127 閑話(シエル)
ここから数話、シエルさんの話です。
冒頭から話をなぞり、なるべく途中をさくっと端折りながら数話の予定。
最初の頃の彼の態度は、非常にわかりにくい人だったと思います。
その内面と、ミナが見聞きしていない部分の補足話です。
※シエル視点です
若いころは仕事にやりがいを感じていたこともあるが、五十代の今、仕事は疲れるばかりだった。
休日が待ち遠しく、休みになると仕事から頭を開放して、のんびりと過ごす。
今回は思い切って連休を作り、温泉地でぼうっと過ごすことにしていた。
仕事の時間は、とにかく各方面に気をつかって疲れ果てていた。
私は元々、人との接し方が器用ではない。
そこへ来て、若手を指導する立場になってしまった。
最近の若者への指導は難しい。
仕事なのだから間違いの指摘は必要だが、指摘をする言葉選びがとても難しい。
まず褒めてから指摘をすればいいと聞いたが、職場でどこまでも気を使わなければならない人間関係は、本当に疲れる。
気を抜くとすぐに失言してしまい、気が抜けない日々だ。
相手が若者でなくても、過去に真正面から指摘をし、相手のプライドを叩き潰してしまったことがある。
態度がおかしいので周囲に聞くと、ひどく恨まれていたそうだ。
後がとても面倒なことになったので、それ以来、職場では気をつけている。
おかげで白髪が増えた。
同僚に「男でも白髪染めはした方がいいぞ」と言われ、美容院で言われるがままに色を選んだら、金髪になった。見本では茶色だったのに。
これはさすがにどうかと頭を抱えたが、なぜか若い連中には好評だった。
自分では鏡を見るたびに違和感しかない。
そんな骨休みの温泉地に向かう電車で、まさかの異世界召喚。
電車の中でウトウトしていたので、その直前の状況はわからない。
目に眩しさを感じたと思ったら、浮遊感があった。
事故かと咄嗟に身構えたおかげか、尻を打ち付けたものの、腰の痛みは来なかった。腰痛の悪化は免れた。
身を起こして体を確かめ、ほっとしたのも束の間。
見知らぬ場所、周囲を囲む見知らぬ人々に唖然とし。
記憶を探るものの、電車に乗っていたことしか思い出せない。
そうして若者の口から飛び出した「異世界召喚」という言葉。
わざわざ異世界から人を召喚して、その世界の問題解決に当たらせる。
どう考えてもおかしい状況を、無邪気に喜ぶ若者がいることに、眉間に力が入ってしまった。
過去に読んだラノベを思い出し、そうしていらない記憶までもが頭に浮かぶ。
『マンガなど読めばバカになる』
『マンガみたいな小説などに価値はない。ちゃんとした本を読め』
支配的だった父が、そんなことを言っていた。
勉強することこそが至高と息子に言い聞かせていた父は、夜にビールを飲みながらテレビを観ていた。
自分は息抜きでくだらない番組を観るくせにと、心の中で呟いた覚えがある。
父は自分の思ったことを家族に徹底させる。
この家では自分がルールだと豪語していた。
マンガも、マンガのようなイラストが表紙の本も、隠し持っていたものが見つかれば、すぐに捨てられた。
母が買ってくれた児童書も、自分の価値観にそぐわなければ捨てられた。
小学生の頃、周囲が盛り上がる話についていけない私に、部屋でこっそり読めば大丈夫だろうと貸してくれたマンガが捨てられたこともあった。
なけなしの小遣いで弁償したのも、痛い思い出だ。
斜向かいに住む友人が「今度からはオレに預けろ。オレの部屋で読め」と言ってくれたのは、ありがたかったのだが。
我が家から父の怒鳴り声と、私の泣き声が近隣に聞こえてしまっていたせいかと思うと、いたたまれなかった。
他にも様々に、自分の価値観にそぐわないことが家の中であれば、厳しい叱責と強硬な態度を向けられた。
母がなだめれば、今度は母に攻撃が向くので、姉も私も父の気に障らないように気をつけなければならなかった。
就職してすぐに、狭いワンルームマンションで生活を始めたときは、ほっとしたものだ。
自分の好きに出来る家というものは、こんなにも快適なのかと思った。
