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セシリアちゃんは、グレンさんの番になった私のヒロイン性を感じたいらしい。
そんなことを言われても、無理なものは無理だ。
ヒロインらしくないと怒るセシリアちゃんを、マリアさんが宥めてくれた。
「ミナちゃんは元気なところがいいのよ。淑女らしさだけがヒロインじゃないわ。元気な鈍感系主人公だって素敵よ」
ちょっと宥める方向性が違う気がする。
「それにセシリアちゃん。夜会前のお話は私も聞いていたけど、残念ヒロインだなんて可哀想だわ。あのお話では、そんなきつい表現はしていないでしょう」
マリアさんが口を出してくれた。
そうだそうだ!
残念ヒロインとか残念聖女とまで言われるのは、ちょっとどうかと思う!
マリアさんに言われると、セシリアちゃんも少し考える顔になる。
「物語であれば、じっくり考えて言葉を選べますけれども、咄嗟に口から出る言葉は難しいですわね」
セシリアちゃん、悪びれない。
「まあ、いいじゃないか。セシリア嬢の思い切りの良い発言で、噂が偽りだと暴けたのだから」
アランさんが言って、セシリアちゃんに貴公子スマイルを向けた。
「大人しそうに見えて思い切りが良いところは、彼女の美点でもある」
美点、なのかなあ。
その思い切りの良さで、アランさんの残念兄ちゃんも暴露されてたよね。
セシリアちゃんもそれを思い出したのか、ちょっと目を泳がせた。
さすがにアランさんの残念兄ちゃんエピソードを、あんな大勢に暴露したのは、気まずいみたいだ。
「先ほどは、勢いのままにあの件を口にいたしまして、申し訳ございませんわ」
公爵家嫡男の失敗談を堂々と話してしまった謝罪をしている。
だよね。身分社会でそれは、けっこうまずいよね。
私たちも気を付けないといけないなと思うのは、こちらの人たちは身分での格差や、枠組みの中に人を入れ込むことが当たり前だということだ。
あちらの世界の感覚では、枠組みに押し込まれそうになったとき、跳ね返す権利は当然あると思っている。
でも、こちらの世界の常識は、異なる。
あちらの感覚でいう人権や平等は、こちらにはない。
跳ね返すには正当性の根拠を示すことに加えて、人脈などが必要だ。
神殿や軍務大臣たちの強気は、私にそうした力がないと思っているからだ。
ぽっと出の異世界から来た聖女は、容易く従えられるはずだと。
誤算は、私が竜人族に番として保護されたこと。
そして今、さすがのセシリアちゃんもしおらしい。
公爵家嫡男に対する無礼は、けっこう大きな問題だ。
でもアランさんは、構わないとあっさり返した。
そういうところが大雑把兄ちゃんだ。
「私は女性への気遣いがうまく出来ないらしい。先ほどの話も、体調の悪い女性に肉を届けさせるなど、何を考えているのかと母に叱られた」
あー、まあ、そうだよね。
あのエピソードはアランさんらしいといえば、らしいけれど。
一般的にはダメなエピソードだよね。
「レティにも似たことをして、侍女長から叱られたな」
妹にもやったんだ。
子供の頃は寝込むことが多かったというレティだ。
元気になるようにと食べ物を届けるのは、子供がやるなら微笑ましい。
でも大人の男の人がやるのは、ねえ。
「自分が疲れたり怪我をして寝込むときは、美味いものを食べて寝るのが一番だと思っていたからな」
まあ、その理由で寝るときは、そうだろうね。
「縁談のために交流した女性に気遣いの方向を間違い、幻滅したと言われることも多かった。先ほどセシリア嬢が、私なりの気遣いからの行動だと理解してくれたのは、嬉しかったな」
そうしてアランさんは、その場でさっと跪くと、セシリアちゃんの手をとった。
甘い顔立ちが、きりりとセシリアちゃんを見上げる。
「セシリア嬢。どうか私に今宵のエスコートをさせて頂けないだろうか」
途端に湧き上がる、甲高い悲鳴。
セシリアちゃんに近い位置の、本好き集団から、盛り上がる声。
