34.王宮の噂話
翌日、仕事を終えた私は再び意気揚々と王宮の図書館へやってきた。
やっと読める……!
私は紫の扉について書かれたその3巻を手に取って読書スペースの席に着き、ドキドキしながら本を開いた。
すると、すぐ隣にある棚の向こう側で、ヒソヒソと話している人たちの声が耳に入ってきた。
「参ったよ。此処の所、ヴェルナー侯爵が無理難題ばかり言うから」
「娘の機嫌が悪いらしいな」
「ああ、魔法研究所の所長に相手にされなくて自棄になってるとか」
ナジェのことだ……!私は思わず聞き耳を立てる。
「ヴェルナー侯爵令嬢のご機嫌はきちんと取らなきゃなあ」
「そうだよなあ、結局あの所長だっていくらウォード家の後ろ盾があると言っても元は平民なんだから、ヴェルナー侯爵令嬢と結婚してやっと地位が確立するってもんだろ」
「あ、でも少し前に異国から聖女がやってきたって話じゃなかったっけ? それなら聖女との結婚が1番エメラルド塔も安泰なんじゃないか?」
突然、私の話が出てドキッとする。
「いや、それが全然魔力も無いらしくて、聖女とはいえないみたいだぞ?」
その言葉を聞いて、心臓を掴まれたような気がした。聖女とはいえない……。その通りだ。
「じゃあもうヴェルナー侯爵令嬢しかないな」
「でも所長本人は嫌がってるらしい」
「えーあんな美女ならいいのにな」
噂話は私にさらに追い討ちをかける。
「それならあとはノイラート侯爵令嬢くらいしかいないよな。研究所の優秀な所員だって評判だし」
ノイラート侯爵令嬢って……レニのこと……?!
私は目の前が真っ暗になった。
なんというか、こう、奈落の底に突き落とされたような気持ちだ。
その後も彼らは仕事の愚痴や人の噂話をしていたけれど、それ以上は何も耳に入らなかった。
私が呆然としていると、噂話をしていたらしき人物たちが出て行くのが見えた。あの制服は王宮で勤めている文官だ。それだけの地位がある人たちの話ならあながち間違いではないのだろう。
あの夜会の日以来、ナジェは優しくしてくれるし、ティナ様とは正式な婚約じゃないって聞いて浮かれてしまっていた。その後のナジェの言動にも、何かを期待してしまっている自分がいたけれど……。
私は何を舞い上がっていたのだろう。
彼らの言う通りだ。こういった世界ではナジェのような地位を持った人は結婚できる相手だって限られる。
前回召喚された聖女様は、その当時の王太子殿下と恋に落ちて結ばれたと知ったけれど、その聖女様は物凄い魔力の持ち主で大活躍をなさり、この国に貢献した。だからこそ、その献身と魅力に王太子殿下も惹かれたのだろう。
私は聖女ですらない……できることも、何もない……。
私は頭を振って湧いてくる雑念を振り払った。
いたたまれない気持ちを振り切るように本の続きに目を落とす。
『聖女様が元の世界に戻るための方法とは、移動魔法の魔法陣に行きたい場所の国名、年代、詳細の住所を記したものを扉に描き、魔道士たちの魔力を満たすことで可能となる。ただ、紫の扉は一度使うと100年の間、使えない。そのために扉を使った浄化は取りやめになったのだ』
紫の扉を使えば、元の世界に戻れる……!!
『しかし、王太子殿下と愛し合う聖女様にはその必要もなかった。お二人が結ばれたのは金色とブルーに輝く星が重なり合う日だった。それ以来、二つの星が重なり合う日は、“愛が生まれる奇跡の日”だと言い伝えられている。お二人は見ていて微笑ましい程に仲睦まじく、私も若い頃を思い出す』
ゲルマーさんがこうして文書に残すほどお二人は愛し合っていたのね。ロマンチックだ、とはしゃいでいたレニの可愛い笑顔を思い出し思わず顔が綻ぶ。
それにしても……
私はハッと思い直し、居住まいを正して思考を整理した。
ゲルマーさんの研究によれば、紫の扉を使うことで、私は元の世界に戻れるということだ。
でも、私がそれを使ったらラガの街の穢れの亀裂を浄化することは100年の間できない……!
……だけど、このままこの世界にいたら、私はナジェが誰かと恋仲になり結婚していく姿を見なくてはいけないということだ。
それはものすごく苦しい選択となるだろう。失恋の傷を抱えたまま、目の前でナジェが誰かと愛し合い家庭を作って暮らしていく姿を見なくてはいけないなんて……!
でも恋に破れて悲しいから帰りたい、という理由で私が扉を使ってしまうと、スピンとスピンのお父さんも、ラガの街に住む人々みんなの苦しみが続いてしまう……。
このまま放っておけば、ラガの街だけでなく王都の街全体に病が広がってしまうこともありえる。
そんなのダメだ……!失恋の痛みなんかより、みんなの健康と命を守ることの方が大切に決まってる!!
明らかに分かりきったことなのに、私はすぐに覚悟を決めることができなかった。




