちょっと目を瞬いて、苦笑した。
「なるほど。確かに資料として存在して、残された誰かが使っているものなら、対処するためにも知らなければいけない。異世界の賢者殿、頼りにしている」
「任せろ!」
そっと小声で訊けば、ザイルさんはそうした研究資料がどこにどう流れて活用されてしまっているのか、気がかりなようだ。
ヴォバルが異世界召喚をしたみたいに、誰かがその資料を活用して、また何かをしないとは限らない。
わからないことに対策は出来ない。
でもシエルさんがその資料を見ておくことで、何かがあったとき迅速な対処が出来るかも知れない。
一方シエルさんの方は、対処のためというより、魔法研究の幅が広がることに浮かれていそうだけれど。
わからなくはない。
私もこの世界に来て、魔法やスキルを使うのは楽しい。
特にシエルさんは、その能力に特化している。
魔法や魔術を知ること、使うこと、すべてが楽しいのだろう。
「ザイルさんは、今日で謎があらかた解けることについて考えているのかなと思っていました」
「もちろん、それもある。日記とやらがどれほど詳細に書かれているかは知らないが、竜人の里を去ってからの、ウロスの研究内容が残っているのなら、おおよそはわかるだろう」
そういえばウロスさんは、先代聖女に会えなかったときも、聖女の動向は知っていたみたいだ。
呪術で世界の瘴気を集めて浄化するという、聖女の計画を知っていた。
聖女を奪うために異世界召喚を考える一方で、聖女がしたがっていた瘴気を集める魔法陣を作っていたウロスさん。
聖女を手に入れたい。聖女を喜ばせたい。
相反する想いを両方抱えていたウロスさん。
恋い焦がれる人がいると、そんなふうになるのだろうか。
それほど一方的に焦がれる感覚を、幸いと言うべきか、私は知らない。
グレンさんを素敵な人だと感じて、誰かを番としてそのうち好きになるのかと思ったときに、その人を羨む気持ちはあったけれど。
そうしたことが心に降り積もったら、そんな心境になるのだろうか。
呪術といえば、今日は王妃様も来られる。
先代聖女がいなくなったとき、ちょうど魔女たちと交流があり、そのとばっちりで魔女が迫害された。
王妃様はそのことを知ったら、どんなふうに思うのだろう。
竜人自治区の門で、おしゃべりをしたり考え事をして待っていると、立派な馬車が来た。
馬車の周囲で騎獣に乗っているのは、セラム様の護衛の一部。
その中には昨日会ったアガトさんもいる。
あとは危機察知担当だと言っていた人と、獣人族の護衛の人。
セラム様は来ないと聞いていたけれど、今回の護衛に最適と思える人を選んで送り込んでくれたのだろうか。
もしかするとケントさんが色々と考えてくれたのかも知れない。
セラム様の護衛の人たちは、私にとって一緒に旅をした仲間なので、気が楽な相手だ。
馬車が止まり、降りてきたのは王妃様と、その側近兼護衛の人。
そして案内をしてくれるムルカさんと、トマムさん。
トマムさんは少し疲れた顔だった。
どうやらエメランダの王子とひと悶着あったらしい。
昨夜ご飯を一緒に食べた他国の人たちは、お城に滞在しているそうだ。
また会う機会があるかどうかはわからないけれど、聖獣様とやらには、少し興味がある。
ひと悶着の内容は聞かなかった。
ただ、エメランダの王子は来ていない。
「研究されていた内容が、あまり世間に知られない方がいいものだと思うの。人数は最小限がいいわ」
そう王妃様が言った。
側近兼護衛の人は二人だけ。男女ひとりずつだ。
王妃様なのに身軽に動いている様子だけど、思えばセラム様も護衛はいたものの、身軽に他国や瘴気の浄化に行っていた。この国の王族はそういうものなのかな。
私たち竜人自治区から行く四人は、王妃様と女性の側近の人と一緒の馬車へ。
ムルカさんトマムさん、男性の側近がもう一台の馬車にわかれた。
そうして出かけた先は、王都からほど近い、小さな街の外れ。
魔術で気づきにくくなっている家があった。
「ほう、なるほど。隠蔽の魔術というものか」
シエルさんが興味津々に、さっそく解析している。
その魔術をいつ、どう使うつもりなのかは知らない。単なる知的好奇心かも知れない。
家としては大きめだけど、ザイルさんの下宿ほどの規模ではない。
集団で住むには小さな家だ。
まあ集団といっても、大勢というわけでもなかったようだからね。
これが庵と言っていた、彼らが暮らしていた家。
今は人が住んでいる様子ではなく、外観が少し寂れてしまっている。
中も生活感はなく、資料が並べてあったり、雑然と積んであるものもあった。
「なるほど、持ち出しの出来ない魔術とは、これか。この空間と結びつけてあるのか。ふうん」
これまたシエルさんの気を引く魔術が使われていたらしい。
「空間と結びつける魔術ですって? ちょっと、私にも教えて下さらないかしら」
王妃様も興味津々だ。
うん。混ぜるな危険の二人だね。
いざとなったら誰かに止めてもらいたいけれど、側近兼護衛の人たちも、魔術に興味津々で話に混じっている。
セラム様の護衛隊の人たちは、会話については聞こえないふりをしている。
入り口だけでもそんなふうに盛り上がって、ムルカさんが戸惑っている。
「あの、聖女様にホリト師のことを知って頂くつもりでしたが、あの方々は……」
今さらながらに、色々と心配になったらしい。
「シエルさんは一緒に異世界から召喚された人で、勇者の洗脳対策をして頂く予定です。一緒に召喚の情報を教えて欲しいのです」
そう伝えると、戸惑いながらもムルカさんは頷いてくれた。