20.決別の声(ナジェ視点)
『スミレは貧民が好む花』
その花を楽しそうに眺めている女を見ていたら昔のことを思い出した。
ラガの街にいた子供の頃、ならず者に襲われそうになっていた貴族らしき同年代の子供を助けた。
それがまさか王族だとも知らずに。
それ位の魔法など物心ついたときからできたことだから、誰でも使えるものだと思っていたがそうではなかったらしい。
それからは王宮の魔道士として、必死で多くを学び成長していった。
ラガの街で親の顔も知らずに育った俺には、貴族と肩を並べるということは並大抵のことではなかった。
貴族たちは皆、ラガの街にいる者たちに触れるのを極度に嫌がった。
みすぼらしい格好を蔑み、病気が感染ると揶揄した。
ラガの街で育った俺がここでそのような扱いを受けるのも当然だろう。
そのうち年頃になり、人並みに恋をした。貴族のその令嬢は、誰にでも分け隔てなく接して周囲の誰からも愛されていた女。
スミレの花束を作ってプレゼントをすると、いつもの優しい顔が少し歪んだ。
『ナイジェル様、それは貧民が好む花ですのよ』
恥ずかしさ、悔しさ、衝撃、様々な感情が自分を襲ってきた。
『私は運命の人を待っているのです。お気持ちだけ受け取りますわ』
俺はまだまだ子供だった。
それが俺の初恋の苦い思い出。だけど、あいつは随分といい思い出を持っているようだった。同じ初恋の思い出なのに、その内容は180度違って見える。
運命という言葉など信じない。俺は全てを努力で手に入れてきた。どんなに蔑まれようとも努力は決して自分を裏切らなかった。
そうして地位や名誉を得ると、俺を蔑んでいた貴族の女たちは掌を返すように俺に近づき、顔色を窺い、色目を使ってきた。女なんて勝手なことばかり言い面倒なことばかり求めてくる。もううんざりだ。
だけど、あいつと……リシャと過ごす時間は安らぎだった。
なんて変な女なのだろう。
最初に会った時も、スピンを助けた時も、スピンの父親にも、まるで慈愛を注ぐ様にあいつの手はラガの街に住む彼らを優しく包んでいたのだ。
他愛のない言い合いをしてみたり、そうかと思えば魔法道具の研究に熱心で面白い意見を言って俺を驚かせる。
初めて一緒に出かけたときはくるくると変わる表情に心奪われた。思ったことはすぐに顔に出て、リシャには人を試そうとか裏をかくとか、そういった打算や下心が感じられない。
あのときは、ムキになってぐいっと顔を近づけるお転婆な姿にドキッとして、思わず赤面してるのを悟られないようにするのに必死だった。
いつからか、俺はあの庭園でリシャを待つようになっていた。
もしかしたら出会った瞬間からそう思っていたのかもしれない、と考えられずにいられないのは『運命』という何かに動かされているのだろうか。
白の扉から身を翻して屋敷へと歩きながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
どうやら頭の中がパニックを起こしているようだ。
さらに、先ほどテラスでわざとらしく酔ったふりをしてしなだれかかってきたヴェルナー令嬢との会話が思い出される。
『私のことをぞんざいに扱えば、研究所だってどうなるかはわかりませんわよ』
『なんだと……?』
『お父様には隣国から新しく魔法師をお迎えする計画がありますの。そちらの方々を王宮に専属とした体制を整えたら、あなたの大切な仲間たちの行き場が無くなりますわね。そうなればもちろん異国から来たあの聖女候補は異国民、平民としてラガの街へ追放ですわ』
『……何が望みだ?』
『そうですわね、少し寒いのでしばらく温めてくださるかしら』
心の奥底から湧き上がる怒りの感情を、歯を食いしばって耐えながらヴェルナー令嬢の背に手を回した。
この怒りの原因は全て自分のせいだということはわかっていた。
リシャに惹かれていることに気付きながらもそれを認めない自分にも、権力を駆使してくる女と向き合うことが面倒で放置していることも。
全て自分のせいで腹立たしい。
ユリウスがリシャを抱き締めているのを見たとき、もうこれ以上自分を誤魔化せないとはっきりわかった。
逃げても何の解決にもならない。
…………しかし、なぜリシャはあそこに居たのだ?
そもそも白の扉が開いているなんておかしい。夜会に参加していただけのリシャが偶然迷い込むには無理がある。
会場内の異変に気付いたとき、2階のテラスから見えた光景が蘇る。
慌てて白の扉へ向かって走り出すレニと、床にへたり込んだ3人の令嬢の姿。
まさかとは思うが、確認せずにはいられず急いでヴェルナー令嬢の元へ戻った。
「リシャに何をした?!」
「なんのことですの?」
ヴェルナー令嬢はびくっと体を震わせ答える。
やはりか。
「だって……! あの女は私たちの邪魔をしますわ!」
俺の腕を掴んでくるその手を振りほどいた。
「俺たちは婚約者同士などではないはずだ」
ヴェルナー令嬢は顔をヒクッと引き攣らせた。
「もういい加減にしろ。リシャに手を出したら只では置かない」
そうしてヴェルナー令嬢の青ざめる顔に、はっきりと決別の声を上げて立ち去った。




