113 (ヘッグ)
※ヘッグさん視点です。
動く死体という特殊魔獣を、浄化魔法で倒したミナが、突然消えた。
ダンジョンの中は、特殊な空間だ。
壁や床などダンジョンの構造物は、普通は出来るはずのことが、出来ない。
土魔法で穴を掘ることも、衝撃を与えて壁を壊すことも。
魔力も通らず、魔方陣を出して人を召喚するなんてことは、出来ないはずだ。
唯一の例外があるとすれば、ダンジョンを支配する者。
事前にオレたちは、精霊王という者がいると説明されていた。
魔力や魂の循環を司り、瘴気を魔力に変換する際のエネルギーを、魔獣の発生やダンジョンの変動などで発散しているという。
今回の目的は、その精霊王が抱える瘴気の浄化。
そして精霊王に、聖女を守る協力依頼をすることだと聞いている。
だからこの事態は、聖女が精霊王に呼ばれたのだと、予想がついた。
それでも番がいきなり消えたことで、焦ったのだろう。
グレンはダンジョンの奥へと、すぐに駆け出した。
「おい、私たちも行かなければ」
焦って追おうとしたシエルの肩を掴み、引き留める。
ギドもオレと同じ意見なのだろう、追おうとはしない。
「大丈夫だ。グレンに任せよう。オレたちは逆に、あいつの足手まといだ」
グレンが強行突破でダンジョンの最深部を目指すなら、オレたちが追いかけても、逆に足を引っ張る。
残念ながら、グレンの強さにオレもギドも追いつけていない。
グレンの方が年下だが、黒竜族の特質を持ち、無茶なダンジョンの潜り方をしていたあいつは、とにかく強い。
シエルも、グレンの抜きん出た強さは知っていた。
悔しそうな顔を見せて、進もうとしていた力を抜いた。
「グレンさんは、目的地があって走ったのだろうか」
その言葉にオレたちは答えを持たない。
番の魔力をちゃんと感知した上で、走り出したのか。
焦ってひとまず、ダンジョンの最奥を目指したのか。
「少し、待ってくれ」
シエルはそう言うと、何やら魔法を使い出す。
だが、すぐに首を横に振った。
「駄目だ。空間把握と魔力感知で、ミナを探せないかと思ったが、このエリアにはいないということしか、わからない」
ダンジョンは、エリア間を魔方陣が繋ぐ構造だ。
それぞれのエリアが、別空間にあると考えた方がいいだろう。
となると、シエルの魔法でミナを探すことは出来ない。
それを伝えると、シエルは眉根を寄せた。
「その…私に出来ることは、ないだろうか」
賢者として、多くを出来る可能性があるからこその言葉だろう。
だが、ダンジョンという特殊空間の中では、人は無力だ。
焦る必要はないことを、どう伝えるか迷ったが。
彼は、予言された賢者だ。
となると、聖女の事情を伝えても、いいのではないか。
ギドに視線を送ったが、オレに判断しろとばかりに無反応だ。くそっ。
どうしたものかと迷ったが、オレはシエルに聖女と精霊王のことを話した。
ミナは、この世界の浄化を司る聖女であること。
本来聖女は、この世界で生まれるべきだった。
それが前回の勇者召喚により、異世界に魂を飛ばされていた。
戻った聖女を守るため、精霊王に手助けを求め、ダンジョンに来たこと。
魂や魔力の流転を司る精霊王もまた、溜まりきった瘴気に困っているはずだ。
聖女を守るための協力は、してくれるだろう。
そんな、竜王の記憶からザイルに共有され、オレたちに与えられた情報を、シエルに伝えた。
「待ってくれ。ではミナは、もし帰る方法が見つかっても、帰れないのか?」
心配そうなシエルの声。
「帰ってもらっては困る。聖女は、こちらの世界にあるべき存在だ」
オレが言うと、シエルは沈痛そうな面持ちになった。
「ミナは、二十歳だと言っていた。成人したとみなされる年齢とはいえ、二十歳はまだ子供に近い大人なんだ」
異世界ではまだ社会のことを学んでいる最中の、大人見習いの年齢なのだと、シエルは話す。
オレもそれは予想をしていた。
ミナはしっかりと考えて様々な判断をしているようだが、どこか危なっかしい。
子供と大人の境目な年齢と言われれば、そうなのだろうと思う。
「まだ大学生…教育を受けている最中で、親の庇護を受けている者も多い年齢だ」
こちらの世界に残るのは、親から引き離されることが、決まったということだ。
「私のような大人だった者とは違う。ミナは、きっと帰りたかっただろう」
悲しそうな物言いに、非情な要求をしている気がして、胸が抉られる。
だが聖女に帰られては本当に困るんだ。
ようやく、こちらの世界に帰還してくれたのだから。
「泣いていたんだ。最初は、しっかり考えて動いていたくせに。父親とケンカしたままだったというようなことを、言っていた」
ああ。ザイルから聞いている。
それでも、帰られては困るんだ。
聖女はこの世界にあるべき存在だ。
