王国のギルド
「はじめましてレディ、私はギルドマスターのジェットです」
紳士的に挨拶をするジェットを見て、ジュリエットは自分が想像していたギルドマスターと全く違う風貌に些か呆気にとられた。
「筋肉ゴリゴリのおっさんが出てくると思ったか?」
ジュリエットの考えが透けて見えていたようで、頭上からライに問いかけられておずおずと頷く。
「ふふ、よく言われますから大丈夫ですよ。それよりもライ、彼女をここに降ろしてくれるかな」
ジェットの言葉にライが頷き、ゆっくりジュリエットを執務机の上に降ろす。机上で室内を見回していると、ジュリエットの姿をまじまじと眺めているジェットと目が合う。
「へぇ本当に妖精のようだね。この服は魔法学院の?」
全身をくまなく観察するような視線にそわそわとしながら、ジュリエットは問いかけに答える。
「え、えぇ……ライが破れた所を上手く補修して……着られるようにして下さったのです」
ギルドに赴くのに下着姿で外出するわけにもいかず困っていると、裁縫道具を出してきたライがあっという間に学院の制服を補修したのだ。
小さく縫いづらいだろうにパパっとジャケットの袖をくっ付け、穴が開いたワンピースは折り曲げてひざ丈のワンピースにアレンジをする。
足を出すのは淑女としてあるまじき姿だが、何も着ていないより罪は軽いとジュリエットは自分を言い聞かせながら着た。
「そうか、ライは裁縫も刺繍も得意だからね。」
「まぁっ。刺繍もですの?」
ジェットから出た意外な単語に、思わずライの方を見るとしかめっ面をしている。
「俺の話はいいんだよ」
面倒くさそうにシッシと片手で払う仕草をして、話を進めろと催促する。
肩をすくめたジェットが、改めてジュリエットに向かい口を開いた。
「さて、貴女はジュリエット嬢だね?ライから報告は受けているよ。」
柔和な表情を浮かべるも、どこか探るようなジェットの視線に気付いたジュリエットは、目を軽く伏せて腰を深く落とした。
一切ふらつく事のないカーテシーを保ったまま、スカートの端を持ち片手は胸に当てて挨拶をする。
「名乗るのが遅くなり申し訳ありません、ジェット様。わたくしはジュリエット・セレスタインと申します」
執務机にいる小さな体の洗練された所作に、目の前にいたジェットを始め、傍にいたライも惚けた顔で目を離せずにいた。
ジュリエットが見せたカーテシーは、古い時代からある王国の伝統的なスタイルだ。
ただ近年では「古臭い」「時代遅れ」「体勢が辛い」と、社交界で殆ど見かけない挨拶となっていた。
「これは……とても美しい。素晴らしい挨拶をありがとうジュリエット嬢。こちらこそ無遠慮に貴女を見てしまい申し訳なかった。つい、職業病でね」
カーテシーに感激したジェットが胸に手を当てて首を垂れると、括った長い髪が肩からさらさらと落ちる。
よく見かける栗色の髪なのに時折きらきらと光っているように見え、黒縁眼鏡の奥にある黒茶色の瞳は何処かで見た事がある気がした。職業病と呟いた事も気になったがそれも一瞬の事だった。
「すっげー久しぶりに見たな、それ。もしかして、マナー講師はかなりの婆さんだったのか?」
「婆さん」と粗暴な言葉遣いが耳に入ったジュリエットは、勢いよくライを見る。その勢いに縦に巻いた深紅の髪がブンっとなびいた。
「婆さん――だなんて……なんてこと!わたくしの師は王室で王女殿下達をご教授されていらっしゃったサファイヤ様でしてよ!失礼な言い方をなさらないでライ!!」
ジェットに感じた違和感はもうすでにジュリエットの頭にはなく、その代わりライへのお小言で頭がいっぱいとなった。
一方、ジュリエットの口から飛び出した「サファイヤ」の名に、ライとジェットは顔を見合わせてそれぞれ驚きの声を上げる。
「まさか……!ジュリエット嬢は、あの厳格で有名なサファイヤ女史に淑女教育を習っていたのかい?」
「まぁっ!ジェット様はご存じでいらっしゃるのですね!ジェット様のおっしゃる通り、わたくしの淑女教育の師はサファイヤ様です。魔法学院に入学するのを期に引退なさいましたので、誠に僭越ながらわたくしがサファイヤ様の最後の弟子となりました」
尊敬してやまないサファイヤの話になると、ジュリエットの姿勢は自然としゃきっと伸びる。
