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「菓子、職人?」
相手の人が、心底呆けた顔で呟いた。
そんな反応に、グレンさんも不思議そうな顔だ。
「ギルドの、ミナ名義の口座の話だろう。彼女の口座にあるのは、菓子職人として彼女が得たものだ。あそこにも並んでいるような、今までになかったフルーツタルトなどの、おいしい菓子のレシピだ」
グレンさんが休憩コーナーを指し示す。
給仕の人が、ちょうどフルーツタルトを運んでいる様子が見えた。
私たちを囲む人たちが固まっている。
どうやらグレンさんの返しは、絶句するほど想定外だったらしい。
グレンさんは彼らの反応を見て、また少し首を傾げた。
「ミナの商業ギルドの口座の話だろう。最初に作った菓子が思わぬ高額になり、当時はミナも驚いていたな。だが正当な価値だと、商業ギルド長にも言われた」
そうだね。花祭りで買い取られたお菓子が高額で、あのときは驚いた。
「彼女の料理や菓子のレシピは、今後こちらの世界を豊かにするものだ。保存食も美味しくなり、我々も、とても助かっている」
「あ、いや、聖水のお金は」
相手の人が、なんとか軌道修正をはかろうとする。
グレンさんはひとつ瞬きをして、ああと頷いた。
「あれは彼女が、みんなの役に立つことに使いたいからと、別口座にしている。聖女資金と言ったか。彼女は自身のために、それは使いたくないと言っていた」
グレンさんのその言葉に、またざわめきが広がる。
「は? 聖女、資金?」
「だから商業ギルドの彼女名義の口座に入っているのは、菓子職人として得た金銭だ。その報酬を得るのがずるい、世間に奉仕すべきとは、おかしな話だろう」
そこで彼らが内輪で言葉を交わし始めた。
何やら「話が違う」とか小声で聞こえるけれど。
もしかして、ギルドの口座にどのくらいあるとか、話が漏れていたのかな。
商業ギルドの人が情報を漏らしていたって話が、少し前にあったよね。
保存食のことで、ドランさんが最初に乗り込んできたときだ。
商業ギルドの職員が話を漏らしたと、ギルド長が対処していた。
私の口座にあるお金を、聖水で得たお金だと思っていた彼ら。
あわよくば、それを取り上げようとしていたのかな。
そしてグレンさんは、天然炸裂で話している。
「オレは料理やお菓子を楽しそうに作る彼女を見るのも、好きなんだ。もちろん、作られた物も好きだが」
うん。それはたぶん、この場の人たちにとっては、どうでもいいと思う。
私としては、嬉しい言葉だけれども。
「聖女として浄化をするだけではなく、料理や菓子作りなど、彼女には好きなことを目一杯して欲しい。ミナが楽しそうにしているのが、オレにとっては一番大事なことだ」
ああ、もういいです。
惚気を公言される気恥ずかしさとかモロモロあるけど、グレンさんがそう言ってくれることで、胸がいっぱいだ。
私がグレンさんの首に抱きつき、顔を埋めたら、グレンさんが頭をポンポンとしてくれた。
ああもう、大好き!
「そこで先ほどの話だが、彼女の聖水のお金は彼女自身が、世間に役立つことに使いたいと話していた。だがそれは、誰かの指図を受けるべきものではないと、ご理解頂きたい」
彼らが意表を突かれている間に、グレンさんはサクサク話を進めた。
「あなたの信念は、あなたのものだ。自身の行動で示せばいいことだ。他者に強制すべきものではない。他者には他者の信念がある。彼女がこれに使いたいと何かを見いだし、決意すれば、オレはそれを支持するだけだ」
前にちらっと話していたことを、グレンさんが覚えてくれている。
教育だとか、何かみんなの役に立つことに、聖水で得たお金を使いたいと話していた。
「もちろん、神殿が自身の利益をなげうってまでも、無償の慈悲を示したいという信念があるなら、止めはしない。自身の信念を、自身の裁量でやるのなら、それは自由だ」
そして真面目な顔で相手を抉るグレンさん。
「いや、その……聖女様に、人々の安寧のためにご協力をと」
相手の人は、怯みながらも何とか言葉を返そうとしている。
「そうだな。ミナは人々の安寧のため、瘴気の源泉の浄化を無償で行っている。これは世界の瘴気問題を解決するための行動だ」
またもグレンさん、爆弾発言を投げつけた。
相手は投げつけられた話の大きさに、口が半開きになっている。
「世界の瘴気は、聖女が不在の千年で、限界に達しかけていた。源泉からどうにかしなければならないが、活性化したダンジョンの奥深くから繋がる危険な場所だ」
「あらあら、そんな場所があるのね!」
王妃様が壇上から飛び降りてきた。
え、飛び降りた? 王妃様!
