侵入(後編)
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「ここがジュリエットの部屋……?」
ポケットの中から指示するジュリエットに従って進み、たどり着いた部屋にライは唖然とした。
黄ばんだ壁紙に、日に焼けたカーテン、すすけて黒ずんだ絨毯、古い家具に寝具。伯爵令嬢、ましてや次期当主のジュリエットが使うような部屋ではない。
「ここはずっと空き部屋でしたの。わたくしが使うなんて予想してませんでしたわ。分かっていたら前もって改装していましたのに」
予想よりも驚きを見せるライを気遣い、ジュリエットはユーモラスに答えたつもりであった。だが、ライはますます顔を顰めるのだった。
「あいつ……あの従妹の仕業だな?」
(また、わたくしの為に怒ってくれているの……?)
ジュリエットを悪とする口さがない者達にライだけは怒りを露わにし、誰も何の関心を示さなかったこの状況に憤りを感じてくれている。ジュリエットは密かに甘酸っぱい喜びを感じていた。
「不思議だけれどセシリアが望むと、皆がそれを叶えようとするの。わたくしは黙って受け入れるしかなかったわ」
ジュリエットのものであれば、セシリアは特に固執して欲しがった。拒むとセシリアに傾倒する人間によって糾弾される。
抵抗するだけ無駄なのよ――諦めたように話すジュリエットに反論しようとして、ライは口を噤いだ。
学院で見かけたセシリアの傍には、いつも恍惚とした表情を浮かべる貴族の学生や講師などが付き従っていた。彼等は一様に胡乱な目付きをしており、そんな彼等に囲まれて女は笑っていた。
頭に残る不快感を振り払うようにライは頭を振った。
「ライ?どうかなさった?」
「あ……いや、何でもない。さっさと目的を果たそう」
「そうね、長居は無用ですわね。早速だけど、わたくしを降ろして下さる?」
「何すんだ?」
急なジュリエットの要望にライは頷くと、そっとジュリエットを床に下ろす。
「こうするのよ!」
古びたベッドに近付いたジュリエットは、意気揚々と両手を広げて魔法を紡いだ。その途端、魔法の風がシュルシュルとベッドにまとわりついて宙に浮き始める。
実は、体が小さくなってもジュリエットの魔法の威力と力は、減る様子はなかった。小さな体で出来ない事だらけだが、魔法で補いながらライの手を煩わせることなく、今のところ生活出来ている。もっぱらジュリエットが魔法を使う前に、ライが先回りをして色々と世話を焼いてしまうので、殆ど使う機会がないのが現状だが――
「ライお願いしますわ!」
「りょーかい」
宙に浮くベッドは、ジュリエットの巧みなコントロールによって水平に保たれていた。
ライは素早くベッドの下に入って、直前にジュリエットから聞いていた底板の部分に注目をする。底板の僅かな切れ目を確認すると、折り畳みの小型ナイフの刃を入れた。すると、部分的に底板の一部が外れ、中から宝石箱が落ちてくる。
箱をキャッチしたライが出てくるのを確認すると、ジュリエットはベッドに集める風量を均等に操作しながらゆっくりとベッドを着地させた。
ハイクラスなジュリエットの魔法の腕前に、ライは思わず口笛をふく。
「抜群のコントロールだな。貴族のご令嬢でなければ、冒険者にスカウトすんだけどな」
「うふふ、Sランク冒険者様にお褒めいただき光栄ですわ」
褒められて嬉しくなったジュリエットは、片手でスカートをつまみ胸に手を当てて仰々しく礼をする。
ライはフッと口元を緩ませると、ジュリエットのノリに応えるように、跪いてジュリエットの前に宝石箱を掲げた。
「お客様、こちらでよろしいでしょうか」
ライが掲げて見せた螺鈿細工で出来た宝石箱は、紫や青や緑と光の加減によって色が変わる装飾が美しい品で、生前の父親からプレゼントされた物だ。
ジュリエットは、懐かしむように目を細めて宝石箱にそっと触れる。
「えぇ……ライ、ありがとう」
「あぁ」
