136 夜会直前
夜会前夜、たぶん私は緊張しているのだろう。
いつもみたいにグレンさんに包まれて、眠ろうとするのに眠れない。
「気がかりか」
心配そうなグレンさんが、ちゅっと唇にキスしてきた。
こういう行動を当たり前に受け入れるようになったなあと、ちょっと思う。
まあ、夫婦だからね!
「眠れるようにするか?」
ちょっといたずらっぽい顔をするグレンさん。
これは時々、私が眠れないときにグレンさんが仕掛けてくるやつだ。
大抵はグレンさんに抱きしめられて横になると、すぐに眠くなる。
でも気になるアレコレがあると、眠れない日だってある。
私は番の魔力効果で、グレンさんから濃厚なキスを仕掛けられると、気がついたら朝という状況が多い。
それをするかとグレンさんは言っているのだ。
「うん。そうしましょう! 寝ちゃうかも知れないけど、眠れないならそれはそれで、いいわけだし」
グレンさんとの本格的なイチャイチャは、魔力を混ぜ合わせるような状態になると、私の意識が飛んで出来なかった。
でも毎晩軽いキスは交わして、この頃ちょっと耐性がついてきたのか、触れ合ってすぐに意識が飛ぶことはなくなった。
こうやって魔力に慣らせば、いつかがっつり濃厚なラブラブも出来るようになるのだろう。
「シホリ」
私を呼ぶグレンさんも、イチャイチャできるのが嬉しいのだろう。
ちゅっちゅと私の顔や首にキスしてきて、嬉しそうに目尻が下がっている。
私にだけ向けてくれる、この柔らかい目が大好きだ。
私からも、グレンさんにキスをした。
首に腕を回して、頬に、額に、瞼に。
そして唇に。
グレンさんはされるまま、ちょっと笑っている。
くすぐったかったかな。
「シホリ、もっと」
おっと、グレンさんからのオネダリだ。珍しい。
ン、と顔を向けられて、ちゅっちゅっと唇にキスすれば、グレンさんの大きな手が私の頬を撫でて、頭の後ろに回り。
ぐっと引き寄せられたと思えば、深く唇が合わさった。
ぬるりとした感触が、口の中に入ってくる。
おおお、大人のキス! 今度こそ!
と、気がついたら朝だった。
うん。なんか、ごめんねグレンさん。
まだグレンさんの魔力に、耐性がないらしい。
前よりちょっとは大丈夫になったつもりだったのに。
がっつり寝た、すっきり感はある。
眠れなかった対策としては、ばっちりだ。
でも残念だ。
「ごめんなさい、グレンさん」
私の溜め息で起きたグレンさんに謝れば、笑って朝の挨拶の、軽いキス。
「問題ない。ゆっくりいこう」
あああ、もう。
グレンさんのこういうところ、すごく大好きだ。
夜会の身支度は、お義母様とティアニアさん、マリアさんたちと、賑やかにした。
「うふふふふ、思ったような化粧品を作れたわ!」
マリアさんの珍しく浮かれた声。
シエルさんの知恵も借りて、思っていたものが作れたという。
マリアさん特製の化粧水や美容液、化粧下地、ファンデーション。
ティアニアさんやお義母様も感心している。
「まあまあまあ、この化粧品って、とっても素敵ねえ。お肌の艶が違って見えるし、スベスベに見えて、何よりベタつかないもの。触っても気持ちいいわ。見た目もつけ心地もいいなんて、すごいわねえ」
自分の肌に触れ、シエルさん作の鏡を覗き込んで、お義母様が言う。
ティアニアさんも、熱心に覗き込んでいる。
「洗面所で鏡はようやく見慣れてきたけれど、いつもと違うわ。すごいわね」
マリアさんの作った基礎化粧品と下地をつけて、ファンデーションを叩いて。
眉墨、頬紅、口紅と、チークで陰影をつけるという細かい作業は、お義母様とティアニアさんがしてくれた。
私も鏡を覗き込み、なんだか美少女になった気がする。
侍女さんたちにしてもらったお化粧も、さすがプロと感じたけれど。
マリアさんの化粧品も、お義母様とティアニアさんのお化粧技術も、すごい!
ドレスも素敵で、グレンさんに見せに行こうとしたところで、クロさんが首に巻き付いてきた。
『こうやったら、わても服の一部に見えへんかな』
おお、クロさんの襟巻き! あったかい!
