35.亀裂
王宮で文官たちの噂話を聞いてからというもの、ナジェと顔を合わせるのが辛くて、できるだけ避けて過ごすようになっていた。
紫の扉で穢れを浄化することについて、頭では分かっているものの、私は覚悟を決めきれずにいたのだ。
うーん。こんな風に悶々と考えていると変になってしまいそうだ。そう思った私は、ラガの街に出現していると思われる穢れの亀裂を確認しに行くことにした。
まずは現場の確認をしなくては!
そうは思ったものの、前回遭遇した大男の一件もあり、街に一人で出るのは少し抵抗があった。いくら保護魔法のかかったリボンをしているとはいえ、何かあったら不安だ。
レニは最近、忙しそうにしているので頼めそうにない。ナジェとは距離を置きたいし、先日、あんな話をしたばかりのハニカ様にお願いするのも気が引ける。
ということで、私は研究所の魔道士の一人に同行をお願いして出向くことにした。
私のお休みの日に合わせて彼にも休日をとってもらい、エメラルド塔の門前で待ち合わせた。スピンに久しぶりに会えると思うと嬉しくて、足取りが少し軽やかになる。
門前に着くと、ちょうど手配の馬車も到着したところだった。待機してくれていた同行の魔道士さんがエスコートしてくれて私は馬車に乗り込んだ。彼は御者に行き先を告げている。
少し狭いその馬車に乗った途端、前回こうしてナジェとラガの街へ行ったことを思い出して、切ない気持ちになった。
いや、今はそんなことより自分のやるべきことに集中しよう。思い直し、同行の魔道士さんが馬車に乗り込んでくるのを、目を閉じ呼吸を整えながら待った。
その瞬間、ドサっと隣に座った人物を見て、私は危うく悲鳴を上げる所だった。
そこには不機嫌な顔で腕を組んでいるナジェが座っていたのだ。
「な、なんで…………?!」
「それはこっちのセリフだ」
「う……」
「どうして、一人で行こうとしてる」
「ひ、一人じゃないよ、ちゃんと魔道士さんに同行をお願いしてるから」
「何で違う男と行くんだ」
「おとこ……! その言い方はちょっと語弊が……!」
「この前は俺に連れて行って欲しいと言ってただろ」
「い、いや忙しそうだからちょっと先に行ってこようかと」
ナジェはその美しい顔に、思い切り不愉快さを露わにしている。
馬車は静かに走り出しカラカラという音だけが響く。
ど、どうしよう、この雰囲気を変えなくちゃ。
焦った私はゲルマーさんの研究についてこれまで分かったことを、元の世界へ戻る方法については省いて早口でナジェに説明した。
昔、聖女様が収めた流行り病についてと今日はその原因の穢れの亀裂を確認しに行くこと、そして紫の扉についてを。
説明が進むにつれて、ナジェは真剣な顔つきになった。さすがに王国随一の魔道士なだけあって、全てを把握し今後どうしたら良いのかもすぐに理解したようだった。
ラガの街に着くと、同行をお願いした魔道士さんが馬車の扉を開けてくれた。どうやら御者の隣に座ってここまで来たようだった。彼は私の顔を見てナジェを交互に見ながら「分かっているから、大丈夫」という風にふふっと笑って目配せをした。
何か勘違いされているような……。
ナジェは素早く魔道士さんに説明をして、手分けして亀裂を探すことになった。
私はその前にちょっとだけスピンの家に寄ることにした。
家の扉をノックすると、スピンがひょこっと顔を出す。
「あ! おねえちゃん!」
「久しぶり。元気にしてた?」
「おねえちゃん全然こないんだもん!」
「ごめん、ごめん。ちょっと忙しくなっちゃって……。でもナジェが治癒魔法しにきてくれてたでしょ?」
「あのおにいちゃんのこと?」
「うん」
「そうだけど! おねえちゃんがきてほしかったの!」
「そっか、ごめんね」
ムキになって言うスピンが可愛くてたまらず頭を撫でる。
「なんだお前、俺じゃイヤだったのか?」
いつの間にか傍に来ていたナジェがそう言いながら、スピンの額をツンとつつく。
「あ、ちがうよ! そうじゃなくて!」
真っ赤になりながら焦るスピンが可愛くて顔がさらに綻んでしまう。
「悪いがリシャはお前にはやれないぞ」
冗談めかした調子でそう言って、後ろから腕を回し私を引き寄せた。
スピンはほっぺたを膨らませて抗議している。その可愛い様子に微笑ましい気持ちになったが、すぐに重い気持ちに引き戻される。
こんな風にナジェに揶揄われること、以前の私なら顔を真っ赤にしながらも、内心喜んでいただろう。
だけど今は……。一緒にいることができないと知った今は、ただ辛いだけだ。
私の様子にナジェが気づいたのか少し真剣な声を出す。
「リシャ……?」
そこへ魔道士さんが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「所長! 亀裂が見つかりました!」
慌ててみんなでついていくと、そこには確かに黒い気体が渦巻いている空間が出来ていた。見るからに禍々しいことこの上ない。
これが全ての原因なんだ……。
「これを紫の扉で浄化すれば皆が救われるんだな」
真剣な表情でぽつりと言ったナジェを複雑な思いで見つめた。
紫の扉を使えば、私は帰る術を失う。
でも、ナジェの言葉に希望を見つけ、顔を輝かせているスピンを見ていたらやるしかないと思った。
この子たちの未来を守らなければ。




