侵入(前編)
「いざ、参りますわよ!」
「あんまデカい声出すなって」
ジュリエットとライの2人は、セレスタイン伯爵邸の前に立っている。
前といっても表の方ではなく、使用人や業者が出入りする屋敷の裏側の方だ。
「コホン……ではライ、侵入お願いしますわ」
どこで入手してきたのか、伯爵邸の制服を着るライの内ポケットから、ひょこっと顔を出したジュリエットは改めて声をかける。
「そんな意気揚々と侵入しろって言われたのは初めてだ」
ライはフッと笑うと、ワイシャツの下に着けているチョーカーに触れる。
チョーカーに付いた魔石に魔力を通すと、ライの髪色が黒色に変化した。
さらに、銀縁の細長いフレームの眼鏡を装着すると、魔力に反応して瞳を黒く変化させる。
後ろに流した髪型と、知的に見える銀縁眼鏡の効果で有能な使用人の完成だ。
「ギルドの魔道具は本当に凄いですわね……それに、髪と瞳の色だけではなく、何だか別の人にも見えますわ」
ジュリエットは、ほぅっと感心しながらまじまじとライを見上げた
「こいつの凄いとこは色が変わるだけじゃなく、見る側の認識を歪めて別人に見せる付与がついてる事だ。だから、俺の姿は人によって異なった姿で見える」
チョーカーを指でトンと触れたライの顔は、確かにライであってライではない別の顔が浮かんで見えてくる。というか、つい最近どこかで見た事がある顔だ。
「どうした?そんなに俺の顔見て」
「うーん……ライが、どことなくジェット様に似ているように見えるのだけれど……これも認識が歪んだせいかしら」
まじまじと見つめるジュリエットの視線に、ライは目をそらせて誤魔化すようにコホンと咳払いをした。
「今はこちらに集中いたしましょう。参りましょうか、お嬢様」
芝居がかった口調でライは銀縁眼鏡をくいっと上げる。
ジュリエットは何となくはぐらかされたように感じたが、ライの言う通り今はこちらに集中だと、改めてセレスライン伯爵邸をじっと見据えた。
「そうね、行きますわよ!」
「お嬢様、声がデケぇです」
ジュリエットを狙った誘拐事件はまだ解決しておらず、計画を企てた叔父のいる伯爵邸に、なぜ自らリスクを冒してまで侵入しようとしているのか。
それは、ジュリエットがどうしても取り戻したい、大切な物があったからだ。
♠♡♦♧
「ミスリルのバングル?」
ライは驚きのあまり声を張り上げた。
道行く人々からはジュリエットの姿は見えないので、ライは奇異な視線を送られ、その場を離れるように足早に歩き始めた。
公園を抜けるとそこは、すっかり夕方空に染まった海が見えてくる。
潮風が吹くたび水面には、茜色の波がきらきらと輝いていた。
ほとんど人のいない砂浜をライはゆっくりと歩いていき、ポケットから顔を出していたジュリエットに向かって話しかける。
「それで、どうしてジュリエットがミスリルを持ってるんだ?」
「お母様の形見ですの」
「形見……」
ライは複雑な面持ちでジュリエットを見た。
「なぁジュリエット……その、疑うつもりはないが、本物のミスリルが一般で出回っているなんて聞いた事が無い。王都で確認できている物も古代遺跡で発見された数点だけだ」
それでさえ、歴史的快挙だと大騒ぎされていた。
ミスリルとはその昔、大妖精が創造したという言い伝えがあり、月の光を思わせる月白色の不思議な光を放つ鉱物である。
ミスリルを思わせる月白色を真似たアクセサリーも流行しており、それを着けていたとしても誰も本物だとは思わない。
ライは疑っているというより、ジュリエットの母親が誰かに騙されたのではと心配しているようだ。
「本物かどうかは、わたくしにも分からないわ。お母様は亡くなる前に自分の腕からバングルを抜いて、わたくしの腕にはめたの」
そして、息も絶え絶えこう言った。
『これは、あの方が造ったミスリル……鍵に……なって……だから、肌身離さずに……』
「あの方?鍵?」
ライの疑問にジュリエットも首を横に振る。
「分からないの……お父様もご存じなかった。でも時折、お母様は誰かと楽しそうに話していたとおっしゃっていたわ。そのお相手の姿を見る事は叶わなかったみたいだけど……」
「姿が見えない?もしかして妖精……!?」
