31.聖女様と王太子殿下の恋
エメラルド塔の旧書庫で見つけたゲルマーさんの本はとても古く、ボロボロになっていて一番重要な部分がほとんど読めなかった。
あー、振り出しに戻っちゃったなあ。
そうやって意気消沈していた私に、ある日レニが耳寄りな情報を手に入れたから話したいと言うので、天気が良かったその日は庭園でランチを食べながらにしようと決めた。
二人で噴水前のベンチに座り、レニは料理長特製サンドイッチにかぶりつきながら嬉々として話し始める。
「王宮で働くお兄様にそれとなく相談してみたの」
そうだ、以前夜会に行く馬車で話したときに確かレニのお兄さんは王宮の魔法省で働いていると言っていた。魔法に関する法律やエメラルド塔に関する管理などを行う部門だ。
「そうしたら、ゲルマー氏のこれまでの研究についての複写本が、王宮の図書館なら置いてあるかもしれないって教えてくれたの」
「えっ! 本当?!」
「うん、それから前回召喚された聖女様について面白い話も聞いちゃった」
「どんな?」
「あのね、召喚されてから国のために色々な活動をしていくうちに、その当時の王太子殿下と恋に落ちて結婚なさったんだって! すごくロマンチックだと思わない?」
そう言ってレニは目をキラキラと輝かせている。年頃の女の子だもんね。そういえば聞いたことなかったけど、レニは好きな人とかいないのかな?
そんなことを思っていると、レニは改まった様子で私に言った。
「……ところでリシャも帰る必要あるのかな? 戻りたくないんじゃない? 誰かと一緒にいたいと思ってるとか」
レニが興味津々といった様子で私の顔を見つめてくる。
ナジェに対する自分の気持ちに気づいたこと、レニには言ってないけど……。
や、やっぱりバレてるのかな。
少し焦りながらも、ふと冷静に考えた。
確かに私って本当に元の世界に戻りたいのかな?
魔法研究所の仕事も研究も楽しくて、レニみたいな素敵な友達もできて…………大切に思う人も居て。
最初は、呼ばれてもいないのになぜか辿り着いちゃったから、とにかく早く帰らなきゃって思ってたわけだけど。
元々、家族という存在が縁遠かった私には故郷というものがない。
深いお付き合いのある友人も特にいないし、実はいつの間にか元の世界を恋しいとも思っていなかった気がする。
スピンやレニやハニカ様たちのように、私を大切に思ってくれたり仲良くしてくれる人と出会って、今や元に戻る理由ってあんまり無いんじゃ……。
それに…………ナジェともう会えなくなると思うと凄く切ない。
しかし、彼には揶揄われることはあっても、それは私の一方的な想いだ。
それを考えると少し冷静になった。
「ん……。で、でもここにいる理由もないっていうか、なんていうか。聖女として何かをできるわけでもないし……」
「ふーん。今さら理由ね」
レニはぷくーっと膨れた顔をしていたけど、ハッと後ろを見てから急に立ち上がった。
「あ! 私、忘れ物してきちゃった。リシャはゆっくりね!」
片目を瞑ってにこやかに去って行った。
どうしたんだろうと思い、レニの見ていた方へ振り向くと、そこには腕を組んで木に寄りかかっているナジェがいた。
!!!
私は思わず驚いて立ち上がる。
ま、魔道士って気配を自由自在に操れるのかな。いつも突然現れてびっくりする……。
はっ!もしかして私たちの会話聞こえたんじゃ……?!
「いつからいたの?!」
「……聖女の話あたりから」
ほとんど全部聞いてたってことね。とほほ。
黙って、私を見ていたナジェがぼそっと口を開く。
「ここにいる理由なら、あるだろ」
「……!」
私が何も言えないでいると、ナジェは私の目の前までやってきて私の頬に優しく手を添えて私の顔を覗き込んだ。
甘やかで美しい彼の顔がすぐ近くに迫って、私の頬はカッと熱くなる。
「……っ」
こちらを真っ直ぐに見つめる彼の瞳を、私は何故か直視できなかった。
言葉が出ずに目のやり場に困って俯くと、後でついでに書庫に返そうと持ってきていた本が目に入る。
「あ! これから借りてた本を返しに行くんだった! じゃあ行くね!」
「……」
慌ててナジェの手を振り切り、逃げるように走ってきてしまったけれど、ナジェはそれ以上追っては来なかった。
ふう、びっくりした。
気まずいような、後ろめたいような気持ちを振り切るように早足で歩いていくと、廊下の角を曲がったと同時に向こうから来ている人とぶつかってしまった。
「わ! ごめんなさい」
ぶつかった衝撃で私は本を落としてしまう。
その人物はサッと私の落とした本を拾って差し出してくれる。
顔を上げてみると、それはにこやかに笑うハニカ様だった。
「ありがとうございます」
私はお礼を言って受け取る。
「扉についての本ですか?」
「ええ、なかなか思うような情報がなくて……ハニカ様は何かいい情報ありませんか?」
何気なくそう聞くとハニカ様のその顔から一瞬笑顔が消えた。
「い、いえ、まだ特には……。何かわかったらお伝えしますね」
彼は慌てた様子で笑顔を取り繕い、硬い表情でそう言った。
どうしたんだろう、なんだかいつものハニカ様と違う。
一瞬気になったものの、もういつもの優雅なハニカ様に戻っている。
私の気のせいだったのかも。
「はい! お願いします」
思い直してから願いを込めてハニカ様にそう言って別れ、私は書庫に本を返した。明日は王宮の図書館へ行こうと心に決めて。




