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夜の聖水作りなど、お互いに寝る支度を調えて。
私のお部屋のベッドに、グレンさんと二人並んで腰掛けている。
本日はグレンさん甘やかしデーのはずだった。
なのにグレンさんを放っておいてしまう時間が多かった。
今は、寝るには少し早い時間で、グレンさんを甘やかすにはちょうどいい。
でも場所がベッド。
この状況でグレンさんを甘やかすというのが、ハードル高いなと思う。
私がどうすればいいのか、ちょっと動きに迷っていると。
「シホリ」
グレンさんに名前を呼ばれるのと同時に抱き寄せられて。
膝の上に抱え込まれた。
うん。落ち着く。落ち着いてしまう。
魔力の効果なのか、恋人同士のドキドキよりも、安心感が強い。
がっしりした胸に顔を埋める。
マリアさんが作った石鹸の匂いを、グレンさんからも感じる。
同じ石鹸を使っているからね。
穏やかな呼吸と、心臓の音が心地良い。
下手をすれば、すんなり寝てしまいそうだ。
「シホリ、ありがとう」
いつもの低い、響きの良い声に、グレンさんを見上げた。
いきなりのお礼が、ちょっとわからない。
「いつも父や兄を、羨ましく思っていた。オレは、番に会えるかどうか、わからなかったから」
ああ、そうか。
竜王の魂を持つ者として生まれて。
先代の急死以来、番と巡り会えなくて、覚醒できなかった竜王。
泰然として見えるグレンさんも、不安だったということだ。
「こんなふうに、番と過ごせて、番に気にかけてもらえて」
低い声が吐息みたいな、想いの込められた囁きで、ちょっとドキドキする。
「本当に幸せだ」
うん、と私も小さく返し、グレンさんの胸にまた頬を寄せた。
「私も、グレンさんと会えて、良かった」
異世界召喚そのものには、まだ色々と言いたいことはあるけれど。
グレンさんと会えたことだけは、良かった。
覚醒しないまま、わけのわからない焦りだけを独りで抱えるグレンさんを、放っておくことにならなくて。
何よりも、私だって、グレンさんとこうしているのは、幸せだ。
男の人とこうして過ごすことは、具体的に想像できなかった。
マリアさんが言うように、あちらでは、ずっとおひとり様だったかも知れない。
そんな話をすると、グレンさんは優しく私の頭を撫で、背中を撫でてくれる。
気持ちいいのだけれど、本当に寝てしまいそうだから困る。
頑張って顔を上げて、私からグレンさんの首に抱きついた。
そうすると撫でる手は止まり、きゅっと抱きしめてくれる。
「グレンさん、私に何かして欲しいこととか、ないですか?」
グレンさん甘やかしデーの夜だ。
何か出来ないかなと思って、訊いてみると。
グレンさんは、少し考えるような間のあと、口を開いた。
「口づけをしても、いいだろうか」
あらあらまあまあ、初キスですって!
なんだかお義母様が乗り移ったみたいな心の声になってしまう。
以前は出会って日も浅いのにと、抵抗があったけれど。
今は、むしろ私もしたいとは、思っている。
だって、グレンさんとは番になった。
夫婦になったんだよ!
もちろんちょっと恥ずかしいけれど、嬉しくもあるんだ。
グレンさんを見上げて、しっかりと頷いたら。
口元をほころばせて、グレンさんは私の頬を大きな手で包み込んだ。
いつもの優しい手つきで撫でられて、私もたぶん顔が緩んでいる。
頬を撫でる大きな手が、頭の後ろに回った。
キスをされると、目を閉じた。
最初はそっと唇に触れる、軽いキス。
そっと重ねられたそれが離れて、ちょっと残念に思っていたら。
すぐにまた、グレンさんの唇の感触がして。
それから口の粘膜? に、触れてくる感触がした。
おおお、これは大人のキスではないでしょうか。
一気にアダルトな夜の予感に、ドキドキ心臓が飛び跳ねる。
そう思ったところで。
触れ合う場所から、グレンさんの魔力が私の身体を駆け巡った。
強いその感覚に、構える間もなく気絶したのは、言うまでもない。
そして、起きたら朝だった。
すうすうとグレンさんは隣で寝ている。
ちょっと、どうしてくれよう、この気分。
キスのあの雰囲気からの、いきなりの朝!
