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神殿の人がすっかり消沈し、気まずそうに立ち去る。
入れ替わるようにやって来たのは、見知った顔。
アランさんやフィアーノ公爵、エリクさんや宰相さんだ。
フィアーノ公爵がエスコートしているのは、アランさんやレティのお母様かな。
そう思って見ていたら、再会の挨拶をしてきたフィアーノ公爵から妻だと紹介され、お互いに名乗って初対面の挨拶をした。
公爵夫人は知的で清楚な雰囲気の人だった。
レティの華奢な感じは、お母様に似たようだ。
宰相さんの娘だという間柄も、頷ける。
知的な雰囲気が、宰相さんに似ている気がする。
「見事に撃退したものだな」
挨拶が終わったタイミングで朗らかに言ったのは、アランさん。
フィアーノ公爵や宰相さんも頷いている。
グレンさんは少し首を傾げてから、口を開いた。
「神殿の者は金がなくても生活が出来るよう、互助組織になっているのだろうが、それをミナにまで求められては困るからな」
グレンさん、あの人たちの言い分そのままを、それっぽく理解したみたいだ。
たぶんあの人たちは口先だけで、お金は必要だと思うよ。
私財をなげうって無償の奉仕なんて、しないと思うよ。
「それにしても、あれはどういう話だったのか。無理な献金を求めているかと聞けば、違うという。聖職者として、自分たちの活動のアピールだろうか」
彼らがしつこく食い下がったのが何のためだったのか、結局何の話だったのか。
グレンさんは疑問のままになってしまい、不思議そうだ。
「どんな立場だろうと、生きるには金も必要だ。ミナの場合は様々なものを作るための、素材購入に必要な資金だ。聖女である前に、ミナ個人の生き方がある。金を稼ぎ、口座に金を貯めるのがずるいとは、どういう話だったのか」
さっきまで堂々と反論していたのに、少し困った顔のグレンさん。
間近でそんな表情を見る私は、ちょっとキュンとしてしまう。可愛い。
ギャップ萌えとはこういうことか。
うん。グレンさんはそれでいい。
私から聖水の利益を取り上げたかったことを、最終的に誤魔化したとか。
悪人の思考なんて、グレンさんは理解しなくていい。
私はお店でいろんな人と話して、いろんな人がいると知っている。
間接的な体験談も、たくさん聞いている。
変な搦め手で本題を言わずに察して欲しいとか、誘導するみたいな話し方をして、会話の裏に何かがある人は意外に多い。
口下手ではなく、真意を口にせずに察して欲しいとか、変な話だ。
憶測した裏なんてものは、答え合わせが難しい。
こうだろうと思って、結果違うことも、よくある話だ。
きちんと言葉にされない真意は、汲み取らなくていいという考え方もある。
うちの和菓子屋の売り上げトップは、予約必須の季節の上生菓子セットだった。
でも誰もがその商品を求めているわけではない。
初めて来店した人に希望の商品を訊き、「初めて来た客なんだから、その予約をしたいに決まっているでしょ!」と怒られても、わかるはずがない。
そんなふうに相手が察するのが当たり前という人もいれば、変な意図で曖昧に誤魔化したがる人もいた。
商品や商売の話は、曖昧にした方がトラブルになるものだ。
きちんと商品名や個数、期日や相手について、確実な確認作業は大事だった。
裏を読むのではなく、話した言葉そのままの本質を読み解こうと、会話を心がけるグレンさんの姿勢が、私はとても好きだ。
本質を口にせずに察してもらいたがる人は、理解が悪いと怒るかも知れない。
でも、だからどうした、だ。
ちゃんと言葉を尽くして理解してもらおうとするのは、大事なことだ。
誤魔化しながら、自分の思うようにしようだなんて方が、ずるい。
言葉そのままできちんと会話ができた方が、気持ちいい。
グレンさんのまっすぐな考え方は、とても素敵だと思う。
歴代竜王がどうだったのかはわからないけれど、竜人族の中で過ごすことが基本だったなら、きっと率直な言葉のやりとりが多かったのだろう。
グレンさんが困惑しているので、セラム様が説明をしている。
「あれはやはり、聖水の利益を神殿に寄越せという話だったのだろう」
言われたグレンさんは、困惑した顔のままだ。
「聖女から金を取り上げたいという話だったのか。それならなぜ、そうではないと嘘をついたのか。希望があって口にしているのに、そうではないと嘘をつくのが、よくわからないな」
グレンさんの言い分はもっともだ。
セラム様も眉を寄せ、説明を続けている。
「嘘……というか、まあ、目的を誤魔化して金を得たかったのだろうな」
「金を寄越せというのが本題なら、そう言えばいい」
堂々の強盗宣言!
