嫉妬と冒険者
お待たせしました!
コランダム帝国へ来て数日――ライに依頼が殺到していた件は“極秘任務中”とライが全ての依頼を一蹴してとりあえずは幕を閉じた。
これにより暫くギルド内では、冒険者達が阿鼻叫喚と化していたらしいが……
シゲル遺跡に入る為の手続きを済ませ、ギルドマスターアンバーから正式な承認書を受け取ると、ライは外出する事が多くなっていた。
今日もシトリとジストにジュリエットを託していったライは、朝早くから宿泊するギルドの宿舎を出たきり日が暮れても帰って来ない。
「ライは毎日どこに行っているのかしら?」
ジストが持っていた菓子箱の中に座るジュリエットがぽつりと呟く。
テーブルを挟みジストの前に座るシトリは、大口を開けて串焼き肉を頬張っていたがジュリエットの呟きに答えようとした。
「ひょうひひんのひゅんひ……」
「もうシトリ!食べながらお話しなさらないで」
「へふにいいひゃんかー」
「別によくありませんわ!お行儀が悪くてよ」
「んぅぐっ、すげぇ通じてんじゃん……」
肉を飲み込むとシトリが驚きに目を開いた。
宿舎を出て夜市場に来ている3人は屋台で買い食いをしながら歩き、さらにまとめて買った食べ物を屋台の側に設置されているテーブルに置いて食べている。
夜市の通りは白い天幕の屋台が並び、吊り下げている魔道ランタンが異国情緒を盛り立てている。テーブルを囲んで酒を飲む人々からは他国の言葉が飛び交い、洗練された王都とは違う下町風情がある。
テーブルの上には、王都ではあまり見かけない珍しい肉や魚に香辛料をふんだんに使った料理、果汁溢れる果物やデザート、暑い気候の元で食する珍しい料理にジュリエットは淑女云々を忘れて舌鼓をうっていた。
「……シゲル遺跡へはラクダに乗って砂漠を進み、およそ3日ほどかかる。だからライ兄は不備が無いように必要な装備品を揃えているところだ」
ライの外出理由について、シトリの代わりにジストが話しを続けた。
「そう……ライにこんな時間まで準備をさせてしまっているのね。わたくし何だか申し訳ないわ」
小さくなってしまった体で何が出来るわけでもないが、せめてついて行くべきだったのではないのか。ジュリエットは浮かれて料理に夢中になっていた事を恥じる。
急に俯いてしまったジュリエットにシトリとジストは顔を見合わせると、小さくカットした果物やデザートをジュリエットの前に差し出した。
「これ美味いぜジュリエット。ライ兄からジュリエットに色んな物食べさせて街を案内してやってくれって俺達言われてんだ。だから、ライ兄がいなくても心配すんな」
シトリの明るい声にジュリエットがぱっと顔を上げると、頬杖をついたままニカっと笑うシトリと目が合う。
「……これも美味い。暑さでジュリエットの体力が落ちないかライ兄が気にしてた。砂漠の旅は装備が多くなる。経験のある冒険者が準備するのは当然のことだ」
だから気にするなと、いつも無表情なジストの口角が少しだけ上がり、穏やかな表情をジュリエットに向ける。
「2人とも……ありがとう」
ライの優しさと2人の気遣う言葉が嬉しく、ジュリエットはふわっと微笑した。
その時、頬杖をついていたシトリは顔を横に背け、ジストは両手で顔を覆ったのだった。
「今のは反則だろ」
「………………かわいい」
ぼそぼそと話すシトリとジストの声は周りの喧噪によってかき消され、急に顔を隠しだした2人の不可解な行動にジュリエットは首を傾げた。
「砂漠――わたくし砂漠を見るの初めてだわ」
貴族の令嬢として生きてきたジュリエットが、ラクダに乗って砂漠の旅をするなど自身も想像していなかった。ジュリエットの声色に未知の世界への期待が滲む。
「そ、そっか、ジュリエットは、砂漠見た事ないのか。でも、砂漠をなめたら痛い目みるぜ!砂漠ってのは、昼は暑くて夜はすんげー寒い所なんだ」
「……昔、俺達は気軽に行って死にかけた事がある」
