4.危うい空気
「はあ……」
私は庭園の噴水を眺めながら、深い溜め息をついて呼吸を整えた。
昨日起こった、突然のアーサー殿下との遭遇を思い出して気が重くなったので、気分転換がてら庭園までやってきたのだ。
妃になれだなんて……。
あれからナジェは機嫌が悪くて宥めるのが大変だったし、アーサー殿下は何を考えているのかよく分からない。
まあ、今回のことは二国間の交流にも関わる大きな問題だから、私がこうして考えていても、どうにかできるものではないのだけれど。
先日の謁見の際に『悪いようにはしない』と国王陛下が話してくれた約束を信じるしかない。
そんな風にずーっと考えていたら、ふと疑問が湧いてきた。
どうしてパドラス国はそんなに聖女にこだわるのかな。ただ単にこの世界で、聖女とはそういう存在だからなのか。
でも、だとしたら、余計にその相手は私ではないよね。だって私には聖女の力がないんだもん。陛下との約束があるから、きっとそんなことも勝手に言うのはいけないのだろうけど……。
とにかく私は、できるだけアーサー殿下と会わないように気をつけよう。
そうすれば、失言してみんなに迷惑をかけることもないはず。
改めてそう決意し、気を取り直して畑の前まで行ってしゃがみ込みハーブを摘み始める。
作らなくてはいけない要請道具がたくさんあるので、それらのことを考えていたらいつの間にか夢中になっていた。こういった細かい作業は割と好きで集中してしまう。
「何してるんだ?」
すぐ隣から声が聞こえてきたのでふと横を向くと、並んで同じようにしゃがみ込み、私の手元を見ているアーサー殿下がいた。
げっっっっ!!
会わないようにしようと思ったそばから本人登場!!
いつの間に来たの?!
隣国の王族を無視するわけにもいかないので、私は動揺を隠すようにハーブを摘みながらさらっと答えた。
「これで魔法道具を作るんです」
「ほう。そうしてると本当に魔道士の見習いみたいだな」
「みたい、じゃなくてそうなんです」
「でも聖女なんだろ」
「あ、まあ……」
「そんなことまでする必要あるのか?」
「必要性の問題ではなく、やりたくてやってるんです」
「へえ」
相変わらず偉そうだけど、意外と気さくに話せる人のようだ。
この分なら少し突っ込んだ質問をしてみても大丈夫かもしれない。
そう感じて、思い切って聞いてみる。
「あの……なんで聖女と結婚したいんですか?」
「なんとなく。面白そうだから」
……聞かなきゃよかった。
ちょっと後悔した瞬間、アーサー殿下は私の顔を見て少し笑った。
「いや、本当は父上から言われただけだ」
「お父さん?」
それって、パドラス国の国王陛下ってことよね。
「ああ、あれだけの成果を挙げた聖女なら妃にちょうどいい器だろうと」
「ちょうどいいって…!」
「だが、俺にそんな気はなかった」
あ、よかった。
うんうん、そうでしょうね。顔を見たこともない相手に求婚するなんてあり得ないもの。
「必要な支援だけを交渉して、結婚に関しては適当な言い訳でもして父上を納得させようと思っていたんだが……」
ん?だが?
アーサー殿下は私の顔をじっと見つめて言った。
「そなたと話して気が変わった」
微笑む彼の顔はゾクッとするほどの色気が浮かんでいて美しかった。
私は慌てて顔を背け、ハーブを摘み続ける。
ふう、顔が綺麗すぎて心臓に悪いわ。
「そなたは面白い女だな」
「そ、そうですかね」
平静を装って言ってみたけど、少し声が震えてしまったかも。
「今はそれも悪くないと思ってる」
アーサー殿下は熱っぽさを含んだような瞳で私を見つめながらそう言って、ハーブを摘んでいる私の手をサッと掴んだ。
ひゃああ!こんなのもっと心臓に悪い!!
“それ”も悪くないって、私と結婚することがってこと?!
私は焦って掴まれた手を離そうと後ずさりをするが、しゃがんだままの体勢だからかうまく避けられず、トンと尻餅をついた。
「ち、ちょっと!」
焦る私の顔を覗き込んで来る彼の力は思ったよりも強く、手を離してくれそうにない。
「わ、私に触れていいのはナジェだけです!」
アーサー殿下は、その美しい顔に不敵な笑みを浮かべているだけで何も言わない。
か、顔が近いよ。
うう、この危うい空気をどうしたものか。
私が悩んでいると、頭上からナジェの低い声が響いてきた。
「その通りだ」
すかさず私の手を取って、立ち上がらせるように引っ張りそこから救出してくれた。
ナジェは私を胸の中に庇うように引き寄せる。危うい緊張感から抜け出しホッとした。
私も彼らも無言になり、噴水の清らかな水の音だけが辺りを包む。
そこへ、小柄で童顔の青年が現れアーサー殿下に向かって喚き立てた。
「あっ! いた! 勝手に歩き回らないでください殿下!」
アーサー殿下は立ち上がり、無表情で言う。
「これも交流の一環だ」
「これまでそんなことした試しがないじゃないですか! 王族の皆様がお待ちです。さあ行きますよ! あ、それでは失礼いたします」
青年は私たちに形式的な挨拶をして、アーサー殿下を引っ張って行ってしまった。
良かった……のかな?
ナジェは無言のままアーサー殿下が去るのを見つめていた。
こ、怖いよ…………。
レニが前に言っていた『所長は怒らせると怖いからね』という意味が、今ならなんとなく分かるような気がする。
私が何も言えずにナジェを見つめていると、その視線に気づき彼はハッとした表情をして、顔を隠すように私を抱き寄せた。
私は少し反省する。
嫌だよね、この状況下でアーサー殿下とあんな風に話している場面を見てしまうなんて。
いくら相手が近づいてきたらからといって、これが逆の立場だったらと考えると私だって嫌だもの……。
不安な気持ちを埋めるように私を抱き締める彼を、切ない思いで見つめながらしばらくの間そのまま寄り添っていた。