目の前の恋物語に、盛り上がっておられる感じだ。
そして少し遠巻きの位置から、アランさんファンと思われる人たちの悲鳴。
口を押さえて驚いているお嬢さんたちがいた。
それらの声と同時に、さっと前に出て、セシリアちゃんの手からアランさんの手を外したのは、セシリアちゃんのお兄さん。
「喜ばしいお言葉で恐縮ですが、妹は病弱であったため、貴族女性としての教養が足りておらず、公爵家の方とのご縁は難しく」
さらりとお兄さんのお断りの言葉。
なるほど、ガードが堅そうだ。これも通常運転なのかな。
アランさんは外された手に眉を寄せ、跪いたままお兄さんを見上げて言った。
「私自身、公爵家を継ぐかどうかはわからない。弟もいるからな」
「優秀なアラン様からのお声がけ、ありがたいお話ではございますが、将来が定まらないとなれば、世間知らずのうちの妹には何かと難しく……」
どうやらお兄さん、不向き理由をさっと出して、とにかくお断りみたいだ。
よく理由をぽんぽん思いつくなと思う素早さだ。
頭が切れるって聞いたけど、妹さんの婚姻お断りに全力で頭脳を使っている状態は、才能の無駄遣いじゃないかな。
全方向でセシリアちゃんの婚姻お断りって、どうなのか。
セシリアちゃんてば、下手をすれば一生独身でいさせられそうだな。
「私は騎士に憧れていた。シオンが次期公爵となり、私は一介の騎士になるのも悪くないと思っている。剣の腕はそれなりにあるつもりだ」
アランさんの言葉に、ざわめきが広がる。
だよね。公爵家嫡男として扱われてきた人が、弟が次期公爵になればいいと言い出すんだから。
でもフィアーノ公爵夫妻が動揺しないところを見ると、以前からそんな話をしていたのかな。
「私に高位貴族の当主は荷が重いし、窮屈だ」
それはあの猫かぶりのせいでは?
貴公子な見た目と、あの大雑把な感じはギャップがある。
素の態度だと引かれるのは、普段の猫かぶりのせいだと思う。
そこから、セシリアちゃんをエスコートしたいと申し入れるアランさんに、お兄さんがことごとくお断りをする状況が続いた。
やわやわと、拒絶ではなく「残念ながら……」という雰囲気を出すのが絶妙だ。
頭脳フル回転で角が立たないお断りを演出している。すごい。
そのあたりでようやく、私はグレンさんの腕から下ろしてもらった。
ちょっと渋るグレンさんに、他の誰も抱き上げられていないから下ろして欲しいと訴えて、ようやく下ろしてもらえたのだ。
抱き上げられたまま、ずっと夜会に参加しそうな雰囲気になっていた。
危なかった。
そんな私たちの横で膠着状態のアランさんとお兄さん。
どうなるのかなと見ていれば、口を挟んだのはフィアーノ公爵だった。
「セシリア嬢はとてもお元気になられた。これから縁談も増えるのではないかな」
その言葉に、お兄さんの笑顔が少し固まる。
でも笑顔を続けているあたりが、貴族の男性らしい。
「今後断ることの難しい相手からも、打診が増えるだろう」
フィアーノ公爵の言葉に、お兄さんの口元がちょっと動いた。
心当たりがあるみたいだ。
「公爵家嫡男から求められ、交際中とした方が、断りやすいのではないかな」
「それは、打診中という期間が長引いてもよろしいということでしょうか」
お兄さんがすかさず言う。
都合良く風よけに使うよと、言っているようだ。
これはフィアーノ公爵家から風よけにしていいよと申し出ていることを、この場で強調して印象づけたいのかな。
フィアーノ公爵家の方々なら、強硬手段に出ないと見越してだろうか。
下手な貴族にこんなことを言ったら、逆に問題になりそうだよね。
フィアーノ公爵はにこやかに頷いた。
「もちろんだとも。うちのアランも、いつまでも婚約者の候補すらいない状況は、なんとも困ったことだった。婚約者候補ということで、まずはどうだろうか」
お兄さんは、少し考え込む雰囲気だ。
「セシリア嬢のアランに対する印象は悪くない。セシリア嬢が泣いて嫌がる縁談を押しつけられるといった、最悪な事態は当面避けられる。いかがかな」