まだ収入も少なく、カツカツの生活だったが、自分の好きなものを家に置けること、やりたいことが出来ることは、快適だった。
余暇はマンガやラノベ、ゲームなどに浸りきったのは、その頃だ。
抑圧された反動というものかも知れないが、想像力の世界というものは、とても面白かった。
そんな父は、今は痴呆で生活がどうにもならず、施設に入っている。
母が亡くなると生活が荒れ、姉が出入りしてなんとか生活を維持させていたが、姉に対して暴力を振るったことがあり、それからどうにもならなくなった。
私も姉の夫も、姉があの家に出入りを続けることに反対したのだ。
地域の包括支援センターに相談をすると、行政の手助けを受けるには、医者による客観的な証明が必要になると言われた。
ときに姉の夫や私が出向き、抵抗する父を宥め説得し。
苦労の末、医者にかかった。
偉そうなことを言っていた父は、要介護者となり、施設へ入居してもらった。
これも説得に手こずったが、父自身も不便は感じていたようだ。
それでほっとするのもつかの間。
父は施設で問題を起こし、これ以上置いておけないと言われた。
最初に問題行動についても伝えていたが、施設側は深刻に受け取っていなかったようだ。
またも地域の包括支援センターに相談。
最終的に、そうした問題行動のある人物を受け入れてくれる施設に入居。
入居後も何度か、様々な事態の連絡があったものの、ようやく平和に過ごせるようになった。
ご近所の人が、私が父のところに顔を出すたびに言ってきたものだ。
「お父さん、寂しいからああなるのよ。ハルキ君が一緒に住めばいいのに」
それで家庭内殺人事件などが起きれば「そんな人とは思わなかった」とでも言うのだろう。
当たり前に暴力が出るようになった人間に、こちらも手加減が出来ない。
同居などすれば、どちらが加害者になってもおかしくない。
そんな相手を、閉じ込めたり拘束をすることが法的に許されないなら、どうすればいいというのか。
私がそのことで怒っていたら、姉からは「一部の人だから。ほとんどはわかってくれているわよ」と言っていた。
姉の方が、近隣の方々とこまめに連携をとってくれていた。
そのため、父が施設に落ち着いて一番ほっとしていたのが、姉だった。
父が問題を起こすたび、近所の人から呼ばれる日々。
姉では父の暴力による最悪の事態も考えられたことから、姉からその夫や私に連絡が入り、仕事を早退して駆けつけたこともある。
さすがに警察の身元引き受けには、私が出向いた。
そうした日々がどこまでも続けば全員が共倒れになりそうで、とにかく必死の日々だった。
今は落ち着いて仕事に向き合える状況になったが、現代日本の生活は、精神的に疲れることが多い。
異世界召喚に対して、若者たちのように手放しで、はしゃぐつもりは毛頭ない。
それでも異世界という言葉に心が躍るのは理解が出来た。
魔法のある世界に召喚されたことで、もし特別な力がついたとすれば。
まるで物語の主人公になったようではないか。
元の世界のことを忘れ、新しい自分になるのも悪くはない。
ただし、それは召喚した者たちがまともだった場合だ。
どう考えても奴らは、こちらを利用する気で召喚した様子だ。
使い潰される前に、逃げる算段も必要だろう。
ステータスを見てはしゃぐ若者たちを見ながら、周囲の様子を見てみる。
神殿なのか城なのか、石造りの西洋風の建物。
ヨーロッパの遺跡のような柱や壁の装飾はなく、粗野な印象だ。
私たちの足元には、複雑な線が引かれた模様がある。
これが召喚の魔法陣というものか。
「あの、私は元の世界に帰りたいです! 帰らせてください!」
周囲を観察していたら、私の隣で立ち尽くしていた女性が声を上げた。
「残念ながら、世界を超えて帰還させる手段は存在せんのだ」
即座に国王らしき男が言葉を返す。
召喚した者たちに気遣いを向ける様子はない。偉そうなままだ。
彼女の悲痛な声には残酷な宣言だが、戻らなくていいことに、私はほっとした。
そうしてほっとしてしまった心の動きに、彼女にかける言葉を失った。