その時、急に窓の外が騒がしくなり、ジュリエットとライは目を合わせた。ジュリエットはライの手に乗り、2人は騒ぎの聞こえる窓際の方へと移動する。ひょいっと窓辺に降り立ったジュリエットは、窓ガラスに手をついて下を見た。
「もう帰ってきたのか?あれは……ストーン侯爵家の家門だな」
2人の眼下には、伯爵邸の車寄せに豪奢な造りの馬車とその馬車を引く立派な馬がピシっと停まっているのが見える。ライが見た馬車に施されている紋章は、王国でも指折りの財力と権力を兼ね備えたストーン侯爵家の紋章だ。
叔父の雇った執事が慌てて屋敷から出てくると、慣れない様子で馬車の扉を乱雑に開ける。開いた扉から最初に顔を出した人物に、ジュリエットは思わず虚を突かれた声を出した。
「どうして彼がここに!?」
ジュリエットを壇上から断罪した学院の生徒会長――ウイリアムが、執事をひと睨みしながら馬車から降りてきたのだ。ウイリアムは、金髪碧眼の甘い容姿が目立つ侯爵家の嫡男だ。その後を叔父夫妻が降り、そしてセシリアが現われた。
「セシリア……」
あの日、大勢の生徒達に襲われているジュリエットを見て、ほくそ笑んだセシリアが脳裏に浮かぶ。
それと同時に、森の中でジュリエットに呪いをかけたフードの人物が連鎖的に甦った。背中を焼かれるような苦しみに悲鳴を上げながらも、ジュリエットはフードの中で口角を上げる犯人を見た。
嫌な予感にジュリエットは、ゾクリと背を震わせる。
ジュリエットが犯人から向けられた殺意は本物であった。あの時、ライが現われなければジュリエットは命を落としていただろう。
(まさか……セシリアが……?)
窓の外ではウイリアムにエスコートされたセシリアが、馬車から優雅に降りてくる姿が見える。
セシリアがにこりと微笑むと、ウイリアムは頬を染めセシリアを見惚れている。
セシリアが犯人であるならば、何故これほどまでに殺意を向けるのか。頭の中で疑問がうずを巻き、胸は圧し潰されそうな程の不安が襲ってくる。
「ちっ、ストーン侯爵のぼっちゃんが手を回したな」
ウイリアムに身を寄せているセシリアに、ライが舌打ちをして声を荒げた。
ジュリエットはどういう意味だろうとライを見上げる。
「――ッ!?大丈夫か!??」
ついさっきまで目をきらきらとさせ魔法を使っていたのが嘘のように、ジュリエットの顔は青褪めておりライは驚いて思わず顔を寄せた。
「えっ……」
ジュリエットは急接近するライの顔に驚いて少し身を引く。焦りの揺れを感じさせる藤色の瞳に、ひゅっと息をのんだ。
「だ、大丈夫でしてよ。久しぶりにセシリアを見たので……少し動揺してしまっただけですわ」
ぱっと目をそらせたジュリエットは、動揺を誤魔化すように取り繕うとする。だが、胸元で硬く握っている手がカタカタと震えてしまっていた。
「なぁ、ジュリエット――」
ライはジュリエットの様子から、セシリアを見て何かを思い出したのだと勘付いた。だが、それを聞くよりも先に、ジュリエットを一刻も早くこの場から連れ出してあげたくなった。
「もう帰ろうぜ」
ライはジュリエットの前にそっと手を差し伸べる。
「うん……」
本来の帰るべき場所ではなく、陽だまりのたまるライの部屋に帰りたい。目の前に差し出された大きな手に、小さくなった自分の手を乗せる。
手に乗せたジュリエットの体温がすっかりと冷えているように感じて、ライは早々に内ポケットに入れる。そして、ジャケットの上から手を当ててジュリエットを包んだ。
「あったかい」
体を包み込むライの手は温かく、より一層胸の鼓動を近くに感じて、まるで抱きしめられているかのようだ。不安で圧し潰されそうになっていた身内に安堵感が広がっていった。
「とりあえずこっから出るぞ」
部屋の扉を少しだけ開け廊下に誰もいない事を確認すると、ライは足早に部屋から出る。廊下側の窓に手をかけて一気に窓を開けると、外からの新鮮な風が入り込み掃除がされていない窓枠の埃が舞う。
「ライ、何をするの?」
てっきり元来た道へ戻るのかと思っていたジュリエットは、突然のライの行動に思わずポケットから顔を出した。