フィアーノ公爵は、せっかくの嫁を逃すまいと畳み掛ける。
続いてフィアーノ公爵夫人が、いいことを思いついたとばかりに、浮き立つ声を上げた。
「一緒にお出かけをするのはどうかしら。王領のシースイ湖畔なんていかが? 私どもには、あちらに別邸がございますの」
「シースイ湖畔ですって! それはあの王弟殿下の恋伝説の舞台でしょうか!」
何やらセシリアちゃんが興奮している。
きょとんとしている私に、物語好きのティアニアさんがそっと教えてくれた。
この国の建国すぐくらいの時代、王様の弟が、湖畔で出会った乙女に恋をした。
湖畔の乙女は、隣国の辺境伯家の令嬢だった。
両国は友好国として交流があったが、彼女は自国の王族から求婚されていた。
王弟は後ろ髪を引かれながらも身を引く。
しかし後日招かれた隣国の夜会で、求婚しているはずの王子が、彼女をアクセサリー扱いするところを王弟は目の当たりにする。
愛しい人が、心なく扱われている状況を知り、苦悩する王弟。
そして再び湖畔を訪れた彼は、乙女と再会した。
彼女も少し言葉を交わした王弟が好ましく、彼の前で涙を流す。
あの王子との縁談は苦痛だ。逃げ出したいと。
そこから王弟は、隣国と交渉をした。
彼女の父である辺境伯の後押しもあり、ついに乙女と王弟は結ばれた。
それは物語として書き記されたものというよりも、口伝の伝説として語られているお話らしい。
物語としては、複数の書き記されたものがある。
それぞれ少しずつ内容が異なるそうだ。
その違いも面白いのだと、ティアニアさんは語った。
なるほど。その舞台である湖畔へのご招待。
しかも国の直轄地で、普通は立ち入ることの出来ない場所。
これはセシリアちゃんが興奮するのも無理はない。
「レティと親しくなったのでしょう。それならまず、レティの友人としてお招きしてはいかがかしら」
「そうだな。私どもの別邸に招きたいのだが、ご都合はいかがだろうか」
フィアーノ公爵ご夫妻で畳み掛けているのは、アランさんの嫁候補を逃がすまいとしているのか。
「まあ、あの水辺でセシリア様と、伝説について語り合えますの? 素敵!」
レティも浮かれた声を上げた。
こちらは純粋に、セシリアちゃんと語り合うのが楽しみみたいだ。
セシリアちゃんも、なんだか乗り気だ。
このままフィアーノ公爵家に囲い込まれる勢いだけど、大丈夫?
「セシリア様、よろしければ本好きのお友達も、ご一緒にいかがでしょうか」
そしてレティはなぜか、縁談とは別方向に話を進めてしまった。
うん。なんだかレティらしいね。
お友達が増えそうだと、浮かれているのが見えるね。
「あら宜しいのでしょうか!」
ぐいっと割って入ったのは、セシリアちゃんがミリーア様と呼んでいた女性。
「伝説も素敵ですが、アラン様とセシリア様の、新たなカップルを間近に観賞できるチャンス! 是非とも語り合いたいですわ!」
おっと、セシリアちゃんのお友達がフィアーノ公爵夫妻寄りになっている。
カップルとして後押しする勢いだ。
「それならセラム様も招かれれば、私も推しカップルが目の前で観賞できる状況になりますわ!」
うん。セシリアちゃんのお友達の、この観賞気質は何かな。
この夜会はお見合い目的らしいけれど、あのお嬢さんたち、一度も踊ってなさそうだよね。いいのかな。
そのまま彼女たちはレティと盛り上がり始める。
まあ、たぶん、彼女たちもこれが通常運転なんだろう。
お見合いの夜会、どれくらいの人がうまく活用できているのだろうか。
セシリアちゃん関係では、何かとお話の設定を出しますが、もし湖畔の乙女を私が書いたら、セシリアちゃんから「これじゃない」と言われそうです。
強い女の子が書きたいので、密かに冒険者活動してますね。
「こうなったら家出して世界に飛び出しますわ!」
言われて会えなくなると慌てた王弟が、彼女の実績を国王に伝えて、彼女がこの地域からいなくなる損失を国同士で話し合うとかね。
涙する要素がないね。語り継ぐ人が勝手に入れたお話だね。