116
グレンさんに魔力のほとんどを負担してもらい、転移で帰った私たち。
まずはザイルさんに、精霊王と会って浄化を進めることを伝えた。
一緒に来たクロさんが、精霊王の分身体だということも説明する。
ザイルさんは丁寧に、クロさんに挨拶をしていた。
小動物を敬うかのように接するザイルさん。
ちょっとシュールだ。
『おう、家主はんでっか。あんじょう頼んますわ!』
クロさんの返事も、なんだか違和感満載でシュールだ。
さて、私がやらなければならない優先事項は、まずクロさんの浄化。
そのためには、ちゃんと休んで魔力を回復しなければならない。
とはいえ、日中に魔力回復ってどうすればいいのやら。
夜に寝るみたいには眠れなくても、お風呂に入ったら眠気が来ないかなと思う。
なので、久しぶりに昼間のお風呂に入ることにした。
このところは大浴場ばかりだったけれど、この時間帯は小さい方だ。
グレンさんもダンジョンで汚れたので、一緒にお風呂へ向かう。
クロさんはお風呂というものにも、興味があったようだ。
私から大浴場の話を聞いて、グレンさんの肩に乗った。
『わて、大浴場の方に行くわ!』
私はちょっとだけ固まった。
クロさん、私と一緒に入るつもりだったのかな。
まあでも、そもそもクロさんは精霊王だ。
たまたま私の前世だという記憶から、関西のおっさんな言語を選んでしまったという話だけれど、性別があるかどうかも謎だ。
話し方で違和感はあるものの、女湯でも問題はないのだろう。
お風呂のために別行動をするとき、私の手を放すまで、グレンさんに間があった。
あれ、どうしたのかなと思ったけれど、声が割り込む。
『実体化すると、色々と匂いも味覚も、感触とかも、面白いもんやなあ』
グレンさんの肩で、ご機嫌なクロさん。
『風呂っちゅうのん、楽しみやなあ』
「クロさんが、お風呂が楽しみだって言ってます」
私の通訳に、そうかと頷いてグレンさんは手を放した。
魂の浄化で、人の営みはひととおり知っているとクロさんは言っていた。
流転する多くの魂は、良い記憶も悪い記憶も雑多に過ぎ去るもの。
でもたまに、魂の輝きに惹かれるものがあったという。
強い輝きだからというわけではない。
なんとなく惹かれる、琴線に触れるという感じだ。
そうした魂には、当たり前の人の営みの中、大切ないくつかの記憶があった。
大切な人と一緒に食事をする、美味しい記憶、満たされる記憶。
美しい景色。お祭りやお祝い事。仕事の達成感。ほっとするひととき。
クロさんが惹かれたものは、温かな記憶が多かったという。
特別に惹かれるもの以外の魂は、良いも悪いも通り過ぎるもの。
そんな希に触れる魂の記憶で、クロさんの一番の興味は物を食べることだった。
他にもいくつか興味があり、お風呂もそのひとつらしい。
グレンさんの肩の上、体を揺らしてクロさんはグレンさんを急かす。
私もグレンさんに手を振り、お風呂に向かった。
小浴場には、誰もいなかった。
ひとりで行儀を気にすることもないので、ポイポイ脱いで準備をする。
とはいえ、誰かが途中で来るかも知れないので、籠の衣類は畳んでおく。
最近のお風呂は、夜の大浴場で、マリアさんやティアニアさん、その他の奥さん方も一緒で賑やかだった。
狭い方のお風呂で、ひとりで入るのは久しぶりだ。
まあ、狭いと言っても、ちゃんと体を伸ばしてゆったり入れる広さだ。
お風呂に浸かり、ふうっと息を吐いて縁にもたれる。
力を抜いて浮力に身を任せたら、ふうっと意識が薄れていく感覚。
このところのダンジョン通いで、自覚はなかったけれど疲れていたみたいだ。
いつの間にやら、ウトウト寝てしまっていた。
『聖女はーん、大丈夫でっか?』
意識が飛んでいたところで、おっさんな声が聞こえた。
思わずはっと目を覚ます。
見ればお風呂の縁に立つフェレットが、こちらを覗き込んでいた。
「クロさん!」
一気に目が覚めた。女湯におっさん声はちょっと驚く。
『竜王はんが心配してはったで。ちょっと遅いし、のぼせてはるんちゃうかって』
ウトウトするうちに、時間が経っていたみたいだ。
じとっと汗をかいていて、確かにこれ以上入ると、のぼせそうだ。
お風呂から上がり、身支度を調えながら、グレンさんに伝言魔法を送った。
「すみません、お風呂でウトウトしてました。今あがりました」
グレンさんからは、お風呂の出口のところで待っていると返事が来た。
私が身支度をする間、クロさんはお風呂場や脱衣室をウロウロしている。
服を整え終わってから見れば、いつの間にかお風呂に入っていた。
『風呂って確かにええなあ。じんわり温もって、溶ける感じや』
そういえば男湯で、クロさんはグレンさんに洗われたのだろうか。
小動物を洗うグレンさんの図が少し気になったけれど。
『わてのこれは、魔力で物質化してるから、汚れへんで』
そのため洗う必要もないのだと言われた。
