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「ハイエルフの賢者です。なりそこないの」
答える彼に、ザイルさんは眉間に皺を寄せて、さらに訊いた。
「もしや、ウロスか」
軽妙さのない、重く警戒するみたいな響きの声。
その名前に、彼は低く笑った。
「ウロス様ではありません。ボクたちの養父はホリトと申します」
ウロスさんとは誰かと考えて、ザイルさんの険悪な顔から、思い当たった記憶がひとつ。
ハイエルフの賢者というと、千年前の勇者召喚をした人だろうか。
聖女に執着し、勇者を召喚して竜王から聖女を奪おうとした人。
ザイルさんはその人物が関係しているのではないかと、警戒している。
でも出て来たのは、ホリトさんという別の人の名前。
千年前のハイエルフの賢者と関係ない人なのかと、思っていたら。
「ボクたちの養父ホリトの、さらに養い親がウロス様です。血の繋がらない祖父というところでしょうか。大昔に亡くなられた方で、直接の面識はありません」
おっと、やっぱり千年前のハイエルフの賢者と関係があるのか。
ザイルさんの顔つきが一気に険しくなったのは、ウロスさんの関係者を警戒しているからだ。
私はグレンさんとお義父様の大きな背中が前にあるので、声は聞こえてもムルカさんの姿が見えなくなっている。
ウロスさんは孤独なハイエルフの賢者で、竜人の里に長く滞在し、人族と交流して暮らしていたけれど。
竜人の里に入れなくなってから、自分と同じ境遇の子供を助けたのか。
精霊の見えない、ハイエルフの賢者。
その育てられた子供のホリトさんが、ウロスさんの死後、聖女を召喚するための研究をしていた。
目的は何だろうか。不穏なものだろうかと考えていたら。
「聖女様がこの世界から消えたのは、自分の養い親のせいだと、ホリト師は苦悩しておられました」
彼の口から出た言葉では、責任感からの研究らしい。
師というのは、育ての親というより、師弟関係ということだろうか。
「聖女様をこの世界に取り戻さなければ、世界が崩壊する。どうにかしなければと、養父はずっと研究をしてきたそうです」
彼は少し懐かしむような、悲しそうな声で言う。
「育ての親を、世界を壊した人にしたくないと、死の間際まで考え続けておられました。まあ、志半ばで亡くなりましたが」
いい方だったんですと、彼は呟く。
多くのなりそこないエルフを、エルフの里から助け出して、育てたそうだ。
「長い寿命の中で、ボクみたいに助けられた者が多くいる。ボクが拾われたとき、三人の先輩がいた。その前にも、既に亡くなられた、なりそこないエルフがいたそうです」
寿命のサイクルが違う、エルフの子供を拾い育てたハイエルフ。
「人族が使う魔法をボクたちに教え、人族の中で生きられるようにしてくれた」
彼らの養父でありながら、魔法を教える師匠として接してきたそうだ。
「ボクが拾われた頃、もうホリト師はかなり高齢で、寿命の限界が近いとご自身で仰っていた。聖女様をこの世界に取り戻せないことに、苦しんでおられた」
自分の養父の罪を償うために、聖女をこの世界に取り戻す。
迫害されるエルフを救うと共に、それがホリトさんの生きる目標になった。
それなのに、果たせないまま寿命を迎えそうになっていることに、苦しんだ。
「失意のうちにホリト師が亡くなられたあと、残された資料をもとに、ひとりの先輩が……不完全な召喚の魔法陣を、実行すればいいと言い出したんです」
彼はそこで言葉を止め、しばらく黙り込んでから、また口を開いた。
