17.心変わり
今日はいよいよ旅に出ていたナジェたちが帰ってくる日だ。
あんなに感傷に浸っていた旅立ち前も今となっては懐かしい。ひと月なんて本当にあっという間だった。
それよりも、私はアーサー殿下からの求婚をどうやって断ればいいのかということに頭を悩ませている。
これをナジェが知ったらまたどうなってしまうのか、正直少し怖い気もするけれど……。
いや、とにかく大人なんだから、自分に起きたことは自分で責任を持って解決せねば。
ふう、なんだか気が重いよ。
そんな重い気持ちを抱えながら、門前で無事帰国した彼らを出迎えた。亀裂の封印も問題なく済んだようで、みんな変わらぬ様子が嬉しい限り。
私はナジェの顔を久しぶりに見れた嬉しさで、憂鬱も不安も全て吹き飛んでしまった。
「おかえり!」
馬車から降りて来たナジェに駆け寄る。
「リシャ……!」
ナジェは私に気づくと、ひどく懐かしそうな顔で優しく笑った。
すぐに、後ろからひょこっとミレイが顔を出す。
「リシャさん、ただいま戻りました〜」
いつもと変わらない可愛い笑顔で私に言う。
「おかえり、ミレイ」
私は、相変わらず元気そうなその様子に思わず笑顔で返した。
あ、あれ……?
そこで、私は少し気になってしまった。
なんで一緒の馬車に乗ってたんだろう……。
行きはちゃんとそれぞれの馬車があったはずなのに。
私はほんの少しだけ、暗い気持ちになってしまう。
その瞬間、ナジェは私を強く抱きしめた。
久しぶりに仰ぎ見る彼は美しく、いつもより大きく感じた。
彼の体温と深い愛を感じて、私は心の底から安堵する。
うん……何も変わってない。いつものナジェだ…………!
そう思いながらじっと見つめる私を、彼はさも愛おしそうに眺めている。
「あっ……!」
ミレイが小さく叫ぶと、ことんと音がして小さな箱が落ちてきた。ミレイは馬車を降りると同時にドアのそばに積んでいた荷物に手をぶつけてしまったようだった。
それを見たナジェが慌ててその小さな箱を隠した。ミレイも同じように慌てて彼を庇い、その様子を隠している。
?
その後は、何事もなかったように荷物をてきぱきと片付け、ナジェは私の手を引いて一緒にエメラルド塔へと入った。
さっきのあれは、なんだったんだろう?
気になったものの、私はなんとなく聞きそびれてしまった。
◇◇◇
ナジェとミレイが帰国してからというもの、なぜだか彼らは話し込む様子が増えたと感じてしまうのはきっと気のせいだと、私は自分の心に言い聞かせていた。
今日もそんなことを考えながら、ハーブを摘み終わり庭園から研究室へ戻る廊下をぼーっと歩いていると、慌てるハニカ様とすれ違った。
「あ、リシャ様。所長を見かけませんでしたか?」
「いえ、見てません」
「そうですか。今日のレッスンはもう終わってるはずなんですが……。う〜ん急ぎの書類が……! あ、ありがとうございました」
気もそぞろに私にお礼を言ってから、ハニカ様は足早に去って行った。
相変わらず忙しそうだ。
そんなやりとりをしたすぐ後、研究室の並びにあるレッスン室の前を通りがかると、少し開いた扉の中から声が聞こえてきた。
あれ、ちょうどよかった、ナジェがいるみたい。
ハニカ様が探していたこと伝えようかな。
そう思ってノックしようとすると、ミレイとナジェが嬉々として話している様子が隙間から見えてしまい、私は思わず足を止めた。
二人は何かの本を見ながら顔を寄せ合っている。
「そうか、この世界とそれほど変わらないんだな。ふむ、それでは青炎の星を加工業者にそのように発注するとしよう」
彼は納得したように呟いた。
「こっちはどうだ?」
ナジェは興味津々といった様子で立て続けにミレイに何かを聞いている。
「あ~それはですね~」
そう言いながら、ミレイはナジェの腕に手をかける。
それを見て、私は心がズキッとした。
ナジェはあんな風に他の女性に気安く触れられることは嫌がるはずなのに、ミレイのその態度を拒むことなく話し続けている。
今までなら、すぐにミレイのその行動を咎めていたはず。
そもそも、他の女性とこんなに優しくて穏やかな表情で話しているナジェなんて、今まで見たことがなかった。
なぜそんな心変わりをしてしまったのだろう。
やっぱり、パドラス国を巡る道中で二人の距離は縮んでしまったのかもしれない。
アーサー殿下の言う通り、男と女とはそんなものなのだろうか。
そう思うと、私はいたたまれなくなってその場から逃げ出した。
襲ってくる感情から目を背けたくて、いつの間にか走り出していたようだ。
下を向いていたので、対向から人が来ていたのも気づかずに誰かとぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい」
顔を上げて謝ると、そこにはアーサー殿下の驚いた顔があった。
私の顔をまじまじと見ている。
そんなに強くぶつかっちゃったのかな。
「おい…………」
そう言って、アーサー殿下は真剣な顔つきで腕を伸ばし、遠慮がちに私の頬に手を添えて、親指で私の目元を拭った。
そこで私は、ぽろぽろと涙をこぼしていたことに初めて気づく。
「あ、あれ…?」
自分でも何が起きているのかよく分からなくなって私が戸惑っていると、アーサー殿下は悲しそうな顔で私を傍に引き寄せ、頬に流れる止まらない涙を拭ってくれた。
「何してるんだ」
背後からナジェの不機嫌そうな声が響き、私は思わずビクッと震える。
こんな顔見られたくないし、今はナジェの顔を見るのが怖い。
先ほど見てしまったミレイに向けていた優しい表情を思い出し、私は体が硬直してしまう。
ナジェはつかつかと歩いて来て、私とアーサー殿下の間に割り込み私の顔を見た瞬間、顔色を変えた。
「何をした?!」
ナジェはそう言って、アーサー殿下に詰め寄る。
「お前が原因だろう! そちらの方から走ってきてこんな顔をしてたんだ」
アーサー殿下は苛立ちを隠せない様子でナジェに噛み付く。
ナジェはハッとした顔をする。
私が二人の様子を見てしまったことに気づいたようだった。
「リシャ……」
私は思わずその場から逃げ出した。
お願いだから誰も来ませんように、という祈りが届いたのか、後ろからは誰も追って来ず私は一人になれた。




