悪夢
長いので途中切りました。
【モウスコシダ――モウスコシデ】
ジュリエットは真っ暗闇の中を必死で走り続ける。上か下かも分からない闇の中をただひたすらに走り続ける。だが、足をバタつかせているだけの手ごたえの無い感覚があるだけ。まるで、黒い水の中にいるようだ。
【ゼンブヨコセ】
闇の中では、男とも女ともいえない幾つもの声が重なる気持ちの悪い声色が響いている。暫くすると前触れもなく、背中の魔法陣が燃えるように熱くなった。
『ああぁぁ!!!!』
皮膚を焼かれる痛みに悲鳴を上げてうずくまり、痛みからジュリエットの目から自然と涙が溢れてきた。
『助けて……お願い……誰か――誰か……助けて』
恐怖からジュリエットは喉を絞られるようなか細い声を出し、すがるように闇の虚空に手を伸ばした。誰でもいいから助けてとジュリエットが無我夢中で天を仰ぐと、闇の中から一筋の光が降りてきた。
『な……に……?』
刺繍糸のように細い光の筋は、闇の空間を細く切り裂いて降りてくるかのようだ。
光に向かって必死で腕を伸ばすと指先に光が当たる。すると、光は弾けて霧雨のようにジュリエットの全身に降り注ぐ。
『痛くない……』
焼けつくような背中の痛みと燃えるような熱さが嘘のように引いていく。
ジュリエットの体に降り注いだ光は小さな旋風となって離れると、今度は無数の球体となって空中に浮かんだ。
『綺麗』
ジュリエットは感嘆の声を出し、虹色に光る球体を目で追いながらその美しさに目を細める。
『何だろう?何か見える』
目の前にふわふわと浮かぶ球体をのぞき込んでみると、そこには誰かが写っていた。
「黙って俺に守られときゃいいんだよ」
虹色の光の中で動くその人を見た瞬間、ジュリエットの内側に温かく優しい気持ちが込み上げてくる。
「ジュリエットも俺が大事に守るって約束する」
他に浮かんでいる光の映像の中では、その人は星を散りばめたようなシルバーブロンドの髪をなびかせていた。
「俺にとってジュリエットは最優先事項だ」
優しく見つめる藤色の瞳。
「俺が傍にいるから」
その人の胸に必死に縋り付くと、彼の心臓の音と落ち着く低音の声が聞こえてくる気がした。
『ジュリエットって……私?それに、この人は――あっ!待って!!』
上昇し始めた光の球体を呼び止めると、伸ばしたジュリエットの手に光が集まってきた。球体であった光はぎゅっと一気に凝縮して誰かの手の形となる。
すると次の瞬間――ジュリエットの体は、一気に引き上げられた。
♠♡♦♧
「ジュリエット!」
呼ばれた声に反応して目を開けると、ジュリエットの視界いっぱいに焦った様子で叫ぶライの顔が広がっている。
「……ライ……?」
溺れた直後のように息が苦しく、ジュリエットは荒い呼吸を繰り返した。
「大丈夫か!?ゆっくり息をしろ」
「夢……を……見たの。怖い……夢……」
「いいから!まだ話すな」
息苦しさから絞り出すように声を出したジュリエットに、ライは深呼吸するよう促す。
肺に空気を送り込むよう深く呼吸を繰り返していると、徐々にジュリエットの呼吸は安定してくる。
落ち着きを取り戻したジュリエットは、自分がベッドの上に横たわっている事に気付く。
(手が……あたたかいわ)
夢の中で引き上げられた手が温かく何気なく横を向く。すると、ジュリエットの目線の先に自分とライの指先が繋がっている事に気付いた。
「手――繋いでてくれたの?」
「あぁ……離したらいけないような気がして」
手が温かかったのはライの手の温もりだったと気付き、ジュリエットは笑みを浮かべた。
「いつもの、淑女になんたら~ってヤツ言わねぇの?」
ライはフッと口角を上げて冗談を口にするも、その表情は何処となく辛そうだ。
「この手に助けられましたわ」
ジュリエットはもう片方の手もライの指先に乗せる。
一瞬瞠目したライが、ジュリエットの手に縋り付く様に頭を下げた。
「わたくし、夢の中で何も思い出せなかったの。自分の名前も性別も自分が何だったのか……全て闇に飲み込まれて消えて無くなりそうになった」
ジュリエットの話を聞いて顔を上げたライは、苦し気な表情を浮かべている。
「とても怖かったわ。真っ暗な闇の世界……」
ジュリエットは夢の中で自分の身に起きた体験を話し始めた。
暗闇の世界から逃れようとするも、生き物の声を真似た耳障りな声がジュリエットを追いかけてくる。そして、その声の主が――呪いの元凶であると確信した。
