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クロさんは、お部屋のソファーの上に置いた寝床を気に入ってくれた。
籠にフワフワの布を敷き込んだ、臨時ベッドだ。
『ベッドでゴロゴロするって、ええなあ』
ひとり分の座面ほどの大きさでも、クロさんにとっては広々としたベッドらしい。
大量魔力消費の怠さもとれたので、私はまずお洗濯をすることにした。
ダンジョンで汚れたグレンさんの服も預かり、一緒に洗濯魔道具で洗う。
夕方からのお洗濯でも、魔法を使えば乾かせる。
洗濯魔道具は洗濯機みたいに全自動だ。魔宝石に魔力を充填して起動する。
私の魔力の残りは二万ほど。
聖水を作るのはやめた方がいいけれど、洗濯魔道具の起動や、洗濯物を乾かしたり、料理に魔力を使っても問題ない残量だ。
そう考えていたけれど、洗濯魔道具はグレンさんが魔力補充をしてくれた。
夕食準備を終えて来れば、ちょうど洗い上がって乾かせるだろう。
洗濯のあとは、グレンさんと手をつないで厨房に向かう。
厨房は既に、いい匂いに満ちていた。
ソランさんとティアニアさんがいて、ご飯を一緒に炊いていた。
具だくさんのスープが、お鍋でコトコト音を立てている。
お味噌を入れる予定だと聞いた。
チキンのグリルがオーブンで焼かれていたので、あまり作業が残っていない。
でもまあ、グレンさんが私のすぐ傍に立とうとしている今、火を使う作業がないのは、ありがたい。
この献立なら、あとは付け合わせに浅漬けでいいかな。
私なら浸透スキルですぐに作れるので、浅漬け用の野菜を準備する。
グレンさんが積極的に手伝ってくれた。
遅れて厨房に来たマリアさんは、私とグレンさんの様子に微笑んだ。
「あら、仲良しね」
ちょうどグレンさんの口に、味見の浅漬けを入れたところだった。
これは下手に照れると、からかわれるやつだ。
はい仲良しですよと、私はにっこり笑い返す。
そこでふと、収納空間に入れたままの素材を思い出した。
「マリアさん、この素材、ダンジョンの加工肉の包みだったそうですよ」
マリアさんも、馴染みの素材がダンジョンの加工肉の包みだった新事実に、驚くだろうと思ったけれど。
確かにマリアさんは目を丸くした。
目つきを変えて、マリアさんは包みをほどいて加工肉を取り出す。
そして包みの方の素材を手に取って。
「これ、すごく新鮮な素材なのね!」
どうやら別のところに驚いていたようだ。
新鮮という言葉だけれど、マリアさんの目は包みの素材に向いている。
「この鮮度なら、透明な物も作れるかも!」
マリアさんが新鮮と言ったのは、強化プラスチック素材の方らしい。
考えてみれば、冒険者がダンジョンから持ち帰るこういった素材は、それなりに時間が経過したものだ。
この素材にも鮮度があるのなら、ドロップしてすぐに私やシエルさんが亜空間収納したものは、確かに新鮮だ。
その説明をすると、マリアさんの目がキラキラした。
「この素材、譲ってくれないかしら! もちろん正当価格で購入するわ! 透明な素材がなくて、不便だったの。すごいわ!」
どうやらこの素材、マリアさんにとっては、何よりのお土産になったみたいだ。
ダンジョンのドロップ品の分配は、事前に少し話をしてある。
私やシエルさんは、連れて行ってもらうのだから、分け前は貰う必要がないと最初は思っていた。
でも私とシエルさんの収納スキルで、すべての素材を持ち帰ることが出来る。
そのため価値のある魔石や稀少素材は分配するとして、加工肉などは、私とシエルさんで好きにすればいいと言われていた。
特に今回のダンジョン、食事は私が提供していた。
ヘッグさんたちは、いつもみたいに加工肉を食事用に持ち歩く必要もなかった。
この強化プラスチック素材は、私とシエルさんのものなのだ。
そしてシエルさんも、マリアさんへのお土産という認識だった。
あとのお肉は、お料理組で分ければいいと、シエルさんに言われている。
なので料理が一段落した今、お土産公開だ。
いろんな加工肉を出して、包みの素材はマリアさんへ。
他にもシエルさんが持っているお肉もあると伝えた。
マリアさんは、何を作ろうかと浮き立った顔になっていた。
ソランさんとティアニアさんも、大量の加工肉から使いたい素材を選んでいた。
グレンさんとは、夕食のときも、いつも以上に席をくっつけて食べた。
今日のグレンさんは、私にすぐ手が届く位置から離れようとしない。
