知る由もない事実
「おはよう母さん・・・」
「おはよう・・・どうしたの? 顔色良くないわよ?」
「・・・ちょっと寝不足かも。」
「駄目よ真面目。 寝不足は肌の天敵なんだから。 今度アイマスクとか保湿用のパックとか買ってきてあげるわ。」
別に本当に寝付けなかったからではないと言いたかったが、こうなった母を止めるのは憚られる、というより止める術がないのは真面目が一番分かっていた。
いつも通り朝食を食べ終えて家の鍵を閉めて、昨日と同じ時間に登校できるようにした。 真面目がそうしたのには理由がある。 それは昨日の時点で「放課後の約束はしたが、登校の約束はしてない」という点が真面目の中にあったからだ。 ともなれば昨日と同じ時間に登校すれば、同じ場所で会えるだろうという淡い期待から出た行動だったからだ。
そして歩いて数分。 どの辺りだったかと思いながら通学路を進んでいると、脇道から小柄な少年が真面目の前に現れる。
「おはよう一ノ瀬君。」
「お、おはよう。」
普通に挨拶をしてきた岬に対して、やや反応が遅れて挨拶をする真面目。 そしてその目線の先はズボンに向けられていた。
昨日の話の通りなら、下着を着けていないことになる。 つまり今の岬の下半身を守っているのは
「ズボン1枚だけ・・・」
「どうかした?」
下から覗き込まれたので、慌てて後ろに下がるが、なんというか、それだけでもかなり危なっかしいと思っていた。 これが2人とも元の性別だったら、真面目にとって、いや、全思春期男子にとっては生唾ものだったかも知れないが、いざ立場が逆転したところで、そんな感動よりも、厄介なことにならないかの心配が勝る真面目だった。
「浅倉さん。 昨日の約束、忘れてないよね?」
「うん。 少しだけ楽しみだったりしてる。」
「楽しみ?」
下着を買いに行くことに楽しみを持っているのかと思った真面目であったが、岬から出た言葉は存外違うものだった。
「だって、放課後に買い物をする、なんてこと。 したこと無かったから。」
極めて純粋な答えだった。 そして歩き始めた岬の背中を見て、想いとしては不純だったなと、真面目は自分に反省した。
「さて、全員揃ったな。 昨日も言ったと思うが、これから1年間はこのクラスメンバーで過ごすことになる。 そこで皆には自分の紹介をしてもらおうと思う。」
クラスはざわめきを見せるが、真面目と岬は普通の事だろうと思っていた。
「勿論これにはみんなに知ってもらう事が前提の話ではあるが、もう一つは見た目による判断を無くしてもらいたい、と言うものがある。」
その言葉にクラス全体が静まり返る。
「「男子だから」、「女子だから」。 そんな言葉だけで人を避けるだけでなく、今の皆は性別が逆転してる。 つまり男子らしい、女子らしい趣味でないのは明らかだ。 その事についても改めて知ってもらいたい。 自分の隣にいる生徒は自分と同じでないことを分かってもらいたい。」
クラスメイト全員がそれぞれの顔を見合っている。
「とはいえ本当に赤裸々に話す必要はない。 自分の名前と趣味、「実は」という話をしてもらおうかな。 自分の事でもいいし、家族の事でもいい。 とにかく知ってもらう事が大事なのだから。」
担任の言葉に、それ以上のざわつきは無くなった。
「それでは名簿番号順にいこう。 浅倉。 準備は出来たか?」
「少しだけ待ってください。 ・・・はい。 大丈夫です。」
そしてトップバッターの浅倉 岬は壇上に立つ。
「初めまして、浅倉 岬です。 趣味というか、特技は茶道です。 実は私の家は和室の部屋がたくさんある家です。 父も母も和風が好きなので、私も似たような趣味になりました。 以上です。」
そしてクラスは拍手に包まれる。
「次は一ノ瀬だな。」
「はい。」
続いて真面目の順になる。 岬のような自己紹介でいいのならと真面目も言葉を構築する。
「一ノ瀬 真面目です。 趣味は漫画ライトノベルを読むことです。 実は僕の母さんはパティシエで、その名残か果物を剪定してよくデザートにして出してくれています。 以上・・・かな?」
「ありがとう。 では次に・・・」