「瘴気の源泉とは、どういう場所なのかしら。なぜ瘴気は生み出されるの?」
王妃様、グイグイここで迫るのはやめてください。
私たちの横に来ていたセラム様が、あとでって押し返してるじゃないですか。
あ、セラム様のすぐ隣で手伝ってるの、ケントさんだ。
髪も整えて、なんか小綺麗にしてるから気がつかなかった。
人前に出るセラム様の護衛をしてるんだね。なるほど。
「魂と魔力の流れの中で生み出される、自然の摂理だな。必要があれば、また改めて説明しよう」
グレンさん、王妃様の質問を真面目に返している。
そういう律儀なところも好き!
「活性化したダンジョンの奥深く、精霊王から呼ばれる必要がある場所だ。あそこの浄化は、聖女にしか出来ないことだ。危険な道程だが、彼女はダンジョン行きを了承し、精霊王の住処に到達した」
周囲はざわめきもせず、静まりかえった。
王妃様とセラム様がちょっとだけ小声で何やらしているけど、他の人たちはこちらを注視している。
そして首元に巻き付いていたクロさんが、自分の存在を強調するみたいに私の頭に上ってきた。
ちょっと、襟巻きのフリは!
隠す気が本当にないよねクロさん。頭の上で仁王立ちはヤメテ。
「精霊王……」
どこかで呆然とした声が聞こえる。
「そうだ。精霊王の住処は、通常はたどり着けない場所だ。だがダンジョンの奥で聖女の魔力を感じた精霊王は、ミナを呼び寄せた。今回は精霊王も、瘴気に困っていたのだろう」
『せやせや。もう、ホンマにかなんかったんや』
クロさんの言葉は、私以外には届かない。
まあ、力の抜ける関西弁が、この場でみんなに届いても、さらに混乱されただけだろう。
この言葉を私が通訳する気もない。
「こちらが精霊王の分身体だ。浄化は一度に進められる規模ではないから、分身体を作り出され、日々あちらに呼んでもらっている」
皆が驚きで静まる中、陛下が私のところへ歩み寄って来られた。
そしてグレンさんに抱き上げられた私に向かい、丁寧な礼の姿勢をとられる。
「なるほど。聖女様は無償で、世界の安寧にご尽力くださっているということか。一国の王に過ぎない身ではあるが、聖女様に感謝申し上げる」
陛下が私に礼をとったことで、会場のざわめきが爆発的に起きた。
たぶん、聖女なんて呼ばれても、一国の王が礼をとる相手だとは考えられていなかったのだろう。
実は私自身も、少し動揺している。
でもグレンさんもザイルさんたち、お義母様たちも、当然という顔だ。
世界の管理者のひとり。
そう扱われるべき存在なのだろう。
大仰になるのは困る気持ちもあるけれど、私たちを囲んでいた人たちの唖然とした顔は、ちょっとすっきりする。
そこでグレンさんは、改めて彼らに向き合った。
生真面目な顔を彼らに向けた。
「神殿の方々も、それぞれで出来ることをなさるおつもりだろう。それは立派な心がけだ。だが自身の信念を、他者にまで強要するのは間違っている。ミナは自身のやるべきことをしている。それは人から指図をされるものではない」
こういうときはグレンさんの低音の声が、説得力ありげに聞こえる。
実際、ちゃんと話の筋は通っている。
「あなた方は、ご自身で信念を貫かれればいい。その志に賛同するものがあれば、それらの者が行動するだろう。それだけの話だ」
そうグレンさんが言ったところで、セラム様がにこやかに入ってきた。
「なるほど、いい話を聞いたな。神殿の方々が、無償の慈悲をどう示されるか、実に楽しみだな」
彼らの悪意を、言葉からしっかり感じ取ったセラム様が言う。
「聖スキルの持ち主から搾取するのではなく、神殿の方々ご自身で、どのような慈悲を示されるのか、楽しみにしている」
世界の浄化が進むことで、瘴気溜りは減り、その浄化は不要になっていく。
聖魔力が必要なことは残るけれど、魔力の持ち主が聖水として売ることが主流になるから、神殿はその収益を得られなくなる。
それでも献金される神殿の収入などはあるはずだから、宣言したとおり、しっかり世間に還元しなさいと、そういう話かな。
グレンさんは天然だったけれど、それに乗っかるセラム様は作為的だ。
そしてグレンさん、セラム様のわざとらしさはスルーして、追撃する。
「あなたが行動で示したことに、賛同して行動する人が増えれば、それはあなたの信念が実ったということになるだろう。是非、皆の役に立つという、あなたの信念を見せて欲しい」
最後にぐっさりと行った。
天然、怖い。