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異世界との手紙のやりとり。
シエルさんが難しい顔をするのは当然だ。
具体的に、何をどう考えればいいのかが、わからないだろう。
私もそんな魔法や魔道具が作れるイメージが、今は思い浮かばない。
「私も、娘たちと手紙のやりとりが出来ればいいと、思っているわ」
マリアさんも口を添えてくれる。
「あなたはこの世界に残りたいのでしょう。私も、今はそれでいいと思うの。でも、娘たちに無事を伝えたい。大丈夫だと伝えたいの」
連絡が取れるなら、手紙以外の手段でも、もちろんいい。
でもたぶん声や映像よりも、手紙の方が現実的だろう。
だからせめて、手紙のやりとりが出来ないか。
そんな私たちの要望に、シエルさんは真剣な顔で考え込む。
グレンさんが私の傍に来て、私を抱き上げた。
「オレからも、頼む。ミナはここで生きる決意をしてくれたが、家族を恋しく思う気持ちは知っている。つらい決意をさせていることは、心苦しい」
私をきゅっと腕に包みながら言うグレンさんも、少し苦しそうな顔をする。
こんなグレンさんがいてくれるから、私はこちらで生きていける。
それでも、家族と連絡が取りたい。父と仲直りがしたい。
三人の視線を注がれながら、考え込むシエルさん。
ふうと息を吐いて、口を開いた。
「召喚の魔方陣を見たいな」
異世界とこちらが、どのようになっているのか。
今は手がかりがまるで無く、想像も難しい。
手紙魔道具について、どう考えていけばいいのか、とっかかりすらない。
私たちが召喚されたあの魔方陣には、その手がかりがあるのかも知れない。
そうシエルさんは話す。
「あるいは、空間同士を繋ぐ魔法はあるから、世界を超えても作動してくれる転移箱の作成か」
考えるとっかかりがないと言いながらも、シエルさんは考えてくれている。
「しかしその転移箱を、どうやってあちらに送り込むか、だな。誰かがあちらへ持って帰るにしても、帰還方法の模索が必要だ。それにあちらで作動してくれるのか、事前確認が出来ない」
結局は帰還方法の模索になるし、帰還する人がいなければならない。
私たち三人はこの世界に残るのだから、他の誰かということになる。
「誰かって、あの国に残った人たちということかしら」
マリアさんの戸惑う声に、私はあっと声を上げた。
「アユムさん! たぶんアユムさんは、すごく帰りたいと思います。ひとり娘で、大きなお家の跡取り娘だし、婚約者もいたはずで」
アユムさんの家は、自宅に茶室があるような大きな家だった。
ひとり娘で窮屈だという話をしていたけれど、婚約者はいい人みたいだ。
大学を卒業したら結婚する予定だと話してくれたことがある。
そんな話をすると、シエルさんに向けられていた視線が、今度は私を向く。
「私もすぐには気づいていなかったんですけど、知り合いがいたんです」
私はあの召喚の場に、和菓子屋の常連客だった女性がいたことを話した。
シエルさんもマリアさんも、驚きながらも納得してくれた。
「そうか。ミナはあの沿線が家で、和菓子屋の娘だと言っていたな」
「はい。うちの店の常連さんだった人が、あの召喚の場にいたんです。二人連れの女性のひとりで」
マリアさんも、私のその言葉で思い出した。
「シエルさんの前に鑑定石に手をかざした人たちね」
私は頷いた。
「早く彼女に気づいていれば、ステータスの改ざんを教えられたんですけど」
「あそこに偶然知り合いがいるとは、あまり考えられない状況だったからな」
そうかとシエルさんは呟いた。
「では考えるべきは、帰還の方法と、世界を超えて転移が出来る装置だな」
やはりあの召喚の魔方陣が見たいなと、改めてシエルさんが言った。
異世界というものが、どういう認識になっているのか。
世界を超えるというのは、どういう魔法なのか。
そうしたことが、あの魔方陣を解析すればわかるだろうという。
あの国には二度と関わりたくない。
でも魔方陣は見に行きたい。
そうシエルさんは考え込んでいる。
「冒険者として潜入することは出来るだろうし、目くらましの魔法があるから、姿を変えることや、何ならステルス的な魔法も作れるだろう」
あのときとは違い、今のシエルさんは賢者として、様々な魔法を使える。
相手に気づかれずに潜入も可能だと主張する。
「危ないことは、あまりしないで」
でもマリアさんに止められれば、素直に「はい」と頷いた。
ううん、やはりシエルさん、マリアさんの尻に敷かれだしている。
夫婦のバランスとしては、それがいい気がする。