そうして自己紹介が続いていく。 そして「実は」な話を聞いていると、意外な結果が見えてくる。 料亭だったり音楽家などの家族の事を話すのは普通なのだが、背を伸ばすために乳酸飲料を飲んでいますとか、勉強のために色んなものを食べたり、中には女装に元々興味があったという女子もいた。 中身は男子ではあるが。
全員の自己紹介が終わる頃には大体1時間位が過ぎていた。 勿論まだ午前中なので、これで帰れるわけでない。 なので学校案内を担任を先頭に進んでいく。 その時に真面目は岬に近付き、耳元で話を始める。
「今は大丈夫? 変な感じしてない?」
「生活するには問題ない。 けど・・・」
「けど?」
「・・・内股になるせいで、擦れて痛い・・・」
悲痛な声に真面目は苦い顔をするしか無くなっていた。
学校案内も一通り終わって、明日のレクリエーションの話、今度は新入生合同で行うとの事で、詳しい内容は明日に発表するということで、今日は下校となり、学校を出た後に真面目は、岬を自分が服や下着を購入した店へとすぐに連れ出して、真面目は岬を試着室へと突っ込み、適当に試着用の男性用下着を持っていく。
「とりあえず種類別で持ってきたから、自分がしっくり来る下着を僕に出して。」
「結構形が違う・・・」
「感想は後でいいから!」
そう言って真面目は試着室のカーテンを閉める。 男物であるので最初に来た時よりは慣れているが、見た目は少年でも中身は女子高生。 見たり触られたりされるのは流石に嫌だろう。 いくら性別が逆転していても男女が同じ更衣室に入るというのは色々な意味でやり場に困る。
待つこと数分。 ようやくカーテンが開けられた。 そこにはスボンを脱いだ岬が立っていた。 ただし下にはちゃんとボクサーパンツが穿かれていた。
「そのボクサーがいいんだね?」
「うん。 何て言うかしっくり来た。 この肌にピッチリと当たる感じが。」
「それは良かった。」
「後ここに布の切れ目があるけど、これって出すための・・・」
「分かってるなら言わないで! 男性店員さーん! この子のウエストを測って欲しいんですけど!」
なにかを言う前に真面目は男性店員を呼び寄せて、岬のウエストを測ってもらい、それに見合ったボクサーパンツ(5枚入り×2)を購入した後にお店を出た。 因みに店を出る前に単品のボクサーパンツを先に買っておいて、それを岬に穿かせてから出た。
「ふぅ・・・これで周りから変な目で見られることも少しは無くなるかも。」
「一ノ瀬君が疲れてる。 あそこでアイスを買ってくる。 そこのベンチで待ってて。 私の奢り。」
確かにアイスクリーム屋さんがそこにあったので、岬はそれを買いに行く。 真面目は日が高くても木陰が出来ているベンチに座る。 本来なら気を遣わなくてもいい部分で気を回しすぎたせいで、疲れがドッと来ていた。 真面目は背もたれに完全に寄りかかっている。
「あー、桜が綺麗だなぁ・・・」
心のこもっていない感想を述べていると岬がアイスを両手に持って歩いてくる。
「はい。 好みの味が分からなかったから、無難なバニラにした。」
「ありがとう。」
「一ノ瀬君。 疲れてる?」
「誰のせいだと・・・」
そんなことを愚痴にしても仕方がないと真面目は思ったので、カップの中に入ったアイスをスプーンで掬って口に運ぶ。 口の中にひんやりとした感触が広がっていく。
岬も隣に座り自分が買ってきた抹茶アイスを口にする。 食べた後の岬の横顔は満足そうな顔をしていた。 少年の風貌なので美味しい物を食べて喜ぶ子供のようだ。
「まあ問題の一つは解決したし、こうやって時間が流れるのも悪くないかな? って、まだ1週間も経ってないのに何を言っているんだか。」
隣でアイスを食べている岬には声は届いていないだろう。 それでも真面目はゆっくりと、それでも着実にアイスを食べ続けた。
そして無くなったカップをゴミ箱に捨てて、再び歩き出す。
「ねぇ、あっちに行ってみてもいい?」
「あっちって?」
岬が指を指したのはアーケード街と呼ばれる場所だ。 真面目の家としてもこのアーケード街を抜けた先になる。
「もっと楽しもうよ。 下校の寄り道。」
淡々と喋る口調の中に、何処か楽しげな表情を見せる岬に、意外とお転婆娘だったんだなと真面目は目尻をほんの少しだけ下げるのだった。。