私もなるべく、不安定になっているグレンさんに触れるようにした。
皆の生ぬるい視線はひとまず放置だ。
ダメージを受けているグレンさんが最優先だ。
食後も移動は手をつないで。
さすがにトイレや着替えは遠慮願ったけれど、寝る前の歯磨きも一緒だった。
クロさんは、私たちが部屋に戻っても、寝床で丸くなって寝ていた。
小動物になったので、睡眠時間は長いのかも知れない。
ベッドに入ると、グレンさんは私を抱きしめて、大きく息を吐いた。
「すまない。ずっとこんなふうに近すぎるのは、困るだろう」
今の不安定な気持ちに、グレンさん自身が戸惑っているみたいだ。
でも、私は思うのだ。
竜王の記憶を、グレンさんはただの情報だと言う。
そういう一面もあるかも知れないけれど、それだけではないはずだ。
ただの情報であれば、グレンさんが幼少期から、ずっと強くならなければと感じることは、なかったはずだ。
グレンさんの中には先代竜王のトラウマが、がっつり存在している。
だから今回の出来事は、グレンさんが思う以上に堪えている。
それを説明すると、なるほどとグレンさんは頷いた。
「そうだな。確かに竜王の記憶は、オレにかなりの影響を与えているようだ」
私の頬を大きな手で包んで、撫でながらグレンさんは話す。
「オレは目指していたとおり、それなりに強くなったと思う。だが、守るというのは本当に難しいな」
番を守るために、グレンさんは強くなった。
でもずっと私の至近距離にいるわけではない。
今日はなるべく一緒にいたけれど、今後ずっとというわけにはいかない。
グレンさんが私の知らない場所で、鍛錬をすることもある。
依頼が入れば魔獣討伐などに行くし、遠方に赴くこともある。
「勇者の持つ戦闘特化スキルに、オレの今の実力がどれほど通じるのかも、わからない」
今回のことで、グレンさんは不安になってしまったみたいだ。
私は少しだけ考えて、髪飾りを収納空間から取り出し、グレンさんに示した。
「グレンさんは、離れていても、ちゃんと守ってくれていましたよ」
髪飾りの魔宝石に込められた魔力が減っていることは、グレンさんも知っている。
再会して抱きしめられたときに、グレンさんは髪飾りにも触れていた。
あのときそっと、魔力補充もしてくれた。
「髪飾りが、発動したんだな」
「魔方陣で呼び出されたら、私の結界は消えてしまったみたいで」
瘴気に押しつぶされそうな感覚は怖かった。
でもグレンさんの髪飾りで、結界が発動して守られた。
「グレンさんの髪飾りが、ちゃんと守ってくれました。グレンさんがちゃんと、守ってくれました」
離れても、守られていた。
私がそう繰り返すと、そうかとグレンさんが呟く。
「それに、私だって戦えます。魔法でも、短剣でも」
そう力強く主張すると、グレンさんが小さく笑った。
私はちょっと口を尖らせる。
「なんですか。そりゃあ、グレンさんほど強くはないけど」
「いや、そういう意味で笑ったのではない。オレの番は心強いと、思ったんだ」
頬を撫でる大きな手が、頭の後ろに回った。
キスをされると構えたら、私の顔中にキスが降ってきた。
額や瞼、頬、鼻筋、そして唇に。
そっと触れるだけのキスは、次々に優しく降ってくる。
唇には、そっと触れるだけ。
以前のように魔力の通らない、軽いキスだ。
意識があるままなので、かえって気恥ずかしい。
グレンさんは何度も顔にキスを降らせてから、首筋に顔を埋めてきた。
舐められたのか、湿った感触がして、グレンさんの魔力が来る。
「うひゅっ」
思わず変な声を漏らしたら、グレンさんは動きを止めた。
それから長い息を吐いた。
「すまない。先走った」
謝られる意味がわからない。
くすぐったかったけれど、グレンさんにこうして触れられるのは、好きだ。
気恥ずかしさはあるけれど。
「未成熟な番を損ねるような真似を、するつもりはないのだが」
その言葉に、思わず顔に血が集まる。頬が熱い。
まるで私の身体が成熟していたら、もっと色々としたいみたいな言葉だ。
私も、それなりに知識はある。
でもグレンさんは、今までキスくらいまでしか私に求めなかった。
もっと色々としたいみたいなのは…指を舐められたな、そういえば。
うろたえる私に、グレンさんがふっと笑う。
なんだか不敵そうな笑みに、ちょっとドキリとする。
「シホリが大人の身体になったら、存分に触れさせてもらう」
そんな宣言をされた。
ああああ、まあ、そうですよね。夫婦だものね。
でもマジですかー!