鉄拳、悪を討つ!
ジュリエットの通う王立魔法学院の敷地内には、警備兵が出入りする警備塔が立っておりその地下には牢がある。
学院にある貴重な書物や魔導具、魔石などを狙った盗人や、貴族の子息子女の高価な私物を狙う者など、これまで何人もの罪を犯した者がこの牢に収監されてきた。
学院内で起きた犯罪は警備兵にも犯人を拘束し尋問する権利があり、たいていは数日間、身柄を拘束し事情聴取を行った後、国家警備隊に情報と身柄を引き渡し、裁判を経て罪状を言い渡される流れとなっている。
そして今、警備塔の地下牢に収監されているのは、ジュリエットを誘拐しようとした男達だ。
既に事情聴取を終えて、明日には国家警備隊に身柄を引き渡される予定である。
学院内で男達が犯した罪といえば不法侵入、それも馬の暴走による事故のようなものだ。
どうせすぐに釈放されると、男達は高いびきをかいて眠っていた。
「オイ、起きろ」
暗夜――いつもは点いているはずの魔導灯の明かりは消え、男達のいる牢は暗闇に染まっていた。
奇妙な声に目を覚ました1人が、辺りが暗闇に染まっている状況にパニックを起こす。
「なッ!?何だ!!?何も見えない!」
そして自分の仲間とは違う別の気配を感じて驚愕する。
「だ、誰だ!?誰かいるのか!!?」
叫び声で目を覚ました他の仲間も、暗闇の中に浮かぶ人影に驚きの声を上げた。
「何だコイツ!?」
「暗くてよく見えねぇ」
その人影は暗視ゴーグルのような魔導具を使い、牢の中を右往左往して騒ぐ男達の一人一人の動きをじっと観察していた。
そして、脇腹を痛そうに押さえている男に近付いて問いかける。
「お前、なぜそこを怪我した」
「うおっ!いつの間に!??その声……変声器か!?」
突然、目の前に立ちはだかった威圧感のある人影に、脇腹を押さえた男は後退りをする。
男の言葉通り、人影は声を変えるマスク型の魔導具を着けており、暗闇の中で響く変声された異質な声色は男達の恐怖心を煽っていた。
「質問に答えろ。その怪我はなぜ負った?」
「は?なんでテメーに答えなきゃなんねぇんだ!?そもそもテメー、何モンだ!!」
そう捲くし立て男は人影に向かって突然飛び掛かる。
だが、男の脇腹には人影の長い脚が容赦なくヒットした。
「ぎゃぁぁ!!痛てぇぇぇぇ!!!」
床にゴロゴロとのたうち回る男に向かって、怒りを含んだ異質な声が投げかけられる。
「こうやって誰かに蹴られたんじゃないのか?」
「あ……あっ……ち、ちがう……!事故った時に打ったんだ……」
暗視ゴーグル越しで観察していた人影は一瞬、男が何かを思い出したように表情を変えたのを見逃さなかった。
「へぇ、そこの御者やお前と一緒に馬車の中にいたお仲間は、そんな怪我を負っていないようだが?」
「そ……それは……」
明らかに動揺を見せ始めた男に人影がジリっと距離を詰めた瞬間、仲間の1人が背後からその人影の腕を取り、残りの腕で首を絞めた。
「おい!なんも喋んな!!コイツ1人しかいねぇんだ!やっちまうぞ!!」
男は人影の首に手をかけようと腕を回す。
高身長な人影と同じくらいの大きな男は、一番体格がよく腕の力も強い。
首を絞める男の手首を掴むと、人影は男の拳を観察して問いかけた。
「お前……最近、女を殴ったか?」
「ンあ?」
人影からの妙な質問に困惑するが、それよりも掴まれた手首が痛い。
必死で振り払おうとするも出来ずに、どんどんその力は強くなってくる。
「ちっくしょう……放しやがれ!!」
「質問に答えろ」
「痛ぇ痛ぇ!!わかった!答える!答えるからッ!!確かに最近、生意気な女をぶん殴った!」
男の発したその言葉に人影はようやく手首を掴む力を弱めた。
その隙に、腕を振り払った男は距離をとって掴まれていた手首をさする。
「へへ……そういやあの女、ガクガクと震えてやがったな。生意気な女ほど殴られた恐怖で絶望に染まる顔がサイコーにクんだよ……あの女を逃したのが惜しいッ――」
次の瞬間、男は弧を描くように体が吹っ飛んでいった。鉄格子に体が当たりその衝撃に警報が作動しサイレンが鳴り響く。
顔面に強烈な一撃を食らった男は血を出して伸びており、人影は舌打ちをしてもっとボコボコにしてやりたい衝動を抑えた。
そして、懐から小型ナイフを取り出すと、鉄格子のデッドボルト部分にナイフの刃を無理やり押し込んで思い切り蹴りつけた。
鉄格子の扉が開くと、ぶるぶると震えて縮こまっていた御者役の男に刃の折れたナイフの柄を握らせ、人影は急いでその場から立ち去る。
地下牢から地上に続く階段を駆け上がって警備室に入ると、夜勤担当の警備兵達が机に突っ伏して眠っていた。