「うわっ、あのおっかねぇ婆さんの事かよ。婆さん王女らにも容赦なかったんだろ?ほとんどが、途中で泣いて逃げ出したそうじゃないか。よく耐えたな」
またしてもサファイヤを「婆さん」呼ばわりするライに抗議するも、ライは反省する気配はなくクドクドとお小言を言うジュリエット見て楽しんでいる。
そんな2人のやり取りをジェットは少し驚きながら観察していた。
「さて、話が逸れてしまったね。そろそろ本題に入ろうか」
ジェットの仕切り直す声によって、ジュリエットは改めて居住まいを正す。
「端的に聞くがジュリエット嬢、学院で生徒達が暴徒化して貴女を襲ったようだね?」
「……はい」
その時は逃げる事に夢中であったが、今思い出すと恐怖心が顔を出し自身の腕をぎゅっと握った。
「嫌な事を思い出させてすまない。実は私が聞きたいのは今回の襲撃の話ではなく、それより以前の事を聞きたい。貴女の周りで何か不可解な現象が起きていなかったかな?」
「不可解な……現象?」
質問の意図を確認するようにジュリエットが聞き返すと、ジェットは小さく頷いて質問の理由を話し始めた。
ギルドに持ち込まれた、とある人物からの依頼――
それは、魔法学院内部を極秘で調査してほしいという依頼であった。
なんでも、学院に在学する女学生によって学院内は異様な雰囲気となっており、事態の収拾にギルドに助けを求めてきたという。
女学生は周囲を虜にさせる魅力的な少女なのか、貴族の学生達や教師に至るまでが女学生に傾倒し始め、将来王国を支える立場にある高位貴族の子息達も彼女を巡って暴走し始めてしまった。
ついには家門同士の争いにまで発展して、事は学院内では収まらない事態となっている、と。
「まさか……その女生徒って……」
ジュリエットの脳裏にあの断罪劇の中で、ほくそ笑んでいた少女の顔が浮かぶ。
「セシリア・セレスタインだ」
壁にもたれ腕を組んで聞いていたライが、ジュリエットの立つ執務机に腰をかける。
「俺はジェットの指示で警備兵として学院に潜入していた」
数か月前から学院にいたというライは、まだあどけない少女が人心を掌握している様子に驚いたという。
「最初は精神作用のあるまじないや魔法を使ってるのかと思ったが、魔法に精通した教師達がそれに気付かないわけないし、すぐに解けない所を見ても別の何かの力が働いてんじゃないかと思った」
――人々の心がセシリアに向いていくと、それに相反するように、ジュリエットを悪女とする類いの噂がどんどんと広まっていく。
「ジュリエット嬢、貴女の従妹であるセシリア・セレスタインについて知っている事を聞かせて欲しい」
ジェットが真剣な眼差しを向けるが、ジュリエットは下を向いて目を逸らす。
――何かがおかしいと訴えても「悪女」ジュリエット・セレスタインに耳を傾けてくれる者は、誰1人としていなかった。
「大丈夫だ、ジュリエット」
――そう、この男に出会うまでは。
話しかける言葉は乱暴なのに、ジュリエットを見つめる藤色の瞳は優しく揺れている。
「俺達が全部聞いてやるから」
ジュリエットの深紅の髪にライがそっと指先で触れる。
その気遣うような指先に、ぽすっと頭を預けるようにしてジュリエットは顔を隠した。
「ですから……急に女性に触れるのは……マナー違反ですわよ」
目に溢れる涙がもうすぐこぼれ落ちてしまうのが、見えないように。
やがて、落ち着きを取り戻すと、セシリアが伯爵邸に住み始めてからの異変について語り始めた。
セシリアは毎日、あの手この手でジュリエットから虐めを受けていると嘘を吐いた。
どういうわけか、その嘘を聞いた人は疑念を抱かずに信じてしまう。
そして厄介な事に、伝染病のように人を介して人へと伝達されていってしまうのだ。
はじめはセシリアの世話をしていたメイド、そしてあっという間に屋敷全体に。
さらに、魔法学院にも広がって、ついには社交界にまで――
全てを話し終えて顔を上げるとジュリエットの目に、何かを考えているライとジェットの姿が映った。
一言も話さずにじっと考え込む2人を見ていると、この後何を言われるのだろうと不安な心持ちから足がすくむ。
彼等も「悪女」や「嘘吐き」などの不名誉なジュリエットの噂を知っているはずだから。