シエルには言えないが、世界の管理者のひとりなんだ。
聖女がいなければ、この世界は瘴気に呑まれ、崩壊する可能性が高い。
こちらの沈黙をどう受け止めたのか、シエルは黙り込んだ。
「ひとまず、帰ろう。宿で連絡を待つしかない」
冒険者ギルド経由で、竜人自治区のザイルには連絡を入れておく。
聖女が恐らく精霊王に呼ばれ、浄化にあたっているのだろうと。
今のオレたちには、ミナとグレンが無事に帰ってくるのを、待つしか出来ない。
シエルはしばらく迷う顔だったが、やがて空間把握でもう一度、今度は魔方陣の場所を探り、そちらへ向かった。
今はどうにも出来ないことは、理解してくれたようだ。
竜人の各一族は、それぞれ特徴がある。
白竜族は、物作り好きの変わり者が多いが、マイペースで自分の心に素直だ。
黒竜族はグレンのように、戦闘特化でまっすぐな気性が多い。
青竜族は知識人が多く、生真面目だ。
そしてオレたち赤竜族は、社交性が高い分、用心深い。
物事を斜めに見るところがあり、オレは特に、それが強い。
だから子供の頃から、聖女という存在に疑問を持っていた。
竜人族は聖女の眷属だと聞いていたが、その聖女は、一向に現れない。
なぜ現れないのかは、誰にもわからない。
聖女が世界を浄化するのを、竜人族が手伝うのだと、幼い頃から聞いていたのに、その肝心の聖女がいない。
実際は、竜人族の聖魔法を使える連中が、懸命に浄化をしていた。
聖魔力を持たない竜人族は、ひたすら魔獣討伐だ。
瘴気が多ければ、それだけ大きく強い魔獣が生まれる。
地上もダンジョンも、魔獣を倒すことは瘴気の解消につながると、聞いていた。
聖女はなぜ現れないのか。
この世界は聖女に見捨てられたのではないかと、ふと考えたことがある。
いなくても済むのなら、聖女はいらないんじゃないかとも、考えた。
でも瘴気は厄介なことに、次々生み出され、竜人の里の付近はひどい状況だ。
人族の聖魔力持ちも、竜人族の聖魔力持ちも、疲弊していく。
そもそも瘴気とは何なのか。
人族の欲が絡むのかと思っていたが、そういうわけでもないらしい。
世界がそのように出来ていると言われたら、どうしようもない。
ただ、聖女という存在を、少し恨めしく感じていた。
冒険者としてあちこちのダンジョンに潜り、魔獣討伐をする。
それは性に合った仕事で、方々を旅するのは楽しかったし、ダンジョンのドロップ品も面白い。
そもそもダンジョンという場所が面白かった。
でも、そうやって魔獣討伐をしても、どんどん魔獣は生み出される。
瘴気も次々と、各地で瘴気溜りを作るようになっている。
この世界はやがて瘴気に包まれて終わるのだろうか。
竜王の魂を持つというグレンは、見ていて哀れな気がしていた。
先代の話は聞いている。
竜王として目覚めないまま、ただ闇雲に強さを求め、ダンジョンに潜って死んだ。
そしてグレンもまた、竜王として目覚める術がないまま、ただ強さを求め続けるのを見た。
身体を鍛え、武術を学び、ダンジョンに行きたがる。
こいつもすぐに死ぬのかなと思っていた。
けど無茶をしながらも、意外とちゃんと生き残った。
年下なのに、もう追いつけないほどの強さになったグレン。
ちょっとすごい奴だと感じた。
ただ、なんだかちょっとズレている。
そういうズレたところがあるから、一途に強さを追い求められたのかとも思う。
グレンについては、オルド爺さんが予言を与えた。
なんとも気分が悪いものだった。
番と巡り会うのは絶望的。もし出会うとすれば、番の不幸でもある、と。
何だその、番の不幸ってのはと、憤りすら感じた。
聖女と源を同じくする賢者と伴侶を頼れというのも、訳がわからない。
源を同じくするって、どういう意味だ。
同族の、人族という意味なのか。同じ国出身という意味なのか。
そんな中、聖女が見つかったと聞いた。
異世界から召喚された者の中に、聖女がいたという。
異世界ってどういうことだよと、また苛ついた。
別の世界に聖女が逃げていたということか。
どういう状況かわからないが、ふざけるなと言いたい気分だった。
他の奴らは、聖女の帰還だと喜んでいるけれど。
聖女がこの世界にちゃんと居てくれれば、こんな大変なことには、ならなかった。
会う前はそんなふうに、聖女という存在に失望していた。
無責任に、役割を放り出した聖女の魂を持つものだと。
歴代聖女は、慈愛で世界を浄化してきたという。
か弱くはかない、力という面では無力な、竜人族が守るべき、人族の女。
異世界に呼ばれたことを不幸と感じ、嘆いているのだろうか。
そう思っていたのだが。
実際に会ってみれば、まだほんの子供にしか見えないが、生命力にあふれていた。
ダンジョンに興味を持ち、冒険者のことを色々と聞いてくる。
なんとも予想外だった。