ドレスは聖女イメージの白と、あとはグレンさんの茶色と黒なので、黒フェレットなクロさんは色味も合う。
『厄介なお人らがぎょうさんおるんやろ。わてがおった方がええんちゃうか』
クロさんは私の護衛をしてくれるみたいだ。
『人っちゅうもんは、対立しとるそれぞれが、自分が正しいと思とるからなあ。難儀やなあ』
魂の再生をするにあたり、クロさんは多くの人生を覗き見てきた。
そうして、そんな感想を持ったみたいだ。
「ありがとう。クロさん、よろしくお願いします!」
『任しとき!』
顔を上げ、胸を叩いてみせるクロさん。
襟巻きのマネなら、動いちゃダメだよクロさん。
身支度をしていた部屋から居間に出ると、グレンさんとお義父様、シエルさん、ザイルさんも、夜会用の服を着ていた。
おおお、みんな何割増しかでカッコイイ。
特にグレンさん、黒系に茶色の差し色が本当に似合う!
私の色だけど!
「ミナ、いつにも増して可愛いな」
「グレンさんも、いつも以上に素敵です!」
本当に、グレンさんはカッコイイ。
広い肩幅にカッチリした服がとても似合う。
髪も夜会仕様なのか、いつもは下ろしている前髪を後ろに流している。
こういうのも似合うなあ。
ちょろっと残っている前髪が、おしゃれな感じもする。
私だけではなく、お義母様、マリアさん、ティアニアさんも、それぞれのパートナーと互いの仕上がりを褒め合って、なんとなくイチャイチャした空気だ。
今日はお城から迎えの馬車が、竜人自治区の門のところに来てくれている。
それに乗って、まずは王族の方々と合流。
事前に少し打ち合わせをして、夜会に参加という流れらしい。
お城には昨日も、夜会料理の前日準備で伺った。
でもやっぱり今日は夜会当日だけあり、ちょっと緊張する。
私のお披露目だとか言われたら、さらに緊張感が増す。
お店で人と接する程度はともかくとして、人前で話す機会なんてそうなかった。
軽く自己紹介程度でいいと言われているけれど、それだけでも緊張だ。
ちなみにお義母様とお義父様が連れて来たエドアルドさんは、王都の宿に滞在していて、本日は神殿本部からのゲストとして夜会に参加されるという。
あの人についても、ちょっと気が重い。
なんだか拝まれそうな勢いが、あまり会いたくない。
悪い人ではなさそうなんだけど。
馬車に揺られながら、そんなことも考えつつ、お城へ。
以前、竜人自治区に落ち着いてからお城に招かれたときのルートを馬車が通る。
別の門がちらりと見えたとき、馬車の列のようなものが見えた。
あれは夜会に参加する人たちの馬車かも知れない。
私たちは馬車の少ない道を、ゆったりと進んでいる。
ゆっくりと馬車が止まってからは、先に降りたグレンさんの手を借りて馬車を降り、少しヒールの高い靴でよろけないように、ゆっくりと歩いた。
淑女の皆様は、こんな動きにくい格好でよく平気だなあと思う。
私はスニーカーか、踵の低いパンプスか、ショートブーツなどの踵の低い、歩きやすいものばかりを選んできた。
こういう靴は履き慣れないので、歩くだけでも大変だ。
マリアさんは、慣れた調子で歩いているので、ヒールの高い靴も平気みたいだ。
いつもは一緒にベタ靴派なのにと、ちょっと裏切られた気分だ。
「ミナ、マリア!」
前方から声がして、レティが駆け寄ってきた。
お姫さまだ! お姫さまがいる!
夜会用の装いが、いつにも増して可憐かつ華やかだ。
その裾を翻して駆けてくるレティは、走っているのに優雅な動きで、お姫さま感が満載だ。
彼女もヒールの高い靴なのに、危なげない足取りなのが羨ましいなと思っていると、目の前に来たレティは、拗ねた顔を見せた。
「お兄様ばかり竜人自治区へ訪ねていって、二人と会っていたのよね。ずるいわ!」
そういえば、レティとは久しぶりに会う。
確かに、なぜかアランさんとばかり会う羽目になっていた。
主に料理人と一緒に来て、料理を食べていた気がする。
「レティ、久しぶり!」
私とマリアさんは、笑顔で挨拶をした。
シエルさん編がちょっとシリアスだったので、軽めの雰囲気から夜会編、始めます!