実際、湯船から出て来たクロさんは、濡れていなかった。
おおう、不思議現象。
濡れていないのに、クロさんはお風呂から出て、体をブルブル振った。
何かの光が飛び散っている。
『あの温泉水、精霊がようさんおるなあ』
え、あれが精霊? なんだか光る虫みたいだった。
むしろ異世界の虫が精霊ってことかな。異世界だし。
「まあ、刺さない虫ならいいけど。小さいし」
瘴気溜りで巨大化した虫は怖かったけれど、小さい光の粒ならまあ、異世界の虫でも怖くないかな。
そう思っていたら。
『虫ちゃう! 精霊やっちゅうねん!』
「あ、はい」
クロさんに怒られた。
あの温泉水が竜人の里から転移されていると説明したら、クロさんはなるほどと何度も頷いていた。
頷くフェレット。シュールだ。
『竜人族が浄化して魔力が巡る場所やから、精霊も多いんやろな。あの温泉、魔力回復にええわ』
そんな効果があるらしい。
何にしても、温泉効果は異世界でも共通だ。
お風呂施設の通路を抜け、グレンさんに駆け寄ると、すぐに抱き上げられた。
私をきゅっと抱きしめてから、耳元で長い息を吐くグレンさん。
なんだかやっぱり、違和感だ。
私もグレンさんに抱きついて、間近になっているグレンさんの頭を撫でた。
しばらくグレンさんは、私に頭を撫でられていた。
そうしてぽつりと、違和感の理由を教えてくれた。
「すまない。目の前で、連れて行かれたのが堪えている」
ああああっ、ごめんなさい! そうだよね、さっきの話だもんね!
思えば転移直後は、グレンさんの髪飾り結界が作動するようなピンチだった。
番を連れて行かれるという、先代竜王のトラウマも直撃していたかも知れない。
『すんまへん、竜王はん! 焦ったとはいえ、反省しとります!』
クロさんも平謝りだ。グレンさんには聞こえないけど。
「一緒に、なるべく一緒にいましょうね!」
「ありがとう。大丈夫だ。今は別行動でも、魔力は感じられる。問題ない」
いや、たぶん問題はある。
なかったなら、私を抱き上げてからの、この違和感はない。
今のグレンさんには、ケアが必要な状態だよ、きっと。
「クロさん、浄化に行くときも、グレンさんは一緒だからね」
『任しとき! 二人セットで連れて行かせてもらうわ!』
グレンさんの不安が消えるまで、なるべく一緒にいよう。
これはかなりのダメージを受けているよ。
絶対にケアが必要な状態だよ、グレンさん。
こうなったら抱っこ生活も、膝の上生活も、甘んじて受けよう。
そう決意しながら、グレンさんに抱かれたままお部屋へ戻る。
お風呂でがっつり寝たせいか、魔力は半分ほど回復していた。
なのでクロさんの本体のところへ呼んでもらい、できる限りの浄化をした。
グレンさんも浄化に協力すると言って、私に魔力譲渡をしてくれた。
シエルさんが作ってくれた、魔力譲渡の魔方陣だ。
グレンさんの魔力が流れてくるので、違和感はすごくある。
でも番の儀のときほどの、キツさはない。
シエルさんからは、純粋に魔力として変換する工夫をしたと説明されていた。
なるほど、違和感が薄まっている。
靄はまだまだ濃いけれど、浄化が進んでいることに、クロさんはご機嫌だった。
浄化が終われば、クロさんが元のお部屋へ戻してくれる。
これが、しばらく日常になるようだ。
グレンさんと二人、ソファーに座った。
正確には、ソファーに座っているのはグレンさんだけ。
私はグレンさんの膝の上で、グレンさんにもたれている。
短時間で魔力を使い、また少し怠い状態だ。
グレンさんも、かなり私に魔力を流してくれたので、疲れただろう。
二人でしばらく静かに、お互いの体温を感じていた。
そんな私のお腹の上で、クロさんは丸くなる。
『実体化して動くの、なんや怠なるなあ。これが疲れるってやつかあ』
クロさんならではの感想だ。
精霊王は身体という物質はなく、特殊な魔力の固まりが本体だという。
私のお腹の上で、クロさんは寝るつもりだろうか。
毛並みを撫でると、フカフカで温かくて、気持ちがいいけれど。
「うちは食べ物を扱うお店だったから、動物を飼ったことがないんですよね」
クロさんのお世話って、どうすればいいんだろう。
クロさん用の寝床とかも必要だろうか。
トイレ事情はどうだろうか。
『待って。わて実体化したけど、動物ちゃうで!』
クロさんがムクっと起きて、反論した。
魔力で実体化したクロさんには、トイレ事情は不要だった。
寝床は欲しいと言われ、籠に布を敷き、ソファーに寝床として置いた。
ルシアさんに小動物用のベッドを特注してみようかな。
クロさんを連れてルシアさんのところへ行き、寝床を特注したとき。
ルシアさんは小動物用のベッドに、テンション爆上がりで張り切られた。
サイズを測るついでにクロさんを撫で回して、制作を請け負ってくれた。
後日届いたクロさん用ベッドは、とても立派で可愛かった。