廊下側の窓からは屋敷の裏側、全く手入れされていない伸び放題の草と木が生い茂っているのが見え、さながら幽霊屋敷のようだ。
ライは腰に装着していたホルスターから小型銃を取り出すと、悪だくみをする子供のように口角を上げて話した。
「まず、銃の型になっているのは目標を狙いやすくするため」
そう言いながら小型銃を構えると、近くにある木に狙いを定めた。
「一体何のこと……?」
ジュリエットの疑問に答えることなく、ライは話を続けていく。
「今の段階では、魔法陣の刻印はこれ以上小さく出来ないんだよな」
ひとり言のように呟きながら、片手で持つ銃を真っすぐ伸ばして木に向ける。ライの魔力に反応した小型銃の銃口からは、小さく描かれた魔法陣が浮かび上がった。
「これは、魔道具ですの!?」
ジュリエットが驚きの声を上げた次の瞬間、魔法陣から鉄製のロープが飛び出す。ライが引き金を引いたのだ。
飛び出したロープは木の枝に勢いよく飛んでいき、先端についた鋭利なかぎ爪がザクっと枝に突き刺さる。
「あのかぎ爪は、魔物から獲れた素材の特殊な加工で出来てんだ。硬い岩盤でもぶっささって抜けねーんだぜ。っつーわけで、しっかり掴まっとけよ」
ぐっとロープを引いて外れない事を確認したライは、窓枠に立って身を乗り出した。
「え!?掴まる!??」
ちゃんとした説明のないまま、ただ嫌な予感だけがするジュリエットは、ポケットの中であたふたと騒ぐ。
そんなジュリエットにお構いなしで、ライは躊躇なく飛び降りた。
「嘘っ!!?やっぱり!!ちょっ待ッ――!!」
小さな体がポケットから放り出されそうになり、必死でしがみ付きながら浮遊感に耐えて叫ぶ。
「ここっ3階ですわよぉぉ!!!!」
小型銃の魔法陣から放出した鉄製のロープがピンと伸びると、ライの体は振り子のように勢いよく弧を描く。小型銃の魔法陣を解除してロープが魔法陣に収納されると、ライの体は地面に放り出されるように飛んでいく。そのまま生い茂る草の上に難なく着地をすると、足を止める事なく歩き出す。
「大丈夫か?」
ライは歩きながらホルスターに小型銃をしまうと、ジュリエットに声をかけた。だが、ジュリエットからは応答がない。
「ジュリエット?どうした?」
ジュリエットから反応が無い事が気になり、ライはジャケットを開けてポケットを覗く。すると中では、ぷるぷると身体を震わせているジュリエットの姿が見えた。顔は伏せており状態をちゃんと確認する事が出来ない。
「ふっ……」
ようやく零れるような声が聞こえたが、その声色は泣いているようであった。ライがそっと指先を近付けた――その時、
「あー!こわかったー!!」
ジュリエットが急に顔を上げる。その表情は、目尻に涙をためながらも思いっきり笑顔であった。それに、我慢できないといったようにクスクスと笑い出し始めた。
一方のライはというと、ポカンと口を開けて驚くも、笑い声を上げるジュリエットを見てほっと胸をなでおろした。
「なんで笑ってんだ?」
ライの凄まじい身体能力を文字通り身をもって体験したジュリエットは、いまだバクバクと心臓が脈打っている。体験した事のない浮遊感は恐怖を通り越すと爽快で、もやもやと考えていた事も吹っ飛んでいってしまい、残ったのは可笑しくてしょうがないという感情だけ。
「ふふふっごめんなさい、突然でこわかっ――」
ハッとして言葉を途中で止め、少し考える素振りを見せたジュリエットはすぐに首を縦に振る。
「うん、えぇそうよ……わたくし怖かったのよ。お父様が亡くなってから……ずっと……ずっとずっと――怖かった」
これまで抑えつけていた感情を誰に向かってでもなく、ジュリエットは吐露する。
「でも……」
そして、吹っ切れたような爽快な笑顔でライを見上げた。
「全部、吹っ飛んじゃったわ!」
次回は、4/7の7時更新です。
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