人の目に認識されない下位妖精であっても、ごく稀に敏感な人の目にうつる事がある。
滅多に姿を晒さない高位妖精に至っては、気に入った者の前に気まぐれで姿を現す事も珍しくない。
ジュリエットの母親のいう「あの方」は妖精であると十分考えられる。
ジュリエットはこくっと頷くと話を続けた。
「お母様はわたくしが泣いていると、あやしながらよく歌を口ずさんでいたわ。その時は決まってお母様ではない、別の声も聴こえてくるのよ」
ジュリエットの母親と共に歌う美しい声は、聞き惚れているうちにすっかり涙を止めてしまう、ジュリエットにとって特別な歌だ。
「歌……ジュリエットが歌っていたあの歌だな」
呪いの魔法陣を見た時に、落ち着かせるために口ずさんでいたあの歌。
聞いたことのない旋律に心が凪いでいくような、そんな不思議な歌であった。
「ミスリルのバングルを着けていると、お母様ともう1人の存在に守られているような……そんな気がするの」
バングルを着けていたのであろう右腕をジュリエットは無意識にさする。
死の淵で母親から手渡された物だから、特別にそう思い込んでいるのかもしれない。
それでも、思い込みだと一蹴できない何かがあのバングルにはある。
「奴ら……バングルの存在を知っているのか?」
叔父家族の事を奴らと言ったライが、警戒するように低い声色で問いかけた。
「えぇ。特に、セシリアが何度も欲しがったわ」
幸いにも、妖精が関わっているかもしれないという事を彼等は知らず、ただのアクセサリーだと思っている。
ただ、セシリアだけはアクセサリーの価値云々ではなく【ジュリエットが大切にしている物】だから欲しいと執着していた。
「セシリアが転がりこんで来る前に、邸宅のある場所に隠したの」
案の定、セシリアはバングルの存在を探り、奇妙な力で伯爵家の使用人達を味方につけ、ジュリエットの部屋を荒探しさせていた。
ジュリエットの持っていたドレスや宝石類はついでに奪われていき、今はバングルと一緒に隠した数点の宝石しかジュリエットには残されていない。
「伯爵邸の侵入に、協力して下さる?」
ライを見上げるジュリエットの眼差しは、小さな体から発せられたとは思えない程の強い意志を感じた。
ジュリエットが本来、帰るべき「家」であるにも関わらず「侵入」の言葉を使わざるをえないなんてと、ライは何ともいえないやり場のない感情を抱いた。
♠♡♦♧
「アランと申します。こちらで使用人として働く事になりました。誠心誠意努めたいと思いますので、ご指導のほどよろしくお願いします」
アランと名乗ったライは、使用人たちが昼休憩で集まっていた休憩室に赴き丁寧に頭を下げた。ごくごく自然に「使用人」になり切っている。
「今日、新しい使用人が来るなんて聞いてたか?」
ダラダラとくつろいでいた使用人たちは、それぞれ顔を見合わせて首を傾げた。
「はは、すみません。実は僕の勘違いで勤務日を間違えて来てしまったのです。先ほど執事のジョンさんに指摘されて気付きました。しょうがないから今日は屋敷を見て回るようにと言われましたが、その前に先輩の皆さんにご挨拶をと思いまして」
ライは銀縁眼鏡をくいっと上げながら、屈託のない笑顔を作って話す。
「なんだ、有能そうな顔をしてるのに意外とおっちょこちょいなんだな!」
よく言われますと頭をかいたライに使用人たちはどっと笑い、この場はすっかり打ち解けた雰囲気となった。
これである程度、屋敷をウロウロとしていても怪しまれない状況をつくる事が出来た。
「まぁよろしく頼むよ。人手が足りなくて大変だったから助かる」
「名門の伯爵家なのに人手が足りないのですか?」
男性使用人の言葉にライが疑問を投げかけた。
「ジュリエットお嬢様のせいよ」
すると、女性使用人がフンっと鼻を鳴らして腕を組む。
「旦那様が引き継がれてから事業の方はうまくいってないみたいだ。ジュリエットお嬢様の噂のせいだと旦那様はお怒りだけどね」
「そんで真っ先に、俺達使用人の給金が下げられたってわけよ!古参の使用人や次のアテがある奴はみーんな辞めちまって、今じゃ俺達のような他所に行くあてのない奴らしかいない」