「でもその時にね、ライ……あなたを思い出したの」
苦渋な顔をするライに、ジュリエットは一生懸命に笑顔を作って見せる。
「俺を……?」
ジュリエットの目の前で、驚いた目をする藤色の瞳が滲んでいくのが見える。だが、滲んでいるのはジュリエットの方であり、熱い涙が頬を伝ってようやく自分が泣いている事に気付いた。
「えぇ、何も思い出せないのに……あなたの声と温もり……そして、優しさを思い出したの」
(ライにはこれ以上、泣き顔を見せたくないのに……だって、わたくしはもうすぐ――)
とぎれとぎれに出すジュリエットの声は震え、握り合ったライの手に泣き顔を隠すように額をつけて目を閉じた。
「もうすぐ、闇がわたくしを連れ去りにくる。それが――わたくしにかけられた本当の“呪い”よ」
【ゼンブヨコセ】
闇の中を執拗に追いかけてくる奇妙な声が甦り、ジュリエットの小さな体は恐怖からガタガタと震え出す。
「俺が見つける」
ジュリエットの震える体をライは、手の平で囲うように包み込む。
「ジュリエットが闇に連れ去られたとしても、絶対にお前を見つける。約束する。だから――絶対に諦めるな」
「ほん……とうに?」
ライの力強い声と手の温もりが、迫りくる闇への恐怖を溶かしてくれるようだった。
「あぁ、本当だ。剣に誓うよ」
こくっと頷いたライは突然立ち上がり、ジュリエットと距離を取るように後退りをした。ジュリエットは体を起こして座ると、ライが何をするのか見守る。
ライが片手を前に出すと魔法陣が浮かび上がり、中から銀色に輝く剣が現われた。
「えっ!なっ何!?」
「これは――聖剣だ」
「聖剣……!?」
夜明け前の薄暗い室内で煌々と光り輝く聖剣をジュリエットは目を細めて見る。すると今度は、点滅するようにピカピカと発光し始めた。
「剣が光ってる……?」
「おいおい、出て来て早々喋りまくるな」
突然剣に向かって話し始めるライに、ジュリエットは戸惑いを隠せずにいた。
「ライ?誰と話しているの……?」
「あー……だよな、そうなるよな」
俺が変な奴に見えるだろとぶつぶつ話すライに反応するように聖剣が光る。ピカピカと点滅して発光する聖剣を見ていると、まるで会話をしているかのようだ。
「もしかしてその剣って……意志がありますの?」
ジュリエットの問いかけに、聖剣はその通りと言わんばかりにひと際輝きを強くした。
「「――ッ!!」」
ジュリエットとライはほぼ同時に目を押える。うす暗い部屋に明るく光った聖剣はすごく眩しかった。
宿舎の室内に備え付けられた簡素な椅子に、ライは長い足を組んで座る。同じく簡素なテーブルの上に置かれた聖剣の場違い感は否めない。
ジュリエットはテーブルの上の聖剣の周りをうろうろと歩きながら観察し、しゃがんでじっくりと眺めたりしている。
聖剣は傷ひとつない美しい剣で、ガード部分は何かの象徴なのか、金工象嵌で十字型の装飾が細工されている。銀色に輝いているブレードは太くて長く、長身のライでなければ扱えなさそうだ。それと、ブレードの表面には見た事のない文字が剣先にかけて刻まれていた。
「こいつの話だと、聖剣とは悪なるもの全てを浄化する“伝説の剣”と呼ばれる代物らしい。それでこいつを作ったのは聖女で、聖力をこめて作った剣なんだそうだ」
「聖女?聖力?初めて聞きますわね」
「俺も初めは理解できなかったが、聖剣は異世界――この世界とは、異なる世界から来た」
「異世界……?」
ライが聖剣を見つけた場所は、シゲル遺跡であった。
シゲル遺跡に入った事のある冒険者達は異空間と繋がっていると口を揃えて言うほど、不思議な出来事に遭遇する。
当時、ライは前人未到であった遺跡の最深部まで攻略をし、色とりどりの鉱石で出来たクリスタロスの巣を見つけた。巣はもぬけの殻で肝心のクリスタロスはいなかったという。
巨大な巣からクリスタロスの大きさを推測し、ライは好奇心と恐れで奮い立つ心を抑えられずにいた。何か手がかりはないかと巣を調べると、美しい鉱石の中に混じる異質な物が目に入ったのだ。
「無機質なただの石に突き刺さってる剣を見つけたんだが……ここからあまり記憶が無い。気付いたら剣を握ってて、そして剣を引き抜いてた。その時、頭ん中に見た事のない世界、知らない記憶が流れ込んできたんだ」
それは聖剣に残留していた過去の記憶――異形な姿をしたモンスターが人間達を蹂躙している世界の出来事であった。