机には皆に差し入れた茶がコップの中に残ったままで置かれている。
手をかざして魔法を紡ぐとコップの中の液体が浮かび上がり、手を握りしめる仕草をして液体を空中で散布させる。
警備兵達に飲ませた物は睡眠薬と記憶を混濁させる薬草茶で、牢に侵入する時間稼ぎに使用した。
時間通りであれば皆そろそろ起きる頃合いで、起きた後は誰に何を飲まされたか曖昧になっているはずだ。
そうして証拠隠滅をして警備室を出た直後、眠りから目覚めた警備兵達がサイレンに気付いてバタバタと牢に向かって階段を駆け下りて行く。
目的を達成させると、近くの窓からひょいっと飛び降りて外に出た。暗視ゴーグルと変声器を外して溜息混じりに独り言ちる。
「あんなちょろい警備兵ばっかで大丈夫なのかここの学院は……」
「ご苦労さまだね、ライ」
いつの間にか背後にいた人物に、右腰に装備していたハンドガンを抜いて構える。
「ちょっと待って僕だよ」
両手を上げてニコッと笑う人物に、ライが目を見開いてハンドガンを下ろした。
「ジェット……何でここに?」
「めずらしくライが真剣に仕事しているなって思ってね。随分熱くなっていたようだけど……あの牢の男達のせいかな?」
見に来ちゃったと話すジェットと呼ばれた男は、柔和な表情を崩さないまま、鳴り響くサイレンや警備兵達の怒号で騒然としている方向に目を向ける。
「別に……」
ライはハンドガンを収めながら、バツの悪そうな声を出すとふいっとそっぽを向いた。
「歩きながら話そうか」
ジェットはニコッと笑うとライの肩に手を置いて歩き始め、そしてジュリエットの叔父であるセレスタイン伯爵の動向をライに報告する。
「セレスタイン伯爵代理は、ジュリエット・セレスタインが失踪したその日に国家警備隊に失踪届を提出していたよ。しかも、姪のジュリエット嬢の事よりも学院で起きた馬車の暴走事故の方を周りに聞き回っているそうだ。まだ公には公表されていないのにね」
「やはり限りなく黒だな。それはそうと、ジュリエットを襲った連中だが人攫いにしては仕事が雑だ。恐らく普段は恐喝や強盗してる三下のチンピラだろう。伯爵代理が入り浸ってる賭博場で誰かに斡旋されたんだろうが所詮クズの集まりだ、叩けばいくらでもボロを出す。拘留期間は何とでもなるだろう」
「それで、明日の移送前に脱走騒動ね……これで暫くは警備塔の牢屋暮らしだね。ライの狙い通りかな?」
ジェットがチラっと揶揄うような視線を向けると、ライは気まずそうな顔をして視線を背けた。
一通り情報を交換しながら関係者用の裏口から出て、ひっそりと馬を繋いでいる場所までたどり着く。
主人が戻るのを大人しく待っていた馬がすり寄ると、ジェットはよしよしと馬の首を撫でる。そんなジェットに、ライは神妙な顔である物を手渡した。
「あのチンピラ連中、こんな物をジュリエットに使ったようだ」
「これは……魔封じの腕輪」
魔封じの腕輪を手にしたジェットは腕輪を眺めて眉を顰める。
この腕輪型の魔導具は元々、国家警備隊が凶悪犯を拘束する時に使用する物で、一般では出回っていない代物だ。
ジュリエットを拘束した腕輪は、体が小さくなった時に腕からすり抜け、草むらに落ちていたのをライが回収していた。
「これのせいでジュリエットは、魔法で身を守れず傷だらけだ」
話を続けながらライは手にはめていたグローブを外す。ジェットが受け取ったグローブには、牢で男を殴った時についた血液が付着していた。
「腕輪をはめたヤツの魔力が残ってるはずだから照合してくれ」
簡単に言ってのけるライの頼み事にジェットは肩をすくめた。
血に魔力が宿り、その魔力で魔道具を起動する。つまり、血と魔道具を調べると使用者かどうかが分かるという事だ。
「はぁ、もう簡単に言うよね。魔封じの腕輪自体、解析するのがめんどくさい物なんだよ?血の照合なんて細かいこと……まぁ出来なくはないけど」
ジェットは溜息まじりに小言を呟くも、最後は肩をすくめて了承する。
断らないと踏んでいたライはフッと口角を上げて背中を叩いた。
「頼んだぞ」
「それにしても随分、ジュリエット嬢に肩入れしてるみたいだね?」
「はぁ?別にそんなんじゃねぇよ……ただ……」
想定外のジェットの発言に、ライは不本意だと言いたげに一瞬眉を寄せるも、ジュリエットの状態を思い起こして言葉を詰まらせた。
腕を組み難しい顔をしたライを不思議に思ったジェットが顔を覗く。
「実は……」
♠♡♦♧
深更の時間であっても関係なくこの場所――ギルドは、たくさんの人で溢れていて騒がしい。