使用人たちは次々に伯爵家の内情について話していき、そして、事もあろうかジュリエットの噂話を面白おかしく話し始めた。
ぐっと耐えていたライだったが、ジュリエットを罵る数々の内容に頭に血が上り、思わず体が一歩前へと出た。
その時……
ポケットからトントンと、胸を叩かれる感触に引き留められる。
開きかけた口を噤んだライは、ポケットの中の小さな存在を思い出して冷静さを取り戻した。適当に理由をつけて早々に部屋を出ると、外まで聞こえてくる品のない笑い声に舌打ちをして歩き出す。
近くにあった備品室に素早く入ると、ポケットの中にいるジュリエットにこそっと話しかけた。
「あんな奴ら気にすんな。噂話に踊らされてるただの阿呆共だ」
室内は掃除が行き届いておらず、気管に張り付くような埃っぽい空気にライは顔を顰める。
一方のジュリエットは、ジャケットの内側から顔を出すと、頬に手を当てて目を伏せていた。
「……気にしていなくてよ」
ライが着ている伯爵家の制服は外ポケットが小さく、得意の裁縫でライ自らジャケットの内側にポケットを作ったのだ。
おかげで、ワイシャツ越しとはいえライの体温を感じ、さらに左胸の近くにいたために聞こえるライの心音に耳を傾けて、ジュリエットは密かに心地よく過ごしていた。
(ここが心地良すぎて、使用人の悪口なんて気にもならなかったわ……って、わたくしったらこんな時に何を考えているの!!?)
アタフタと両手で顔を覆うジュリエットに、悲しんでいると勘違いをしたライが、ぐっと眉を寄せイラ立ちを露わにした。
「さっき会った執事も碌に書類に目を通さずに適当だったし、だらしねぇ使用人ばっかりだし、ここにいる奴ら伯爵家に仕えれるような連中じゃないだろ?一体どうなってんだ!?」
ここに来るまでに、まずライは全くやる気のない門番を脅迫……いや、お願いをして執事に取り次ぎを申し出た。その後、堂々と屋敷に入るとジョンと名乗った執事に、関係者からの紹介でやって来たと紹介状を見せる。
もちろん、関係者というのも紹介状を書いたのもジュリエットだ。
そんな事は露とも知らないジョンは、面倒くさそうにちらっと紹介状を一瞥すると、そのへんの使用人に聞いてすぐに仕事に取り掛かるようにと言ってきたのだ。
「お父様の代から仕えていた執事を、叔父様は給金が高いという理由で勝手に辞めさせたのよ。それに追従して、古くからいた使用人達が一斉に辞めてしまったの。それで、安い給金でも働く者を適当に採用しているのよ」
「はぁ……とにかくこのままだと防犯上危険だ。その内、素性の分からない奴が入って来るぞ」
ジュリエットの身を案じて、ライは額に手を当てて溜息を吐いた。
ひとまず、目的の場所へと向かうべく静かに部屋を出ると、内ポケットから道案内をするジュリエットに従って進んでいく。
なるべく人とすれ違わない様に、ライは所々身を顰めながら進んでいった。
セレスタインの家門は歴史がとても長い。
邸宅もその時代ごとの流行を反映させた建設様式で、随所にこだわりが見える。さらには増設を繰り返した建物はとても広い。古い建築様式が続く装飾にライは博物館にいるような感覚で進んでいく。
だが、その広さは仇となり奥に行けば行くほど掃除が行き届いておらず、ジュリエットは眉を顰めた。
「怠情な使用人と叔父様の管理不足のせいで、すっかりボロ屋敷と化しているわね。非公式とはいえせっかくライが来ているのに……ひどい有様でお恥ずかしいわ」
ライはずっと何かを考えてイラついた様子であったが、ジュリエットの呟きにふっと雰囲気が和らいだ。
「呪いを解いて元の姿に戻ったら、今度こそジュリエットが伯爵位を継ぐだろ?その時に公式で招待してくれよ」
「え……」
ジュリエットは一瞬、困惑するような表情をした。
「もちろんですわ。わたくしがこの伯爵家をしっかりと建て直した暁には、盛大におもてなしさせて頂きます」
すぐに淑女の仮面を張り付け笑みを浮かべたジュリエットに、ライは違和感を感じるのだった。
⇒次話、3/31の7時に更新です。
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