すごく早い時期にシエルさんに惹かれたマリアさん。
あの状況でマリアさんから見たシエルさんは、そんなにも格好良かったのかな。
ううん、むしろセラム様の方が、あの場では格好良かったと思うけど。
これが吊り橋効果というものか。
一方シエルさんは、虚勢が必要なくなったのか、今はとても自然体だ。
マリアさんは包容力のある母性の人だ。
実は子供っぽくゲーム好きで、魔法にのめり込む中二病なシエルさん。
臆病さも含め、マリアさんが良しとしてくれたことで、安定したのだろう。
それらを隠すための虚栄が、必要なくなった。
今こうして二人のやりとりを見ると、とてもお似合いだ。
出るところと引っ込むところが、うまく噛み合っている。
前の旦那さんは、マリアさんの色々と許してくれる雰囲気に、暴力という最悪なものを持ち出した。
でもシエルさんは、マリアさんに許されて安定して、すごく雰囲気が柔らかくなっている。
従来の柔軟な思考を存分に発揮し出している感じだ。
マリアさんの尻に敷かれることも、むしろ嬉しそうだ。
あの頑なさが表面に出ていたシエルさんになった理由も、何かあったのだろう。
これからこちらの世界で長い付き合いになるのなら、いずれ聞けるかな。
さておき、今は異世界との交信方法と帰還方法の話だ。
まずは小型転移箱を作ってみるという話になり、話題はあちらに残った人たちのことになった。
「あの若い三人組はともかく、他の人たちは逃がしてやりたいな」
「女性二人組と、あと男性二人よね」
そう。あの三バカはともかく、アユムさんとそのお友達。
あと三バカの次に鑑定石に手をかざしていた男の人と、勇者。
勇者さんについては微妙だけれど、あのとき接した印象は、まともな人だった。
私は誓約魔法に、「自分の意志でこの国を出る私たち異世界の人間」という表現を使ったことを話した。
きっとアユムさんなら、私のあの言葉を理解してくれただろうと。
「なるほど。それを意識して、自分たちであの国を脱出するかも知れないな」
シエルさんは、すんなりと理解してくれた。
「でも、彼女たちが私たちに合流できるかどうかは、わからないわね」
「私たちを保護したセラム様が、サフィア国の王子だってことは、あのあと知った可能性もあります。それでこの国の王都に来てくれれば、会えるかも知れません」
私が言うと、なるほどと二人は頷いてくれる。
でも私を抱き上げるグレンさんは、難しい顔だ。
「勇者もともに来る可能性があるな」
「ああ、そうか」
シエルさんも難しい顔になる。
マリアさんは、そのあたりの話を聞いていないので、きょとんとしている。
その顔を見たシエルさんが、グレンさんに訊いた。
「マリアさんにも、聖女や勇者の話をしても、良いだろうか」
クロさんは精霊王だと夕食の席で紹介され、「まあすごいわね」と言っていたマリアさんだけど、勇者のことは聞いていない。
でも、マリアさんも知っておいてもらった方がいい話だ。
いつか彼らが来たとき、勇者さんとトラブルになる可能性は高い。
グレンさんが頷いて、今からマリアさんに説明するからと、彼らは部屋に帰った。
そうしてグレンさんは身体を動かしに、私は本を読むことに戻った。
ある程度グレンさんが身体を動かすと、次は私の調理に付き合ってもらう。
夕食前に、お菓子や作り置きの調理をして、ティアニアさんやソランさん、マリアさんが合流したら、夕食作りだ。
クロさんはセシリアちゃんと会ったあと、今日もパン屋へ行っていたようで、ソランさんと一緒に帰宅した。
本日の夕食は、パエリアみたいなものがメインだ。
魚介ではなくお肉類なのが、少し残念感があるけど仕方がない。
具材を先に作り、その汁でご飯を炊いていく。
以前、マリアさんが自宅で作って好評だったパエリアのアレンジバージョンだ。
明日はまたパンに戻ろうかと、ソランさんたちと話す。
昨日はチャーハンで、このところ米料理続きだ。
目新しいので好評だけど、そろそろ変化が必要だ。
『せやなあ、パンも美味いなあ。でもこの米っちゅうのも、ええもんやなあ』
味見を小皿で食べながら、クロさんはご機嫌だ。
食べなくてもいい身体だし、食べ過ぎても問題がないらしい。
実に都合のいい身体だなあと思う。
『売り物のパンは手え出せへんけど、くれる物は貰うからな。いやあ、色々美味しかったわ』
どうやらパン屋で、昨日も今日も、かなり食べたらしい。
ソランさんが苦笑している。
「おねだりしたわけじゃなく、その場にいて、あげたい人があげていたから、いいんじゃないかな」
なるほど、迷惑というわけではなさそうだ。