(やっぱり、わたくしの事……信じられないわよね……)
ネガティブな考えと共に俯いていくと足元に黒い影が急に現れた。
その瞬間、頭をくしゃくしゃと撫でられる。驚いて顔を上げると、目の前にはライの姿があり「よくやった」と褒めるかのように撫でているではないか。
(また、みだりに触って……それにわたくしは、犬ではないのよ)
頭に感じる手の温かさが、不安な気持ちを一気に飛ばしてくれる。
ライへ向けてのお小言はジュリエットの中で霧散した。
少しして、ジェットが魔道具の通信機でどこかに連絡を入れると、ルビーと名乗る女性が執務室に入室して来る。
ルビーの手には小さな籠があり、その籠の中にジュリエットは入るように促された
これから、アンスール文字を解読できる者の所へ連れて行ってくれるという。
ライとジェットはまだ話す事があるからと執務室に残り、ジュリエットはルビーが運ぶ籠に揺られギルドの上層階へと向かった。
♠♡♦♧
ギルドの建物は、ライの住む建物よりもさらに上に長く高い。それに建物内は、最新型の魔道具で溢れていた。
自動的に開閉する扉に、行きたい階層の数字を押すと箱が昇降して人を運ぶ魔道具や、薄暗い廊下で人を感知すると自動的に点灯する魔導灯といった見た事のない便利な魔道具たちに、ジュリエットは目を丸くさせる。
「ルビー様!ギルドの建物ってすごいですわね」
籠の中で珍しい魔道具に目を輝かせているジュリエットは、少しはしゃぎながらルビーに話しかけた。
「セレスタイン伯爵令嬢、私の事はルビーとお呼びください」
「分かりました。では、ルビーもわたくしの事をジュリエットと呼んで下さる?ギルドでは身分は何の役にも立たないのでしょう?」
ジュリエットがそう答えると、ここまでずっと無表情だったルビーが一瞬だけ驚きを見せる。
「それに堅苦しい呼称は好まなくてよ」
深紅の髪をブンっと払うと、ルビーはクスっと笑ってこくりと頷いた。
「かしこまりました、ジュリエット」
ルビーの口元からは2本の犬歯がぴょんとはみ出していて、ジュリエットはそれをこっそり可愛いと思ったのだった。
好奇心旺盛のジュリエットはその後も、ルビーにあれこれと建物についての質問をした。
ルビーの説明によると、冒険者が自由に行き来できるのは下層階フロアのみで、それより上階は部外者が入れない様にセキュリティ強化されているという。
職員用の通路を歩き、上層階のフロアへと繋がる扉前に到着すると、そこにはセキュリティゲートが設置されていた。
ゲートの中央には青白く光る魔法陣が浮かんでおり、魔力登録をした者しか魔法陣を通過出来ないのだそう。
ちなみに魔力登録されているのは、ギルド職員やギルド側が認めたライのような一部の冒険者のみで、今回ジュリエットはルビーと一緒にいることで通過できている。
上層階は研究施設が多く、各部門によってフロアが分かれていた。
冒険者が持ち込んだ品物や魔物を鑑定、解体するフロア、魔道具を開発・修理するフロア、遺跡調査で出土した貴重な品々を分析するフロアなどがあり、それも全て魔法陣によって入退室が管理されているという。
研究施設から上階は職員達の住居となっていて、ここを借りる者の多くは王国出身者ではなく地方、または他国の者が多いという。
そしてルビーもまた、他国出身者で最上階のひとつ下のフロアに住んでいた。
ルビーの住む部屋に入ると、まだ昼間だというのに中は薄暗く全ての窓に黒い布がかけられている。
「暗くてすみません。陽の光に弱くて遮っているのです」
ルビーは室内の魔導灯を点けると、ジュリエットを入れた籠をテーブルの上に丁寧に置いた。
「肌が弱いのですか?」
籠からぴょんと出たジュリエットは、何気なくルビーに問いかけた。するとテーブルの上を片付けていたルビーの動きが一瞬止まる。
「あの……ルビー?」
(聞いてはいけない事だったかしら……)
無理に答えなくても良いと口を開きかけたが、ルビーが先に口を開く。
「私には吸血鬼の血が流れています」
「吸血鬼……?」
予想しなかった答えに驚いて聞き返すと、無表情のままのルビーが頷いた。
⇒次話、3/20の7時更新です。
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