「えぇっ!?」
「あぁ、あん時はマジで死んだと思ったわ。何とか生きて帰ってギルドの扉開けたら、棍棒持って仁王立ちしてるアンバーがいて地獄にいるのかと錯覚した」
遠くを見つめながらシトリは半目になり、ジストは俯いている。
当時、装備や準備を怠った事に対してアンバーからはこってりと絞られたのだという。
ジュリエットよりも1つ年上のシトリとジストは、ギルド職員として身を立てながら、Aランク冒険者としても活躍している。抜群の戦闘センスで10代の早いうちから頭角を現してきたが、冒険者としての心構えみたいなものが欠落しており、その辺りをアンバーによって叩き込まれたのだと話す。
「そういえば、地獄とは何ですの?」
先ほどシトリが口にした“地獄”という言葉がジュリエットは気になっていた。
「……俺達の故郷では、死ぬと地獄という所へ行くという言い伝えがある。地獄にはたくさんの鬼がいて、死人は生前の罪を裁かれるらしい」
ジストの説明にジュリエットは、ここ数日でギルドで見たアンバーの姿を思い浮かべた。
ギルド職員に詰め寄る冒険者を説教したり、喧嘩を始めて大暴れする冒険者達に拳骨を落としたりと、マナーの悪い冒険者を追い出す姿だ。
何やっとんじゃゴラァ!っとギルド中に響く怒鳴り声を思い出しながら、地獄の鬼とアンバーの姿を重ねて、ジュリエットはクスっと笑った。
「おい」
その時――突然、見知らぬ男の声が頭上から聞こえ、次の瞬間大きな酒瓶が勢いよくテーブルに落ちてきた。その衝撃で周りに酒が飛び散っている。
いつの間にかガタイの良い男達がジュリエット達を取り囲んでおり、男達の腰や背中には剣や斧といった武器を帯剣している。装備などもギルドでよく見る冒険者の見なりをしていた。
ジストはすぐにテーブル上に置いた菓子箱の蓋をさっと閉じて、ジュリエットを男達から見えないように隠す。
「何だ、てめぇら」
シトリはギロっと男達を睨み付けながら威圧するように声を出した。
「狐の双子ってのはお前らだろ?」
狐と嫌味な言い回しをする男に、仲間の男達もニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながらシトリとジストを見下ろす。
「……何の用だ」
怒りを抑えたような短く低い声でジストが声を出すと、おーこえーと男達がゲラゲラと笑い声を上げた。酒瓶を持ち上げた男はガブガブと酒を煽ると、乱雑に手で口を拭う。
「Sランク冒険者とシゲル遺跡に同行する奴ってお前らなんだろ?」
男はシトリに近付き肩に手を置いた。ぎりっと男の指がシトリの肩に食い込む。
「なぁその役、代われよ」
耳元に顔を寄せて凄む男の話を鼻で笑うと、シトリは気安く肩に置いた男の手を鷲掴みにして払いのけた。
「ハッ、ムリムリ!お前らみてぇなヘッポコ冒険者がシゲル遺跡に入ったらソッコーで死ぬから」
「あぁ!?」
「何だと!!!」
男達は今にも襲い掛かりそうな勢いでシトリに詰め寄るが、全く動じることなくシトリは口角を上げた。
「ランクを考えろってんだよ」
その瞬間、酒瓶を持った男はビキっと顔に青筋を立てて、シトリを睨み付けながらジストの頭の上から酒をザバーとかけた。
「おいてめぇ!ジストに何しやがんだ」
さすがのシトリもこれには怒りを露わにし、椅子を倒して立ち上がる。すると男達は一斉に武器を手に持った。
その場の空気は凍りつき、一触触発な雰囲気が漂いはじめる。周りにいた客達も巻き添えを恐れ慌ててその場から離れ始めた。
最初に動いたのは酒瓶を持った男で、瓶を地面に投げ捨てて割ると腰から剣を引き抜きシトリに突き付ける。
「このクソ狐がッ!!舐め腐った口聞きやがって!ぶっ潰してやらぁ!!」
激昂しながら男が叫ぶと取り囲んでいた仲間の男達も威喝し始めた。
「はぁ、しょがねぇな。相手してやるか」
シトリが溜息混じりに腕を振り回していると、これまで沈黙していたジストが突然ゆらっと立ち上がる。