口調や態度はそれなりなので、見た目ほど子供でもなさそうだ。
それでも、大人として扱えない年齢だ。
聖女の魔力は、番とは異なるが、竜人族にとって心地良いものだと聞いていた。
なるほど、温かいものを感じる。
初対面の挨拶から、オレたち赤竜族に近しいものを感じた。
ずっと人と関わって、人というものを知ろうとしてきた者の接し方だ。
まだ経験不足なところはあるが、かなり勘がいい。
そういえば、聖女には魔力感知の能力があると聞いたことがある。
先代聖女も悪意などを感じ取れたらしい。
魔力感知で人の心を探りながら、相手を見極めて接してきたというところか。
幼い頃から多くの人と関わってきたような、初対面で物怖じしない雰囲気だ。
育った異世界は、魔法のない世界だったという。
オイ、聖女が魔法のない世界で育ってるって、どういうことだよ。
大丈夫なのかよ。
でも実際は、魔法のない世界で育った彼女は、可能性の塊だった。
まず、聖水とやらを作ったこと。
聖魔力を入れ込んだその水で、現地へ行かずに浄化が出来るって、何だそりゃ。
オレたちが世話をする一方かと思っていたが、こちらに来て早速、異世界のパンを作って食わせてくれた。
すげえ、うまかった。
しかも聖女の魔法を駆使して作ったという。
いや、おかしい。なんだそれ。なんで食べ物に聖女の魔法を使うんだ。
これからちゃんと生活をするためだと、市を見たいと。
職人として菓子を作りたいという。
まだ子供なのに、生きることを誰かに頼り切ろうとはしない。
そういうまっすぐさは、グレンに近いものを感じる。
そうして実際に、菓子作りで稼ぎ始めた。
いろんな美味い物を、次々と作り出す。
保存食まで美味くなった。
予言にあった『番の不幸』は、異世界の家族と引き離されたことだった。
それについては、確かに可哀想だと思った。
あとから知った聖女の事情は、クソなハイエルフの起こした異世界召喚とやらに、巻き込まれた事故だ。
聖女に対して感じていた怒りが理不尽だったことに、ちょっと気まずくなった。
予想外ではあったけれど、表面はともかく本質は慈悲深い。
スラムのために動く連中に、無防備なほどに手を貸したがり。
商業ギルド長や貴族は、それぞれの思惑があるだろうに、安易に信じたり。
なんというか、危なっかしい。
色々と知恵も回るくせに危なっかしいって、どういうことだ。
そんな危なっかしさが、意外なことに味方を増やしている。
王族たち、フィアーノ公爵家、マルコさんたち。
商業ギルド長も、自分の職責以上に気にかけている。
子供の見た目に対する庇護欲か、有能な職人の保護かはわからないが、すっかり彼女の味方だ。
この機会に冒険者ギルド長まで巻き込みやがった。
まあ、商業ギルドとのやりとりは、一部オレでも感心したものだ。
あんな若さで、相手の利をきちんと考えている。
無償の奉仕ではなく、相手も自分も利があるようにという考え方が、商業ギルドの連中にとって、ずいぶん気持ち良く映るのではないか。
なんだかんだで、人たらしな気がする。
オレだけでは用心が足りない気がして、ギドに今回の助っ人を頼んだ。
ギドも彼女を気に入ったようだ。
ミナもシエルも、ギドの言葉やクセのある仕草について、特に指摘も何もしない。
無関心なわけではなく、受け入れられたことに、ギドも気を良くしている。
ギドもオレのように、聖女に懐疑的だった竜人族だ。
なのに、今ではすっかり、ほだされている。
元々が面倒見のいい奴だ。
ミナは見た目が小柄で、目がクリクリした小動物みたいで。
美味い物を出してきては、人懐こく笑う。
むしろ、ほだされない奴の方が、少ないのではないか。
極めつけは、今回のダンジョンだ。
聖女は浄化を司り、清らかで争い事はできないと思っていた。
ミナは活動的な女だが、それでも聖女だ。魔獣討伐とは無縁のはずだが。
積極的に、攻撃魔法で魔獣討伐に参加したがり、挙げ句にオーバーキルだ。
えらい無残な倒し方をして、気まずそうな顔になっていた。
もう笑うしかない。
その上に、剣でまで戦いだした。
身体強化が出来る聖女って、何なんだよ。
調理スキルに付随した身体強化というが、なんで聖女が物理的に強くなりつつあるんだよ。
戦う聖女という存在に、思わずオレもギドも、笑いが浮かぶ。
少なくとも竜人族に伝わる話の中に、聖女がダンジョンで戦った記録はない。
異世界出身の聖女は、本当にオレたちの度肝を抜いてくれる。
主人公が生ぬるい視線と感じたのは、戦う聖女を面白がっていました。
店番で相手の雰囲気を読むのが得意と思っているけれど、聖女の魔力感知を無意識に使っていた優位性なだけなので、意外と読みは外れるのです。
まだ二十歳の女の子なので、ときどき彼女の読みは外れています。