ロマンチックなはずの夜は、どこへ行ったんですか!
私としては、あそこからのイチャイチャ展開があるはずで。
恥ずかしくも嬉しく、期待に満ち満ちていたのに。
穏やかに眠るグレンさんを起こすことも出来ず。
納得いかない感だけが胸にくすぶる。
朝チュンという表現を聞いたことがあるけれど、これじゃないはずだ。
母が昔のマンガでよくあったと、力説していたことがある。
夜のアダルティな雰囲気から、朝に小鳥がチュンチュン鳴いてる画面に一気に飛ぶのだと。
何の話題でそんな話になったのか、覚えていないけれど。
あれはマンガやアニメで表現できない、エロスな部分をカットしただけで、実際に何かはあったはずなんだ。
実体験で朝チュンはない。
しかも魔力を通されて寝たためか、すっきりしたこの目覚め。
ふて寝も出来ない感じだ。
どうしてくれよう、この気分!
竜人族の夫婦の営みがわからない。
触れてすぐに魔力を通すのが、竜人族の夫婦の当たり前なのだろうか。
だとしたら、私にはハードルが高い。
初心者への配慮を求める!
グレンさんが起きたら抗議しようと心に決めた。
憤りを、パイ生地を捏ねる力として、ぶつけて。
朝食やおやつを作っていると、お義母様が来られた。
他のお料理をひととおり終え、焼き上がったパイを窯から出していたところだ。
「あらあら、いい匂い。もうお料理は終わってしまったのかしら? 一緒に作ろうと早起きしたつもりだったけど、ミナちゃんはさらにとっても早起きだったのね。グレンはまだ寝ているの? あの子ったら手伝いもせず、番に朝ご飯を作って貰うなんて。家にいるときは家事も分担だって、言ってやったらいいのよ。まあねえ、あの子のお料理だと、あまり美味しくないのだけど。でも手伝いくらいは、出来るはずなの。そうそう、今から例の煮込み料理を作ろうと思ってるのよね。私のお料理だけを手伝ってもらうのは悪いのだけど、一緒に作らないかしら」
グレンさんも子供の頃からよく食べていたお料理だという。
私も作り方を知りたいので、是非にと頷いた。
結論から言うと、チーズやサワークリーム的なものも足したシチューだった。
とても美味しかったので、このお料理のレシピを知れたのは、嬉しい。
なんだかレシピの幅が広がった気がする。
途中でティアニアさんやマリアさんも加わって、みんなで作った。
「エオナさんの煮込み料理、私もレシピを知りたかったの。嬉しいわあ」
ティアニアさんのテンションが高い。
ちなみにエオナさんというのが、お義母様の名前だ。
お義父様の名前はジオスさん。
「ヨーロッパの一部でこういう料理の味付けがあった気がするけど、日本では馴染みがない味付けよね」
「そうですね。でもおいしいです」
「あらあらあら、喜んでもらえて嬉しいわ。うちの人はハードな移動手段で疲れて、まだ寝てるけど。私はあの人に抱えられて、移動中にちゃんと寝たから、元気なのよね。私のレシピで他に知りたいお料理、あるかしら」
そこからは、おつまみ的なお料理を教わったり。
ティアニアさん得意のガレットを一緒に作ったり。
私がクレープのレシピを共有したり。
マリアさんも、ハーブをうまく使った炒め物を教えてくれた。
そうするうちに、グレンさんや他の人たちも起きてきて。
皆で作った料理をテーブルに並べて、またも異例の朝食会。
なぜなら今日の夕食前には、義父母は旅立たれてしまうから。
昨夜はみんなそろっての食事ではなかったので、朝食を一緒にという話になった。
もちろんヘッグさんやガイさんは、豪華な朝食にありつけて嬉しいとニコニコだ。
パン屋の仕込みから一時帰宅のソランさんは、一緒に作れず不服そうだった。
後日、ティアニアさんが一緒に作ろうと、宥めていた。
100話目にして、ようやく初チュー。
ロマンチックかどうかは置いておく。