自分の心の動きに戸惑っている間にも、事態は動く。
「まあまあ、まずはステータス見ようぜ!」
「案外、聖女とかになって、チヤホヤされるかも知んねーじゃん!」
「そうそう、ゲームみたいな世界なんだ。楽しまねーと!」
最初にステータス確認をした三人組の若者が、彼女を前に連れ出した。
咄嗟のことで止める行動が間に合わず、彼女はステータスを晒される。
ゲームでよく見る、体力、攻撃力、素早さなどが数値化して並んでいる。
そして一般スキルや魔法スキル、特殊スキルなどというもの。
正直なところ、現実でそれらが数値化されている状況がよくわからない。
男性が続いていたためか、彼女のそれらの数値は、ひどく劣って見えた。
体力や攻撃力、防御力などは、体の造りが違うので、女性の方が低くて当然だ。
あと魔力と魔法防御とやらは少し劣る程度だが、魔法の攻撃力が桁違いで低い。
魔法スキルも、基礎魔法、付与魔法など、今までになかった表示で数が少ない。
あの数字は、私たちが今発揮できる力が数値化されているのだろうか。
そもそも自分が魔法を使える感覚がよくわからないのに、その力はどう発揮できるのか。
魔法とは、現実で使うためには、具体的にどうすればいいのか。
「では、彼女は我が国で保護いたしましょう」
彼女をバカにするような声が飛ぶ中、そんな言葉が聞こえた。
この場に、別の国の者がいると、この時点でようやく知る。
「異世界人召喚などと非人道的なことをしながら、能力が低いと侮辱するなど、見過ごせません」
歩み出た若者は、まともそうな人物だ。
彼女をバカにしておきながら、利用するつもりのこの国は、腐っていそうだ。
さらに同じく召喚された立場であるのに、彼女をバカにするようなことを言う若者たちも。
例の女性は、まだ若者たちに囲まれて、泣きそうな顔になっている。
早く保護してくれる者たちのところへ行かせてやらなければ。
声を張り上げて注目を浴びれば、彼女を逃がしてやれるだろうか。
そう考えて腹に力を入れた。
「いい加減にしろ! 私もこの国のやり方は気に食わん。世界をまたいでの拉致で、所有権を主張するなど、人権侵害も甚だしい!」
バカなことをしている気はする。
ここは大人しくしているべきところだろう。
異世界召喚をされて、気が大きくなるなんて、私も彼らと同じくらい愚かなのかも知れない。
それでも踏み出したからには、やり切らなければと、言葉を続けた。
「私もそちらの国に保護されることを望む。能力は関係ない。これは私の意志だ」
「それは困る。そなたらは我らが召喚したのだ。従ってもらわねば」
「拉致犯に従えと言うのか!」
強気の声を装っているが、足の震えを抑えるだけで精一杯だ。
私はそれほど強くはない。
健康な成人男性として、重い荷物なども持てるが、格闘技の経験はない。
腰を痛めてからは、重い荷物を持つのもかなり気をつけている。
見知らぬ世界で、力の使い方もわからない今はなおさらだ。
こちらを睨む国王とその周囲の目に、虚勢を崩さないように立つが、ここからどうすればいいのかがわからない。
ただ、若者たちの注意がこちらを向いたことで、彼女は保護を宣言した者たちのところへ行くことが出来た。
目的は達したが、さてどう動けばいいのか。
困っていると、私と同じく彼女のそばにいた体格の良い男性が、私の肩に手を置いた。
「ひとまずステータスの確認だけでもすればどうだ。確認は必要だろう」
なるほどと頷く。
それに私自身、自分のステータスが気になっている。
鑑定石とやらに手を置くべく私が足を踏み出したところで。
「あ、あの!」
高い声が割り込んできた。
母や姉を守りたかった正義感とか、萎縮を破りたい気持ちとか。
シエルさんは彼自身もままならない、難儀な性格なのです。人に歴史あり。
そんなこんなで、あちらの世界はうんざりだ! そうなってしまっております。
次話も別のトラウマ話があったりします。
あとちょいちょい、五十代ならではの年齢を感じさせる表現を入れております。