うん。それは言えないな。
でも本題はそうだったんだよね、きっと。
その目的を恥ずべきことと感じて否定するのなら、自分たちのその要求が間違っていると、気づけばいいのにね。
「そもそもなぜ聖女の収入を神殿が得ようとするのか。番をオレが養うことは出来るが、ミナはそれを良しとしないから、菓子で稼ぐことを考えたんだ」
グレンさんが私の服を買うと言ってくれたのを、断った件だろう。
ダンジョンの装備だけはグレンさんにお任せしたけど、他の生活に必要な物は、自分のお金でちゃんと揃えたいからって断ったんだ。
いずれ、金銭面でグレンさんを頼ることもあるかも知れない。
でも最初から、誰かを頼る生き方は、嫌だと思った。
グレンさんはたぶん、一回ダンジョンへ行くだけで、相当稼げる。
強さをとにかく求めていたグレンさんは、戦って強くなることだけを生活の中心に据えて、装備や生活費は戦って稼いできた。
職業は冒険者兼傭兵みたいなものかな。
私を養うことは、グレンさんにとって容易いことだ。
でも私がそれを良しとしていないと、グレンさんは理解してくれている。
「ミナは自身が稼いだ金の範囲で収支計算をして、やりたいことをやろうとしている。そうやってこちらの世界での生活を確立していきたいという」
さすがグレンさん。私のことを本当に理解してくれている。
自分でちゃんと収支を計算して、その範囲で出来ることを広げていく。
母から商売の基本として教わったことだ。
こちらの世界で新生活をするなら、自分の収支をきちんと把握して、しっかりと生きていきたい。
将来的に、たとえば子供が産まれたときなどは、話が別だ。
子育ての期間は専業主婦として、グレンさんに守られて生活するのもいいかも知れない。
でもそれは、まだまだ先の話だ。
「聖女である前に、ミナ個人の生き方がある。聖女がどのようにあるべきかなど、神殿が勝手に押しつけるものではない」
グレンさんは聖女の定義を勝手に作られて、ご機嫌斜めだ。
聖女は元からこの世界にあって、神殿はあとから作られた組織。
そんな彼らが聖女とはこうあるべきだなんて、言う権利はない。
竜王の記憶を継承したグレンさんにとって、あり得ない事態だ。
アランさんたちも苦笑している。
そんな彼らの後ろから、セシリアちゃんが来るのが見えた。
間近に見ると、セシリアちゃんもいつもよりドレスアップして華やかだ。
「セシリアちゃん、噂の否定、ありがとう!」
まずはお礼を伝えた。
彼らに絡まれてからの、噂の完全否定になる話の流れは、さすがだった。
流された噂が嘘だったと、彼らに決定打を突きつけてくれた。
「あら、夜会開始前のことをご存じですのね」
扇を口元に当てて驚く仕草をするセシリアちゃんは、お嬢様っぽい雰囲気だ。
上品で大人しそうだけど、芯が通っている雰囲気がセシリアちゃんらしい。
「別室で聞いてたからね。でも、ちょっとひどいよ」
私が口を尖らすと、セシリアちゃんはきょとんとした顔になった。
ちょっと、なんでわからない顔なのかな。
「残念って連呼されたり、発育不良って言われたり」
「あらあら、それはだって……そのままでしょう」
セシリアちゃんが容赦なく言い切る。
「そのままって!」
ひどい、と私は反論しようとしたけれど。
「では先ほどグレン様に手を取られて、この会場へ入場する際、何を考えておられまして?」
セシリアちゃんに質問され、そのときのことを思い返してみた。
「さっき入場のとき……踵の高い靴だから、転けそうだから気をつけないとと考えて、必死だったかな」
「そこが残念と申し上げているのですわ!」
途端にセシリアちゃんが眉をつり上げた。
「パートナーに身を預ければよろしいのです! よろけても、ちゃんと支えて頂けますでしょう!」
お嬢様然としていた彼女の語気が荒くなり、ちょっと仰け反る。
「いや、そうだけど。でもグラついてるのはみっともないかなって」
エスコートしてくれているのはわかっていても、なるべく自分でちゃんと歩こうと思ったんだよ。
まあ、今は抱き上げられているわけだけれども。
そろそろ下ろしてもらっていいかな、グレンさん。
私の反論に、セシリアちゃんは呆れた息を吐いた。
「か弱さの演出だって女性には必要ですわ。特に先ほどは、小柄で愛らしい聖女様と美丈夫のグレン様という、眼福カップルの入場。物語の一場面としてとても素敵でしたのに、その心情を聞けば、一気に雰囲気が削がれる残念さ!」
また残念って言った!
褒めてくれたっぽいのに、突き落とされた!
「でもか弱さの演出とかは、私はいらないと思うんだけど」
私にとっては、しっかりした一人前の職人と思われる方が大事だ。
そう思って答えたのに、セシリアちゃんは私を見据えて苦情を言う。
「そこですわ! なぜ淑女枠に自分を入れようとなさらないんですの! 本日はグレン様の番になられた、聖女様のお披露目でしょう。婚姻後のお披露目ですのよ。花嫁のお披露目ですのよ!」
そう言われても、二人だけの番の儀をして、グレンさんと夫婦にはなったけど、花嫁という言葉はピンと来ない。
それに淑女のか弱さって、私に合わない気がする。
大体なぜ、か弱さを演出する必要があるのか。
健康な方がいいと思うのだけれど。
「淑女って、元の世界ではあまり意識してなかったし」
「マリアは異世界の方ですが、ちゃんと淑女らしいでしょう。元の世界でも、淑女らしい方はいらしたのでしょう!」
ええー、だって普段の生活で淑女らしさなんて、意識することはなかった。
そりゃあ、足を揃えて座った方がいいとか、お行儀は意識するべきだったけど。
反論を考えていると、私を抱き上げているグレンさんが言ってくれた。
「ミナはしっかり者で元気なところが可愛い」
優しく笑って褒めてくれて、えへへと笑顔を返す。
「それですわ! えへへって笑い方、何ですの! そこはヒロインであるなら、照れた微笑みで魅了するところですわ!」
「いや、そんな笑い方なんて意識したことないし」
「そういうところですわーっ!」
うん。私はなぜ攻撃されているのでしょうか。
セシリアちゃんは聖女というヒロイン像に、夢を見すぎだと思う。