珍しい白熱魔導灯の皎々とした明かりの下では、討伐依頼を受ける者、依頼品を納品する者、迷宮ダンジョンでの功績を自慢する者、魔獣討伐に成功し美酒に酔う者、ライバルのパーティを見つけて喧嘩を始める者、ギルドに集まる冒険者達は各々騒がしい一夜を過ごしている。
「おかえりなさいませ、ジェラルド様。依頼人の方がお見えになっております」
「ルビーいけないよ、ここではジェットだ」
ジェットが執務室となっている扉を開けると、ルビーと呼ばれた小柄な女性が恭しく頭を下げて出迎えた。
青色の髪は肩の所で切りそろえられ、白銀の理知的な瞳が真っすぐとジェットを見据える。
「失礼いたしました。ジェット様」
「様もいらないのだけどね。それで、依頼人は応接室かな?」
ジェットは着ていた質の良いジャケットを脱ぎタイを外すと執務机へと放り、椅子に掛けていたギルド職員の黒色の制服を身に着ける。
耳に着けている魔石のピアスに魔力を通すと、さらさらとしたシルバーブロンドのロングヘアーが栗色へと変化する。
そしてルビーから手渡された黒縁眼鏡型の魔導具を装着すると、藤色の瞳が黒茶色に変わり、先ほどまでの人物とは違う変容した姿となった。
「ライ様のご様子はいかがでした?」
「それが……ライの方も厄介事を抱えているようだったよ」
執務室の扉を開け廊下に出ると、階下から冒険者たちの騒がしい喧嘩の声が聞こえてくる。
依頼人が待っている応接室へと歩を進めながら、ジェットは真っすぐなロングヘアーをひとつに括る。
「あのライ様が……?めずらしいですね」
「はは、ルビーもそう思うかい」
横を歩くルビーが不思議そうに首を傾げるのをジェットは眉を下げて頷き、先ほどのライとのやり取りを思い返した――
『ライ、ジュリエット嬢をどうするんだい?』
去り際に放ったジェットの問いかけに、ライは宙に視線を向けて一瞬考える素振りを見せる。
しかしすぐに、いたずらを思いついたかのような笑みを浮かべて口を開いた。
『とりあえず、ポケットにでも入れておくかな』
「はは、ポケットに噂の悪役令嬢を入れるなんてね」
「ジェット……?」
面白そうな光景を想像してジェットが小さく笑うと、またしてもルビーが首を傾げた。
そして依頼人が待つ応接室の扉に着くと、ルビーが数回ノックをして扉を開ける。
「お待たせしました、ギルドマスターのジェットです」
胸に手を当ててジェットが丁寧に挨拶をする――と、応接間のソファに腰を掛けていた人物が立ち上がった。
フードを目深く被っているその人物は、口角を上げてジェットに歩み寄る。
♠♡♦♧
大勢の人々が行き交う声や馬車が通る雑踏の音が聞こえてくる。辻馬車を止める男の大声も聞こえてきて、ジュリエットはその煩ささに眠りから覚醒していく。
「なに……うるさいわね」
伯爵家の敷地内では聞こえてこない喧噪に、眉を寄せて目を覚ます。
呆然と見慣れない部屋の風景を眺めた後に、ジュリエットはここが伯爵邸ではなくライの部屋である事を思い出した。
賑やかな喧噪の音が聞こえ視線を向けると、出窓から朝日の光が入り込んでいる。
その時、すぐ横から誰かの寝息が聞こえてきてジュリエットはピシッと体が硬直する。
まさか――
ギギギと硬直した頭を向けると、そこには驚愕の世界が広がっていた。
寝具に広がったきらきらと光るシルバーブロンドの髪。
寝息と一緒に揺れる同じ色の長いまつ毛。
シャツのボタンが1個も留っておらず、さらけ出された上半身。
「!!????」
飛び上がるようにベッドに立って状況を確認すると、妖精が横たわっているような美しい姿のライが眠っていた。
しかも同じベットで、だ。
「うそ……同衾……」
ジュリエットは両手で口をおさえ、へなへなと力なくベッドに座り込んだ。
淑女教育の中で、最大にして禁断の最も犯してはいけないランキング第1位……
『未婚の男女が同衾してはならない』
想わず発した声が、老年の講師の幻聴と重なりジュリエットは青くなる。
「くく……」
いつから起きていたのか藤色の瞳を細めたライが、一人であたふたしているジュリエットを見て笑った。
「ひゃっ」
寝起きの気だるげに笑う姿に、危うい魅力を感じたジュリエットは、咄嗟に悲鳴を上げて顔を手で覆う。
「は、は、は、は、背徳的ですわ!」
「ぶはっ!何だよ背徳的って!」
斜め上をいくジュリエットの発言に、ライは思わずふき出してしまうのだった。
⇒次話、3/13の7時更新です。
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