「……俺達はギルド職員でもある。冒険者がギルド職員を暴行した場合、ライセンス降格または剥奪のペナルティがあるが――覚悟の上か」
ポタポタとジストの黒髪からは水滴がしたたり、その濡れた前髪から覗いた目に男は一瞬たじろいだ。
「なッ!?」
いつも眠そうに半分閉じているジストの目がカッと開き、スリット状の瞳孔が獲物を狙うかのように男を見定めている。魔獣と対峙しているような、そんな緊張感が男達の間に走った。
「あーあ、いっちばん怒らせたらマズイ奴を怒らせた~」
シトリは両手を頭の後ろに組みながら面白がって男達を揶揄る。
「う、うるせぇ!!やっちまえぇ」
その駆け声に男達が一斉に武器をふり上げた――その瞬間
「お待ちなさい!」
菓子箱の蓋を突き破り飛び出したジュリエットは風魔法を紡いで空中に浮かび、そして勢いよく男達に風の塊をぶつけていった。
「ギャッ!」「ッわ!!」「うおっ」
突然現れたジュリエットによる魔法攻撃に、男達は短く悲鳴を上げて後ろへとひっくり返る。
「ジュリエット!?」
シトリは驚きに声を上げ、ジストはポカンと呆気に取られている。そんな2人にジュリエットは、任せてと言って空中に浮かびながら男達に向かって叫んだ。
「ちょっと貴方達、いい加減になさい!!」
「な、な、なんだコイツ!?」
痛さと驚きで目を丸くした男達が動揺して失言をする。
「コイツ!?何てこと!信じられませんわ!!初対面の淑女に対して無礼ですわよ!!!」
ジュリエットは深紅の縦に巻いた髪をブンっと勢いよく払うと、魔法を紡いで竜巻を起こし男達が倒れた際に落とした武器を空中に集めた。
「それに、公共の場で武器を振り回すなど非常識ですわ」
ジュリエットの頭上に浮かせた剣や斧といった得物は、まるで光背のように見える。さらにジュリエットが片手を振り下ろしていくと、神の雷のように男達の足元に得物がグサッグサッと突き刺さっていく。
「ヒィッ!?」
「アヒャっ!??」
情けない声をだして怯える男達とは対照的に、はじめに酒瓶で脅してきた男が隙をついてジュリエットを掴まえようとする。
「こんのぉ~~!高位妖精か――んなっ!?ぐあっ!!!」
だが、伸ばした腕はジュリエットに届く事はなく、ジストによって掴まれていた。
「うがぁぁ!」
さらに男の腕を容赦なく捻り上げたジストの紫の瞳は、瞳孔が開き我を忘れている。
「ジスト待って!」
これ以上はマズイと、ジュリエットは咄嗟にジストの腕にしがみ付いた。
はっと我に返ったジストが男の手を離すと、男は腕をおさえながらヨロヨロとジストから距離を取る。
「チクショー……覚えてろよ!」
そしてチンピラの定型文のような捨て台詞を吐くと、男は仲間を置いてその場から逃げ出した。
「こっちは捕獲したぜ。めんどいからあとは警邏隊に任せようぜ」
いつの間にか戻ってきた野次馬から縄を受け取り、シトリはしっかりと男達を拘束していた。逃げた男もすぐに身元が分かり捕まるだろうと、腰に手を当てやれやれと溜息をついた。
「ジスト濡れてますわ。ちょっと待ってね」
ジュリエットが魔法を紡ぎながら手をかざすと、ジストの体が柔らかい風に覆われる。風はジストの全身に巻き付きながら回転すると、やがて髪を靡かせながら頭の上を抜け空中で弾けて消えた。
「……乾いた。ありがとうジュリエット」
「うぉっ酒の匂いまでは消えねぇんだな」
ジストの服に鼻を近付けると、シトリは眉を寄せて鼻をつまむ。
「なんだなんだ?」
「どうやら高位妖精が暴れているらしいぜ」
「どこだ?見えないぞ」
一連の騒ぎで周囲に人が増え、ジュリエットを妖精だと勘違いした人々が一目見ようと集まり始めてしまう。
「……人が増えてきた」
「ジュリエット!とりあえずここに入れ」
薄暗い魔導ランタンのお陰でジュリエットは目立つ事なく、コランダムでは普段着のフードのついた民族着の中に隠れて身を顰めた。