28.惚れ薬の効果
次の瞬間、ナジェはこちらにずんずん近づいてきて、私に覆いかぶさるようによろけた。
?!
「頭が割れそうだ」
私の耳元で、囁くように言う。
えっ?!
何が起きているか分からず私は固まってしまう。
するとハニカ様がさっと立ち上がり、皆の注目を集め声を張り上げた。
「所長の様子がおかしい! 所長をエメラルド塔の客間へ連れて行って休ませてくれ。残りの者はこの場の整理を」
厳しい表情で魔道士たちに素早く指示を出してからティナ様たちに向き直る。
「緊急事態の為、ここで失礼いたします。ご令嬢方にはすぐに馬車の手配をいたしますのでどうぞこちらへ」
そう言って何人かの魔道士たちと一緒に、こちらへ来ようとする青ざめた顔のティナ様と令嬢たちを押さえつけている。
魔道士のみんなが慌ててナジェを気遣い、私たちを誘導してエメラルド塔の客間のひとつに案内してくれた。
項垂れたナジェをベッドへ横になるように促すと、彼はローブを外してベッドに仰向けになった。
そして、窮屈そうにシャツのボタンをいくつか外して息をつく。
私は思わず力が抜けてベッドの端にへたり込むように座った。
大丈夫かな……。
こんな様子からして、熱でもあったら大変だわ。
確認しようと手を伸ばしてナジェの額に触れると、彼はビクッと体を一瞬動かしてこちらを見た。
「リシャ……」
そう呟いて私を見つめるその瞳は、まるで熱を帯びたように甘やかで、私は吸い込まれるように身動きひとつできなくなった。
うっ…そんな瞳で見られたらなんか緊張しちゃう。
いやいや、彼が魅惑的に見えてしまうのはきっと気のせいだ。
そう自分に言い聞かせて私は雑念を振り払った。
「大丈夫? その……ほ、惚れ薬ってそんなに辛いものなの?」
こんなこと聞くのはちょっと恥ずかしいけど……。
熱はないみたいだけど苦しそうに見えるから心配だ。
惚れ薬なんて飲んだことないから分からないけど、何か副作用があったりするのではないかと不安になった。
私はどうしたらいいのかわからなくて思わず辺りを見回してみると、いつの間にかレニも他の魔道士たちもいなくなっている。
その瞬間、ナジェは額に当てていた私の手を取り、体を半分起こしてこちらに近づきながら言った。
「リシャはなんて美しいんだ」
それから、私の髪を一房掬い取り、そこへ唇を当てた。そう、まるであの夜会の日のようだ。
「う、美しくなんかないよ」
じっと私を見つめる熱っぽいナジェの方が美しいという言葉が似合う気がする。
そんなことを考える私にさらに近づき、私の頰に手を添えて続ける。
「お前の全てが美しい。心も外見も。困ってる人を放っておけないところも、ムキになってるところも全て、愛おしいんだ」
ええ?!変!変だよナジェが!!
近いし、妙に色っぽいし!
惚れ薬ってこんなに効き目のあるものなの?!
ナジェがこんなこと言い出すなんて。
……そっか、あの紅茶を飲んだ後すぐに私の方を見てしまったものね。
隣にいたティナ様を見てなくて本当によかったと心の底から思った。
しかし、どうしよう。
うーん。魔法でなんとか治せないものかしら。
レニとハニカ様ならなんとかできるのではないかと思い、ナジェに声を掛ける。
「ちょっと待ってて、レニとハニカ様を呼んでくるから」
慌てて立ち上がろうとした私にナジェはさらに体を寄せて、引き止めるように私の背に片手を回し距離を詰める。
逞しいその胸の中に引き寄せた私の顔をじっと見つめながら囁く。
「一人にするな。傍にいてくれ」
こんな抱きしめられるような格好で、私の頰に優しく手を当てたまま近距離で囁くものだから、途端に顔が赤く染まっていくのが自分でもわかる。
顔を上げればナジェの美しい顔があるし、顔を下げてもはだけたシャツの間からあらわになった彼の逞しい胸元があって、どうしたらいいのか分からない。
心臓の音が彼にまで聞こえてしまうんじゃないかという程、鼓動は激しい。
ううん違う。
ナジェはただ惚れ薬を飲んでしまっただけで、今言ってることもやってることも全て本心なんかじゃないのよ。
だからドキドキする必要なんてないのに!
しかし、どうしたらいいの……?!
赤面してパニックになっていたその瞬間、ナジェはパッと私から手を解いて離れ、うつ伏せるように枕に顔を埋めた。
心なしか、ナジェの背中が小刻みに揺れている気がする。
え、大丈夫かな。今度はどうしたんだろう。
少しすると落ち着いたのか、ナジェは仰向けになり片手で両目を覆うようにして息をついた。
「俺は大丈夫だ。あと少しここで休んでいくから心配するな」
冷静な声で私を部屋に戻るよう促したので、私もこれ以上心臓が持ちそうになかったため大人しく従うことにした。
薬の効き目が切れたのかな。
まあ、大丈夫そうならよかったけど。
ああ、びっくりした……。
放心状態で自分の部屋に戻り、入ろうとした瞬間レニに声を掛けられた。
「あ、リシャ。お疲れ様」
「うん。そうだね」
私は思わず気が抜けて、気のない返事になってしまう。
「ほんとにね、あんなもの使っても意味ないのに」
レニはやれやれといった表情でそう言った。
「え?」
「え? って、効いてなかったでしょ?」
「ええ?!」
そう叫んだ私の顔を見て、レニは一瞬驚いた顔をしてからスッと顔を引き締めて言った。
「あのさ、所長は尋常じゃない魔力の持ち主で、どんな魔法でも扱えて、小さい頃から相当に鍛錬してきた王国随一の魔道士だよ。媚薬なんて効くわけないじゃない」
え……嘘でしょ?
じゃあさっきのあの態度は一体……。
頭をフル回転して考えを巡らせて、私は一つの可能性に辿り着き、すーっと血の気が引いた。
ねえ、もしかしてわざとやった……?!
私のこと揶揄ったの?!
私はどんどん顔が赤くなって、それはもう茹で蛸状態だった。
そんな、あれが演技だったなんて……!
私どんな顔しちゃってたんだろう、ああ!恥ずかしいよ……!もう!いじわる!
でも、突然うつ伏せて体を震わせて……。
あっ!!一人にするなって言った後、急に枕に顔を埋めてたの、あれってもしかして私の慌てる様子を見て笑ってたんだ!
ひどい!!
私はこみ上げる恥ずかしさと、照れ臭さと、その他色々な感情が入り混じり、顔が赤くなったり青くなったりしていた。
レニは、そんな私の様子を見てハッとした表情を浮かべてから、いつもの呟きモードに入った。
「あ! もしかして……! なるほど……ふふ。やだ、所長って好きな人にちょっといじわるしちゃうタイプね、なるほどねえ」
今はそんなレニの呟きも何もかも考える余裕はなかった。
私はぷんぷん怒りながらも、本当はちょっと(かなり)嬉しかったのもまた事実だ。