「あの魔法陣では、範囲指定で複数の人を巻き込む上に、洗脳された勇者が聖女様を狙い、危険なままです。それを使って召喚を実行するなんて、非道な行いです。だからこそホリト師は、ウロス様が作成された召喚の魔法陣から、勇者という存在を取り除き、聖女だけを召喚する方法を模索されていたのに」
独白のような言葉を、私たちは疑問を抱えたまま聞いている。
話の内容から、ウロスさんが勇者召喚の魔法陣を作成したことはわかった。
でも、ウロスさんのせいで聖女がこの世界から失われたと、ホリトさんはどのように知ったのか。
ホリトさんは、ウロスさんの勇者召喚の目的が、聖女を奪うことだと知っていたのかな。
勇者の洗脳の内容を知っていたのなら、そういうこと、なのだろうか。
ホリトさん自身は、ウロスさんのしたことが間違っていると考えていた。
そしてウロスさんの召喚の魔法陣を元に、安全に聖女をこの世界へ戻すことが出来ないかと、模索していた。
召喚で勇者の条件を取り除けなかったのは、勇者召喚の魔法陣を元にしたからだろうか。
勇者の洗脳も修正できないまま、ホリトさんは失意のうちに亡くなった。
そして育てた子の一部が、その魔法陣をそのまま使おうと考えた、と。
今回私たちが召喚されたのは。
ホリトさんが育てた子供のひとり、ムルカさんの先輩とやらがやったこと。
「確かにボクたちは、なりそこないエルフと呼ばれる半端者です。ホリト師が教えてくれたように、ボクは人族に紛れて生きようとしていた。でも先輩は、なりそこないと呼ばれたままではいたくないと言って、行動に出たんです。ボクたちが精霊が見えない、なりそこないなのは、変わらないのに」
治癒魔法で精霊が見えるようになったのに、何度もなりそこないと口にするムルカさん。
仕方がないと言いつつも、心の傷が残っているのだろうか。
私がそんなことを考えていると。
「自分でなりそこないエルフなんて言うな!」
思わぬところから、声が飛んだ。
目を向ければ、セラム様の護衛のひとり、エルフの人が立っていた。
たしか名前はアガトさん。
「あんたに何がわかるんだ」
グレンさんの背中の向こうから、険しい声が言い返す。
それにさらに言い返すアガトさん。
「妻を貶されてるみたいで、腹が立つんだよ!」
アガトさんは口を曲げて、グレンさんの背中の向こうにいる人を見据えているようだ。
「オレの妻も、精霊が見えない。幼なじみで、子供のころからそんなふうに呼ばれてた。でも、なりそこないなんかじゃない! 色々と賢いし、人族の魔法は人一倍使えるんだ!」
ああ、アガトさんの奥さんも、精霊が見えずに迫害されていたのか。
「子供の頃からずっと一緒で、あいつに対するエルフの里の連中に腹が立って、二人であそこを飛び出したんだ」
迫害されていたけれど、彼女にはアガトさんがいた。
「苦労もしたが、それで良かった。子供を授かったときに、子供も精霊が見えないんじゃないかと彼女は心配していたが、子供は精霊が見えた。治癒で治ったと言われて、納得だよ。オレたちはどこかが決定的に違うわけじゃない。ただ少し、その部分を損ねていただけなんだ」
アガトさんの目が私を見る。
うん。たぶんアガトさんの奥さんも、私が治癒魔法を使えば、精霊が見えるようになるのだろう。
「子供の頃から変な扱いを受けていたせいで素直じゃないけど、オレのために苦手な料理を隠れて頑張って練習して、オレが美味いって褒めたら変な顔して逃げて、隣の部屋ではしゃいでる。そんな可愛い妻なんだ!」
アガトさんの主張に、仲がいいご夫婦なんだなと想像していたら。
「ツンデレ人妻エルフ」
シエルさんがぽつりと小さく言った言葉に、緊迫した空気だったはずが、私だけ噴き出しそうになった。
ちょっと、確かにそんな感じだけど!
人の奥さんをそんなふうに見たらダメだよ、マリアさんに言いつけるよ!
さっき王妃様に迫られた後、シエルさんとマリアさんが小声で揉めてたの、知ってるんだからね。
美人だけど魔術に夢中な、残念な人だから大丈夫とか、王妃様に失礼な評価をしてたのも、知ってるんだからね。
私のジトンとした視線に、シエルさんが気まずそうに目を逸らした。
「そう。なりそこないではなく、ボクらは精霊を感じ取る部分を損ねていただけ」
ふっとムルカさんは自嘲するように笑うと、話を続けた。
「知っていました。ウロス様もホリト師も、聖女様の治癒魔法により、精霊が見えるようになっていたと聞いています」
知らない話が出た。
でも、あったかも知れない話だ。
だからムルカさんは、私の治癒で自分が精霊を見ることが出来るようになると、知っていた。
ホリトさんが、育てた子供たちに話したのだろう。
もしかしてウロスさんが聖女に執着したのは、そんな事情も絡んでいた?
「ウロス様は聖女様に恋い焦がれていた。もう一度聖女様に会うため、思いついた勇者召喚の研究に没頭した末、異世界召喚を行い、魔力切れで亡くなられた。ホリト師は、それを目の当たりにしたそうです」
ああ、そこはザイルさんの予想のとおりだった。
ウロスさんは、勇者召喚の魔力切れで亡くなったのだ。
そしてホリトさんは、勇者が召喚されるのを、見ていた。
「ウロス様が亡くなられたため、召喚された勇者の目的も失われ、ホリト師は彼がこの世界で生きるためのサポートをしようと行動された」
千年前の勇者は、子供だったホリトさんのサポートを受けて、この世界で生きるために動き出した。
「でも当時、今はサフィアの王都があるこの付近で、勇者が勝手に動き出した」
予想はつく。
それは召喚に組み込まれた、洗脳の効果だったのだろう。
聖女の魔力を感じて、そこから勇者は洗脳に従って動き出してしまった。
勇者の洗脳を当時のホリトさんが知らなかったのなら、いきなりの勇者の行動は、何が起きているのかわからなかっただろう。
「勇者の身体能力は高く、何度も見失いそうになりながら、ホリト師はかろうじて勇者について行った」
竜王に打ち勝つ力を持つ勇者だ。
最強種族に対抗出来るよう、身体能力は高かったことだろう。
「そうして幼かったホリト師は、召喚された勇者が消え、聖女様が亡くなられたところ。その伴侶の竜人族が絶叫したあと、事切れるまでを、物陰から震えて見ていたそうです」
ああ、聖女が回帰スキルを使って亡くなるところを見ていたのか。
養い親が召喚した人物が、聖女とその伴侶が亡くなる原因になり、さらに本人は消えてしまった。
子供だったホリトさん。震えて見ているしか出来なかっただろう。
「そして聖女様がこの世界で生まれなくなった」
養父を失い、養父が召喚した勇者を支えるという使命が消えて。
ホリトさんは人族の中で暮らすようになり、そのことに気づいた。
「聖女様が現れない理由が、異世界の勇者と関係があると考えたホリト師は、残されていたウロス様の研究資料から、聖女の能力を読み解こうとした」
竜人の里に暮らしていた間に、ウロスさんは聖女の能力を見聞きしていた。
それらを資料として書き残していた。
回帰スキルらしき能力についても、書き記されていただろうか。
「答えはわからなかったようですが、恐らく聖女様の核となるものが、勇者のいた異世界に飛ばされたのではないか。そう考えられたホリト師は、ウロス様が残された異世界召喚の研究資料を元に、聖女様を召喚しようと研究された」
そんなホリトさんの研究成果を使って、私たちは召喚された。
もし次週の更新がなければ、転居後のインターネット接続に手間取ってます。
余裕がある更新ストックを作ろうとしたら、腰痛発症で出来ませんでした。
皆様、腰の冷えには、くれぐれもご注意下さい。
荷物持ったとか特別なことじゃなく、腰がやられました。
汗かくときは、腰に仕込みタオルでマメに替えるの、大事みたいですよ!